2008/7/24

皆川恵子 「エミリー・ウングワレー展に行ってきました」  日記

 みなさま、こんにちは。心療内科・精神科担当の皆川です。
 前回に予告しました通り、診療とか医療とは少し違った話を、私の当番のときには書いていこうと思います。
 7月某日、六本木に用事があったので、このチャンスに是非!と思い、国立新美術館に行ってきました。私は、美術館や博物館に出かけるのは大好きなのですが、ここにはなかなか行く機会が巡って来ず、今回初めて足を運びました。しかし、暑かったです。六本木の町を昼日中に結構歩きました。紫外線対策を怠ったせいで、日焼けもしたし、美術館についた時は、暑さでへとへとでした。
 それでも、どうしてもこの「エミリー・ウングワレー展」が見たかったのです。全く予備知識はなく、単に電車の中の広告に載っていた絵にひかれ、行かないといけない!と思ってしまったのです。
 そして、へとへとで汗だくになって会場に入った瞬間、来てよかった!!と思いました。それまでの疲れが、最初の1点目に出会った瞬間に吹き飛びました。すごいパワーとすごいエネルギーが絵からあふれており、プラス・パワーを頭から浴びた感じです。仕事がら、マイナス・パワーに自分のエネルギーを奪われるような感覚に出会うことの方が、圧倒的に多いのですが、本当に自分でもびっくりしました。光と色彩と自由さがあふれるような作品でした。予備知識はないものの、確か抽象画というふれこみだったような・・・と思ったのですが、私の中の抽象画というイメージには当てはまらず、オーストラリアもアボリジニのこともよくは知らない私ですが、彼女の中にある彼女の生まれ育った自然や環境や生活、目に焼き付いている日常の風景が、画面からにじみ出ていたように私には思えました。
 ちなみに、少しだけエミリー・カーメ・ウングワレーさんの紹介を。彼女はオーストラリア中央の砂漠地帯でアボリジニの伝統的な生活を長年送ってきて、1977年(67歳)からバティック(ろうけつ染め)の制作を開始し、1988年(78歳)頃からカンヴァスに絵を描き始めたとのこと。亡くなるまでの8年間に3〜4千点の作品を残したといわれています。
 帰宅して彼女のことを調べたら、民族や政治的な問題とか、色々な背景に触れている記事も眼にとまりました。きっと、様々な現実問題が彼女の生活にも影響を及ぼしていたのでしょうが、彼女の作品の前に立った時に得られた感覚は、ただただ彼女の元気さや現代的な道具をも取り込んで、一層のパワーを発揮してしまう彼女の強さであったように思います。(会場の中で見たビデオに映った彼女は大そうチャーミングでおおらかで自由な女性に見えました。)久々にエンパワーされる作品に出会いました。

心療内科・精神科 皆川恵子
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2008/7/17

関根さおり 「防衛医大という学校をご存知ですか?(関根さおり・その2)」  スタッフ紹介

 こんにちは、お当番を1週間も遅らせてしまいました関根(さ)です。 本題とは関係ありませんが、実は当クリニックの職員には私を含めて「関根」さんが3人、同じ平仮名の「さおり」さんが2人いるので、最近は自己紹介の時にフルネームを名乗る癖がつきました。 でも長いので、書く時は「(さ)」で済ませてしまったりしています。
 昔から、夏休みの宿題も8/30頃に始めるタイプでした(笑)。 あ、でも診察の時には極力真面目にやっています、ご安心ください(でもついお話が長くなっちゃって、順番をお待ちの方々にはご迷惑をお掛けする事が度々…申し訳ありませんいつもおいで下さる皆様)。

 前回、自己紹介で防衛医大の出身です、と申し上げました。 現在の日本で唯一、厚生労働省の管轄でない(防衛省ですね)医大や医学部です。 同じ6年制で、医学生としての教育カリキュラムは他の大学の方々とほとんど変わりません。 私は昭和60年に入学したのですが、国際婦人年に日本が批准するのを期に男子校から共学に変わった時の女子一期生だったので、6学年400名以上の学生の中で女性は8人だけ、と最初は極めて心細い環境でした。 でも慣れてしまえば同性の先輩が居ないというのは良いものだ、と気づいたのですが(働いていらっしゃる方は頷いて下さるのではないでしょうか・笑)。

 全寮制で最初の4年間は4人部屋(最後の2年間は2人部屋)、夜間休日以外は制服着用だし平日は原則外出禁止、朝6時半起床で点呼があってラジオ体操、その後は寮の掃除、合間に朝食を摂って8時から朝礼、そのまま全員で隊列を組んで教場まで行進していって授業開始…という、大学生とはとても思われない生活をほぼ6年間続けました。 早起きと3食きちんと食べること、集合時間を守ること、そういう事はこの学校に入らなければ今の私の身についてはいないと思いますので、とても感謝しています。

 学生ながら身分は特別職国家公務員で、雀の涙ほどのお手当てを貰いながら勉強させて頂いていました。 ほとんどは教科書代とストレス解消のための飲食費に消えていましたが(でも寮内は飲酒禁止、部屋にはTVや冷蔵庫やエアコンもなく当時はもちろんパソコンや携帯電話などという便利なものもなくてどこかへ電話をかけたい時は公衆電話の奪い合い、寮にかかってくる電話を捌くために電話当番を学生が交代で担当する、という今となっては信じられない生活でした)。

 自衛隊の仕組みや教練についても勉強しました。 毎年夏休みの前には訓練期間というものがあって、1年が富士登山、2年が千葉県近海での10Km遠泳、と毎年カリキュラムが決められていたものです。 冬はスキー訓練にも行きましたし、全国の自衛隊基地を見学にも行きました。 クラブ活動もやっていましたよ(軟弱派でしたから卓球部と、あと合唱部と社交ダンスクラブに入っていました。ダンスは最初の数年で幽霊部員になってしまったので現在役に立ってはいませんが…)。

 そんな中で医学の勉強もしながら無事国家試験にも合格し、卒業して11年間自衛隊医官として勤務しました。 医師を志したのは外科開業医として働き続ける父の背中を見て育ったせいでしたが、産婦人科を選択した理由は「女性の身体の不思議について色々な知識を得たい!」と思ったからでした。 生まれてから(実は生まれる前からでした、不妊治療に携わってから気づくのですが)死ぬまで、女性の一生をトータルに診られる科だということ、「おめでとうございます」と健康な方に言えるほぼ唯一の科だということ(妊娠や出産ですね)、そして自分や周囲の女性の役に立つだろうこと、が決め手でした。 あと、言葉は悪いですがヒトのお腹を切ってみたかった、という理由も(腹部手術に興味があった、という意味です・笑)。

 はっきりした専門分野は決めずに来たのですが、去年まで主に関わっていたのは子宮内膜症の治療と不妊症、そして通常の妊娠・分娩です。 かなり長くなってしまいましたので、このあたりのお話はまた次回に…。 それでは、いよいよ関東地方の梅雨も終わりかけで夏本番ですけれど皆様お元気で!(今度はお当番の日を守るように気をつけます♪)
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2008/7/14

対馬ルリ子 「ココ・カラ・ライフ報告」  お知らせ

対馬です。ココ・カラ・ライフ報告をさせてください。入れこんで準備してきた読売新聞のイベント、「ココ・カラ・ライフ セミナー」がとうとう山場を迎えました。
 これは、「ココロと体の自分らしいメンテナンスをはじめよう」という呼びかけを、大手小町という読売新聞のサイト(http://www.yomiuri.co.jp/komachi/)と、毎年7月、七夕のころに開く、女性の体とココロを考えるセミナーを連動させて進めていこうという、新しい女性の健康習慣を提案するイベントです。
 その背景には、わたしたち企画者の、"どの女性も、「知らなかった」ために悲しい思いをしてほしくない”という思いがあるのです。ライフスタイルの変化によって女性におこりやすくなっている病気、例えば子宮筋腫や子宮内膜症、乳がんや子宮がん。女性のココロや体やホルモンのしくみを知らないことによって生活や仕事がつらくなっている場合、例えば月経困難症やPMS(月経前症候群)、更年期障害。それから、男性と違って女性に多く、将来の仕事や妊娠にも影響を及ぼすのに、会社の健診では調べてくれない病気、甲状腺やリウマチ膠原病などの自己免疫疾患。妊娠・出産・育児と、キャリアとのワークライフバランスのとりかた。ストレスコントロール。アンチエイジング・・・ これからの自分らしい人生プランの実現のために、女性ならぜひ知っておきたいことばかりだと思います。じっさい、7月2日の東京丸ビルのイベントの前に募集したアンケートでは、とてもたくさんのご質問が寄せられて、その熱心さには、わたしも圧倒されました。
 今年のイベントは、まずは20〜30歳代ぐらいの女性たちへの呼びかけを中心にしましょうということではじめたのですが、応募してくださった女性たちは10歳代から80歳代まで幅広く、また、「ぜひこんなことを聞きたい」という質問やご意見は、1位=更年期、2位=月経のこと、3位=女性の病気、4位=よいかかりつけ医の選び方、5位=受けておいたほうがいい女性の検診、6位=妊娠と出産について、などなど多様かつ切実なものばかりでした。
 でも、わたしたち女性医師も、自分の仕事と、自分の出産育児と、自分の健康を考えながら、末永く?女性たちのかかりつけ医として人生を生きていきたいと願っている「働く女性」の当事者のひとりでもあるわけで・・・
 だから、春からはじまった大手小町のドクターズエッセイは、「女性医療ネットワーク」メンバーたちによるリレーエッセイで、女性医師たちが日々の思いを率直に語っていますし、今回のセミナーでも、わたしやゲストスピーカーの佐々木かおりさん(イー・ウーマン社長)が、自分のココ・カラ・ライフシートを公開し、これまでの自分の健康や、仕事、家族の歴史について、それから、今後のフィナンシャル・健康美容投資・趣味や楽しみの計画などについても、ご参考になればと紹介させていただきました。
 佐々木さんが15歳で経済的に独立したこと、23歳で起業したこともすばらしかったですが、31歳で「銃でうたれた」と紹介されたときには、会場をうめた女性たちから、え〜っとどよめきがあがりました。
 この、ココ・カラ・ライフシートは、わたしが原案を出し、読売新聞や電通のたくさんの担当女性たち+協力してくださった少数の男性たちで?作りあげました。
みんなが楽しく自分の人生プラン、これからずっと続く(おんなの人生は長い!)健康の戦略をたてられるように、そして、毎年7月には、これをもう一度見直して1年をふりかえり、またこれからの1年を前向きにすごすための節目にしようというアイディアです。しかしてそのココロは、「健康とは、たんに病気がなければよいという後ろむきな意味ではない!体もココロも快適で自分らしく、毎日の生活も、仕事も楽しみも、すべてが生き生きと自分らしく個性的?であってこそ、トータルな意味での健康といえるのではないでしょうか!?」というメッセージなのです。
 佐々木かおりさんは、わたしとほぼ同年代。司会してくださったアナウンサーの関谷亜矢子さんも働くママ。アロマとストレッチのリラックスタイムを指導してくれたスポーツアロマトレーナーの神崎貴子さんも、技術と経験と、温かい明るさをもった働く女性です。それから、わたしといっしょにこのイベントを企画・運営してくださった女性たちも、みんな、仕事も、プライベートも前向きに充実させていますし、かつ、女性たちを応援して楽しく生きやすい社会にしていくんだ、という情熱をあふれるほど持った、本当にすてきな女性たちばかりなのです!

 あなたもこれから、仲間になりませんか?ココ・カラ・ライフは、来年7月にもまた楽しい元気いっぱいのイベントをやっていこうと思っています。また、クリニックでも、現在、キャンペーン月間として、「働く女性のウェルネスドック」を受けられたかたに、ココ・カラ・ライフシートと、読売新聞のゆるキャラ(くらげっと)のストラップを差し上げています。

 それでは、また七夕のころに、お会いしましょう!(わたしはいつもクリニックにおりますので、具体的なご相談、検診希望のあるかたはどうぞいつでもご連絡を!お待ちしています)

対馬ルリ子より

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(ココ・カラ・ライフイベント出演者:右から神崎貴子さん、関谷亜矢子さん、佐々木かをりさん、私)

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(ココ・カラ・ライフを作り上げた女性スタッフ)
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2008/7/9

産婦人科の江夏です。(その2)  スタッフ紹介

こんにちは。婦人科の江夏です。あっという間に2回目の「ブログ当番」が回ってきました・・・(汗)。前回書ききれなかった自己紹介第2弾にさせていただこうと思います。

 プロフィールをご覧いただくと書いてありますし、個人のブログのタイトルも「女性スポーツドクターの日記」となっているように、私の専門は「女性のスポーツ医学・健康医学」。産婦人科医でスポーツ医学、というと余り関係ないように思われることが多いのですが、なぜ私がこの道を選んだかを書かせていただこうと思います。

私は子供のときからスポーツだけでなく、身体を動かすことが大好きでした。伯母が先生をしていたこともあって4歳から日本舞踊を、小学3年生の時には家の近所に教室ができたのをきっかけにモダンバレエとジャズダンスも習い始め中学まで続けました。小学校の時には夏は水泳、秋・冬は陸上と、学校行事に合わせていろんなスポーツを経験し、中学1年の時には器械体操部に入部。その頃から身体も大きくなって自分にはあまり向いていないのを感じて、中学2年から水泳部に入り、それから大学卒業までずっと水泳部で頑張ってきました。
スポーツドクターになりたいと思ったきっかけは、故障して泳げなかった中2の夏に、テレビでロサンゼルス五輪を見たこと。あの華やかな舞台に立てたら、観客席ではなくて何らかの形で関わることができたら・・・という憧れが最初だったと思います。コーチやトレーナーとしてというのも考えましたが、ちょうど故障で泳げなかった私は当時の医学に疑問を感じていました。スポーツで体調を崩すと、当時は「じゃあスポーツやめれば?」という雰囲気。病院に行っても、命に関わるような大きな病気でないとあまり親身になってもらえないような雰囲気を「子供心」に感じていました。

「元気な人が、もっと元気に暮らすための医学・医療があってもいいのでは?」

そう漠然とした思いから、「じゃあ、私はスポーツドクターになろう!」と。そのためには、自分がスポーツを続けていくのが一番と、水泳部で頑張りながら進むべき道を探してきましたが、運のいいことに、大学時代に日本水泳連盟のチームドクターである、現在は博士取得後研究員としてお世話になっている東京大学大学院身体教育学講座の武藤芳照教授(http://www.p.u-tokyo.ac.jp/~muto/index.html)との出会いに恵まれ、「日本水泳ドクター会議」の仲間に入れていただき、現在ではこうしてクリニックで産婦人科医として勤務する傍ら、日本水泳連盟の医科学委員として、主に水泳選手の医学的サポートをさせていただいています。

スポーツドクターといえば整形外科か運動生理学かな?というイメージが強いと思いますが、じゃあ、なぜ産婦人科を選んだのか? それは、学生時代に医学の勉強をして一番興味が沸いたのが産婦人科だったからです。産婦人科に進むのには正直迷いもあったのですが、整形外科医である武藤教授の「みんなが整形外科でないほうがいい。スポーツ医学はスポーツに関わるすべての人の、あらゆる部分を支えるものだから。一番興味のある分野に進むのがいい。特に、女性アスリートの心とからだについて知っていて語ることのできる女性医師はまだとても少ないから面白いかも?」というアドバイスもあって、産婦人科に進むことを決めました。
最近は、女性アスリートの活躍が世の中を明るく元気付けていますよね。でもその陰で、実は運動性無月経など女性特有の悩みを抱える女性アスリートがとても多く、しかもそれについて理解がある指導者は少なく、相談する場所もとても少ないのです。そして、アスリートだけではなく、一般の女性にとっても、スポーツや身体を動かすことによって、心と身体の健康に役立てられることは沢山あります。産婦人科医のスポーツドクターとして自分に出来ることは沢山あるなあ・・・と、今はとてもやりがいを感じています。(途方にくれることも正直多いですが・・・)

そんな感じで、女性のためのスポーツドクターとして、女性アスリートが安心して自分の夢を実現できるように、また一般の女性たちも、スポーツだけでなく体を動かすことによってより活き活きと自分らしく生きられるように、お手伝いをしていきたいと思っています。
自分自身も、身体を動かすことがいい気分転換になっているのを最近特に感じています。仕事が忙しくてここ数年運動不足だったのに加え、今年の2月に私自身が子宮筋腫・腺筋症の手術を受けて体調が悪く、なかなか元気がなかったのですが、前回も書いた自転車通勤や、もうすぐ1歳になる愛犬(ジャックラッセルテリアの女の子。今も原稿を書いている私の膝の上で寝ています。)との散歩を始めてから少しずつ元気を取り戻し、先月からまたプール通いも週1回で再開!そろそろ「マスターズ大会」にも復帰したいなあ・・・と思っています。
今日は結構長くなってしまったので、この辺で・・・。
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