2011/3/15

東北地方太平洋沖地震(対馬ルリ子)  

たいへんな事態に、まだ信じられない思いです。

3月11日、わたしはクリニックで、午後の診療前のミーティングをしていました。
八戸市で育って弘前大学に行ったわたしは、人生のなかで大きな地震を3回経験しています。小学校のときの十勝沖地震、大学で病院実習中の秋田沖(日本海)地震、そして三陸沖(釧路沖)地震・・しかし、今回は、これまでのどの地震よりも長く強い地震でした。初めて恐怖を感じました。しかし東京では震度5です。宮城や岩手はいったいどのような揺れだったのでしょうか・・

三陸で育った人たちは、揺れが来たら、それっと走って高いところに登る習慣がついています。わたしの実家は、今回の八戸の災害中継で大型漁船が横転していた岸壁のすぐそばにあります。地震がきたら、ぐずぐずしていたらあぶないのです。私が小さい時にも、高台から、ゴゴゴという音とともに水平線から白い泡立った線(津波)がずうっと近づいてくるのを眺めていた覚えがあります。

でも!今回は地震に慣れた三陸の住民にも、思いもよらないものだったでしょう!

わたしたちは、クリニックの待合室で、患者さんもスタッフもいっしょに呆然とテレビを見ていました。悪夢のようでした。

金曜の午後は、とりあえず急患とお薬処方を中心に手分けして診療を終えましたが、たくさんの人たちが自宅に帰れなくなりました。とりあえず、帰れる見込みがないかたは、クリニックにとまってもらうことにしました。その結果、患者さまとスタッフ合わせて20名近くがクリニックに泊まることになりました。このときほどクリニックにたくさんベッドがあってよかったと思ったことはありません。外では、駅やデパートの入り口で寒いなかをタクシーを待つしかない人たち、ひらすら歩くしかない人たちが何万人もいたのです。患者さまたちは硬いベッドにも「温かいところで横になれるだけでしあわせですから」とおっしゃってくださいました。

女性医療ネットワークの仲間で、ジュノ銀座産院のセミナーで「しあわせのレッスン」を毎月1回されている今村理子先生は、福島県立大学女性外来の担当医師ですが、南相馬市にお住まいです。そう!福島原発の近くです。地震後やっと通じたメールで、「すべての形のあるものが壊れてしまって、何もなくなりました。でも、命があるから。お家がつぶれてしまった患者さんたちがたくさんクリニックに来られています。義父や夫と診療を続けています」と知らせてくださいました。彼女は、その後避難することになり、避難所をへて、関西地方の親戚のところに移動しました。

あああ。日本はこれからどうなるのでしょう?でも、きょう、娘が見せてくれたユーチューブで、3日ぶりに助けられたおじいさんが、「チリ地震も経験したから何でもない。また再建すればいいんだ」と明るい顔で語っているのをみました。希望をもって、またみんなで頑張りましょう。(3月14日対馬ルリ子)
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