2013/5/21

仙台へ行ってきました  

5月18〜19日の土日、日本女医会の総会が仙台であり、青葉薫る、かの地に行ってきました。

実は仙台は、わたしのルーツの地でもあります。父と祖父が仙台で生まれ育ちましたし、赤痢菌を発見した細菌学者の志賀潔は(だから赤痢菌はシゲーラと命名されています)祖父の叔父にあたります。 

 さて、仙台の女医会総会では、まず土曜日に被災地見学のエクスカーションがありました。約4000名の方の命が失われたという石巻の海岸地帯を、現地ボランティアのかたに案内していただき見てきました。そして、日曜日の総会講演会は、石巻赤十字病院で災害医療の最前線に立ち続けた、外科の石井正先生のお話・・・

 石井先生は、2007年から赤十字病院の医療社会事業部長になられていたので、そのころから災害マニュアルを整備し、訓練を重ねてこられたそうです。そして2010年、宮城県の「災害医療コーディネーター」の役割を知事から任命された、そのすぐ後に、東日本大震災がおこったそうです。震災のさいには、防災ヘリの発着も、患者の搬送も、トリアージ(緊急度による患者さんのふるいわけ)も粛粛と訓練通り。でも、予期せぬことが本当に多かったそうです。

例えば、神戸の大震災では、倒壊した家屋に押しつぶされるクラッシュ症候群が多かったのに対し、東日本では(あらゆるものが津波にのまれ、かつ雪が降って非常に寒かったので)そもそも搬送されてきた患者も少なく(救急車も多くが流されてしまったそう)、患者は低体温症が多かったこと。でも、おそらく、本当に助けを必要としていた人たちの多くは、病院まで来れずに亡くなっただろうこと・・などをお話されました。

 そして、なんと日本中から60以上もの災害医療チームが石巻におしかけてきたそうです。

それをどうやって統制したか。石井先生は、「県知事から災害医療コーディネーターのお墨付きをもらっておいてほんとによかったと思った。でも、集まった医師たちは、どんなに偉い立場の人であっても、現場をみるとすぐさま顔色が変わり、「何でもやりますから」と言って(威張ったり邪魔せずに)本当に素直に真剣に取り組んでくれました。」とおっしゃっていました。

 そもそも、ほとんどすべてが根こそぎ流され、電気もガスも水道もない真っ暗な石巻地域で、唯一あかりが煌々とついている場所が赤十字病院だったそうで、それはもうほんとうにたくさんの人たちを、どんなに安心させたことでしょう。

いっぽう、内陸の東北大学では、総長の里見先生が(里見先生は、女医会の懇親会にもいらしてごあいさつしてくださいました、あ、村井県知事も、奥山仙台市長も、県と市の医師会長もいらしてくださいましたよ。宮城県の女医会ってスゴイ!)大学の医師たちに「きょうこれからは、すべての医者が総合医として診療しろ、専門科にこだわるな!」

「けっして最前線の病院を疲弊させるな!全力で支援しろ!」と檄をとばしていたそうです。

おかげで、石巻赤十字病院には、何千キロも離れたところから様々な医療機器をもって、全国の大学・病院・医師会、NPOやボランティアの医者たちがやってきた。すぐさまエリアとラインを分担し、足りないもの、すぐ必要なものをリストアップして手配し、継続して活動した。上水道、下水道、トイレやゴミの始末、手あらい、うがい、食物の衛生管理から介護、相談、各科診療、様々な薬の処方まで、災害医療チームたちは、毎日集まってミーティングし、すべてのことにすぐさま対応していったそうです。

だから、寒い季節こそ咳が出ていた人たちがいたが、どんどん感染対策がすすみ、石巻地域ではまったく感染症の蔓延が見られなかったとおっしゃっていました。

わたしは、涙が出て、しょうがありませんでした。

どんな立場の人でも、命がかかる現場を見ると何かせずにはいられない。医者にとって、誰かのために、何かができるということは、本当にありがたい幸せなことだと思うのです。それも、ふだん大学の派閥だの肩書きだの、立場だのにこだわって動けない人たちが、皆で自然に知恵や技術を出し合って、目の前にいる傷ついた方たちのために力を尽くした。このことの意味を、忘れずにいたいなあと思います。

わたしも、仙台、弘前、八戸と東北の武士、医家、学者をルーツに持つひとりです。やはり東北の医療のため女性のために、何かやれないかと考えてしまいます。何かは・・またお話させてください。
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