2008/10/1

整形外科の大井律子です!  スタッフ紹介

はじめまして!
当クリニックで整形外科を担当している大井律子です。
まずは恒例となっているように第一回目のブログでは自己紹介をしたいと思います。
生まれたのは熊本。小学校低学年までは熊本市内にある細川家ゆかりの水前寺公園の近くに住んでいました。その後、父の故郷である山口県へと引っ越し、さらに大学6年間を四国の高知県で過ごした後に、再び山口に戻り、整形外科医として医師生活をスタートさせました。
これまで暮らしてきた地域はどこも気候がよく、自然の豊かなのんびりしたところです。特に大学時代を過ごした高知県は太陽が近くて、青く広い太平洋が望め、悩みもその海を見れば吹き飛んでいくようでした。いま、住んでいる山口県も災害が少なく、魚も野菜も美味しくて(これからはフグの季節ですね!!)、とても住み良いところです。そう、私は山口に在住しながら毎週、診療のために山口から飛行機で東京まで通勤をしています。山口から!?とみなさんびっくりされるでしょうね。でも、様々なめぐり合わせの中で対馬先生と出会い、とても自然な流れでクリニックをお手伝いすることになった訳で、当の本人は移動距離など気にすることなく、地方の住みやすさと東京の人・物資の豊かさと、両方の良いところを満喫しながらこの生活を楽しんでいます。
そして何よりも私がやりたいと思っていた医療ができること、そして思いを共有できるドクターや優秀なスタッフと一緒に仕事ができることが毎週の飛行機通勤の原動力になっています。
じっくりと患者さんと話し合いながら、一緒にからだやココロの問題を解決したり、今後起こるかもしれない問題をできるだけ回避する方法を考えたり、他の専門家の先生たちと連携しながら画一的ではない個々人にあったテーラーメイドの医療を提供できればと思っています。
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2008/7/17

関根さおり 「防衛医大という学校をご存知ですか?(関根さおり・その2)」  スタッフ紹介

 こんにちは、お当番を1週間も遅らせてしまいました関根(さ)です。 本題とは関係ありませんが、実は当クリニックの職員には私を含めて「関根」さんが3人、同じ平仮名の「さおり」さんが2人いるので、最近は自己紹介の時にフルネームを名乗る癖がつきました。 でも長いので、書く時は「(さ)」で済ませてしまったりしています。
 昔から、夏休みの宿題も8/30頃に始めるタイプでした(笑)。 あ、でも診察の時には極力真面目にやっています、ご安心ください(でもついお話が長くなっちゃって、順番をお待ちの方々にはご迷惑をお掛けする事が度々…申し訳ありませんいつもおいで下さる皆様)。

 前回、自己紹介で防衛医大の出身です、と申し上げました。 現在の日本で唯一、厚生労働省の管轄でない(防衛省ですね)医大や医学部です。 同じ6年制で、医学生としての教育カリキュラムは他の大学の方々とほとんど変わりません。 私は昭和60年に入学したのですが、国際婦人年に日本が批准するのを期に男子校から共学に変わった時の女子一期生だったので、6学年400名以上の学生の中で女性は8人だけ、と最初は極めて心細い環境でした。 でも慣れてしまえば同性の先輩が居ないというのは良いものだ、と気づいたのですが(働いていらっしゃる方は頷いて下さるのではないでしょうか・笑)。

 全寮制で最初の4年間は4人部屋(最後の2年間は2人部屋)、夜間休日以外は制服着用だし平日は原則外出禁止、朝6時半起床で点呼があってラジオ体操、その後は寮の掃除、合間に朝食を摂って8時から朝礼、そのまま全員で隊列を組んで教場まで行進していって授業開始…という、大学生とはとても思われない生活をほぼ6年間続けました。 早起きと3食きちんと食べること、集合時間を守ること、そういう事はこの学校に入らなければ今の私の身についてはいないと思いますので、とても感謝しています。

 学生ながら身分は特別職国家公務員で、雀の涙ほどのお手当てを貰いながら勉強させて頂いていました。 ほとんどは教科書代とストレス解消のための飲食費に消えていましたが(でも寮内は飲酒禁止、部屋にはTVや冷蔵庫やエアコンもなく当時はもちろんパソコンや携帯電話などという便利なものもなくてどこかへ電話をかけたい時は公衆電話の奪い合い、寮にかかってくる電話を捌くために電話当番を学生が交代で担当する、という今となっては信じられない生活でした)。

 自衛隊の仕組みや教練についても勉強しました。 毎年夏休みの前には訓練期間というものがあって、1年が富士登山、2年が千葉県近海での10Km遠泳、と毎年カリキュラムが決められていたものです。 冬はスキー訓練にも行きましたし、全国の自衛隊基地を見学にも行きました。 クラブ活動もやっていましたよ(軟弱派でしたから卓球部と、あと合唱部と社交ダンスクラブに入っていました。ダンスは最初の数年で幽霊部員になってしまったので現在役に立ってはいませんが…)。

 そんな中で医学の勉強もしながら無事国家試験にも合格し、卒業して11年間自衛隊医官として勤務しました。 医師を志したのは外科開業医として働き続ける父の背中を見て育ったせいでしたが、産婦人科を選択した理由は「女性の身体の不思議について色々な知識を得たい!」と思ったからでした。 生まれてから(実は生まれる前からでした、不妊治療に携わってから気づくのですが)死ぬまで、女性の一生をトータルに診られる科だということ、「おめでとうございます」と健康な方に言えるほぼ唯一の科だということ(妊娠や出産ですね)、そして自分や周囲の女性の役に立つだろうこと、が決め手でした。 あと、言葉は悪いですがヒトのお腹を切ってみたかった、という理由も(腹部手術に興味があった、という意味です・笑)。

 はっきりした専門分野は決めずに来たのですが、去年まで主に関わっていたのは子宮内膜症の治療と不妊症、そして通常の妊娠・分娩です。 かなり長くなってしまいましたので、このあたりのお話はまた次回に…。 それでは、いよいよ関東地方の梅雨も終わりかけで夏本番ですけれど皆様お元気で!(今度はお当番の日を守るように気をつけます♪)
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2008/7/9

産婦人科の江夏です。(その2)  スタッフ紹介

こんにちは。婦人科の江夏です。あっという間に2回目の「ブログ当番」が回ってきました・・・(汗)。前回書ききれなかった自己紹介第2弾にさせていただこうと思います。

 プロフィールをご覧いただくと書いてありますし、個人のブログのタイトルも「女性スポーツドクターの日記」となっているように、私の専門は「女性のスポーツ医学・健康医学」。産婦人科医でスポーツ医学、というと余り関係ないように思われることが多いのですが、なぜ私がこの道を選んだかを書かせていただこうと思います。

私は子供のときからスポーツだけでなく、身体を動かすことが大好きでした。伯母が先生をしていたこともあって4歳から日本舞踊を、小学3年生の時には家の近所に教室ができたのをきっかけにモダンバレエとジャズダンスも習い始め中学まで続けました。小学校の時には夏は水泳、秋・冬は陸上と、学校行事に合わせていろんなスポーツを経験し、中学1年の時には器械体操部に入部。その頃から身体も大きくなって自分にはあまり向いていないのを感じて、中学2年から水泳部に入り、それから大学卒業までずっと水泳部で頑張ってきました。
スポーツドクターになりたいと思ったきっかけは、故障して泳げなかった中2の夏に、テレビでロサンゼルス五輪を見たこと。あの華やかな舞台に立てたら、観客席ではなくて何らかの形で関わることができたら・・・という憧れが最初だったと思います。コーチやトレーナーとしてというのも考えましたが、ちょうど故障で泳げなかった私は当時の医学に疑問を感じていました。スポーツで体調を崩すと、当時は「じゃあスポーツやめれば?」という雰囲気。病院に行っても、命に関わるような大きな病気でないとあまり親身になってもらえないような雰囲気を「子供心」に感じていました。

「元気な人が、もっと元気に暮らすための医学・医療があってもいいのでは?」

そう漠然とした思いから、「じゃあ、私はスポーツドクターになろう!」と。そのためには、自分がスポーツを続けていくのが一番と、水泳部で頑張りながら進むべき道を探してきましたが、運のいいことに、大学時代に日本水泳連盟のチームドクターである、現在は博士取得後研究員としてお世話になっている東京大学大学院身体教育学講座の武藤芳照教授(http://www.p.u-tokyo.ac.jp/~muto/index.html)との出会いに恵まれ、「日本水泳ドクター会議」の仲間に入れていただき、現在ではこうしてクリニックで産婦人科医として勤務する傍ら、日本水泳連盟の医科学委員として、主に水泳選手の医学的サポートをさせていただいています。

スポーツドクターといえば整形外科か運動生理学かな?というイメージが強いと思いますが、じゃあ、なぜ産婦人科を選んだのか? それは、学生時代に医学の勉強をして一番興味が沸いたのが産婦人科だったからです。産婦人科に進むのには正直迷いもあったのですが、整形外科医である武藤教授の「みんなが整形外科でないほうがいい。スポーツ医学はスポーツに関わるすべての人の、あらゆる部分を支えるものだから。一番興味のある分野に進むのがいい。特に、女性アスリートの心とからだについて知っていて語ることのできる女性医師はまだとても少ないから面白いかも?」というアドバイスもあって、産婦人科に進むことを決めました。
最近は、女性アスリートの活躍が世の中を明るく元気付けていますよね。でもその陰で、実は運動性無月経など女性特有の悩みを抱える女性アスリートがとても多く、しかもそれについて理解がある指導者は少なく、相談する場所もとても少ないのです。そして、アスリートだけではなく、一般の女性にとっても、スポーツや身体を動かすことによって、心と身体の健康に役立てられることは沢山あります。産婦人科医のスポーツドクターとして自分に出来ることは沢山あるなあ・・・と、今はとてもやりがいを感じています。(途方にくれることも正直多いですが・・・)

そんな感じで、女性のためのスポーツドクターとして、女性アスリートが安心して自分の夢を実現できるように、また一般の女性たちも、スポーツだけでなく体を動かすことによってより活き活きと自分らしく生きられるように、お手伝いをしていきたいと思っています。
自分自身も、身体を動かすことがいい気分転換になっているのを最近特に感じています。仕事が忙しくてここ数年運動不足だったのに加え、今年の2月に私自身が子宮筋腫・腺筋症の手術を受けて体調が悪く、なかなか元気がなかったのですが、前回も書いた自転車通勤や、もうすぐ1歳になる愛犬(ジャックラッセルテリアの女の子。今も原稿を書いている私の膝の上で寝ています。)との散歩を始めてから少しずつ元気を取り戻し、先月からまたプール通いも週1回で再開!そろそろ「マスターズ大会」にも復帰したいなあ・・・と思っています。
今日は結構長くなってしまったので、この辺で・・・。
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2008/6/26

循環器内科の池田和子です  スタッフ紹介

初めまして、池田和子です。当クリニックでは内科を担当しています。大学卒業後は内科のなかでも循環器内科を専門にしてきました。循環器というと主に心臓・血管に関する疾患を扱う分野なのですが、当クリニックでは女性外来として専門に限らず女性の様々な健康上の悩みに対応していきたいと考えています。同じ女性として、健康で自分らしい生活をエンジョイ出来るようお手伝いできたらうれしいです。さて、内科の先生がどうして?・・・という疑問がある人もない人もいらっしゃると思いますが、まずは私と女性外来の出会いから簡単にお話しいたします。
2002年12月に第1子の出産をきっかけに大学病院の喧噪から離れることになりました。これまでの忙しい生活からのんびり子育てライフを夢見ていたのですが、それはやはり夢でした。子育てはそれなりに楽しいものの、医師としての私はどうなるんだろうと、子供の首がすわるころに頭をよぎり始めました。そんな時に、書店で目にした1冊の書籍。“女性外来が変える日本の医療”その魅力的なタイトルを無視することは不可能というものでした。目から鱗といいましょうか、こういう医療があるんだと感激した気持ちは今でも忘れられません。ならばすぐに対馬先生のクリニックの門を叩くべきでは?そうかもしれなかったのですが、循環器の専門外来や一般内科の外来の仕事をすることになり、女性医療はしばし頭の片隅においておかれてしまったのです。私は心臓という臓器が好きで循環器内科を選択し、一般内科では老若男女を問わず様々な疾病、健康問題に対応してきました。今思えば男性を診ているからこそ理解できる女性との違いもあるなと感じています。頭の片隅にあった女性医療への思いは消えることなくむしろ熟成していたのかもしれません!?
いつか女性外来の仕事が出来たらなぁと考えていた私は、2007年あの対馬先生と対面することになったのでした。場所は横浜で開催された日本女医会総会。私は総会のお手伝いをしていたのですが、そこへ日本女医会の理事も務められている対馬先生がいらっしゃいました。“わぁ、ナマ対馬だ”(先生、申し訳ありません)とアイドルを目の前にした10代の少女のような!?感激ぶりでした。もっとも私は10代ではないので(書くまでもありませんが)握手や写真をねだるということはしませんでしたが、タイミングを見計らって先生に声をかけたのでした。そして銀座のクリニックを見学させていただき、女性が元気で健康であり続けることをサポートすることがとても魅力的に思えてきたのでした。何度となく対馬先生の外来を勉強させていただき、昨年11月からは外来をやらせていただくことになりました。
みなさん、願えば叶うというのは本当かもしれません。私の実体験で恐縮ですがこうしたい、ああしたいと願い、それに向けて何らかの努力をすればきっと叶うものと思います。
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2008/6/19

心療内科・精神科の皆川です。  スタッフ紹介

皆様、こんにちは。ブログがスタートし、自己紹介が流れになっているようですので、担当初回は私も自己紹介をしたいと思います。
 
 私は東京都23区の出身で、高校卒業までは都民でした。大学は埼玉医科大学へ入学することになり、18歳から埼玉県民になりました。私の母校は埼玉県でもやや不便な場所にあり、通学には少々困難を伴うため、一人暮らしを開始することになりました。それから大学退職までの足掛け約20年を埼玉県で生活し、当クリニックに常勤医として就職するにあたり、再び東京へ戻って来ました。気管支系が弱い私としては、18歳からの閑静で自然の多い埼玉暮らしが、公害のひどい場所からのよい転地療養になっていた気がしています。
 大学入学当初は、精神科に進むことはないと思っていたのですが、精神科の授業が始まると、大変興味深く印象に残りました。様々な検査値とか写真とか、データではなかなか全てを表しにくい「こころ=精神=脳」の世界に引き込まれてしまったのだと思います。結局その興味は大学を卒業する時まで変わらず、精神科に進むことに決めました。私が研修し、足掛け16年勤務した大学の精神科は、大学病院内に精神科として200床を超える入院施設をもっており、全国の大学病院でも最も精神科として規模が大きいところでした。そこで子どもから大人までの外来・入院の治療、精神科救急など大変貴重な経験させていただきました。患者さんとの出会いから、成人だけでなく、児童・思春期の精神科を勉強することになり、心身医学の勉強をすることにもなりました。それから2002年に、縁あって対馬院長をはじめとする女性外来の確立や、性差を意識した医療を志す先生方と出会い、現在まで至っています。どうぞ、今後ともよろしくお願い致します。
 
 今回は、真面目に自己紹介をしてみましたが、次回からはもう少し、仕事とは違ったお話をしていきたいと思っています。

心療内科・精神科 皆川恵子
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