2009/10/17
松はみな枝垂れて南無観世音 『草木塔』「鉢の子」より
「鉢の子」の初めの句です。最も代表的な句集の冒頭に持ってきたのには、環境や気持ちの変化があったからでしょう。
前書きに「大正十四年二月、いよいよ出家得度して肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといえばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。」
とあります。一年後の4月には一鉢一笠の行乞放浪の旅に出ますから、味取観音堂守という立場を味気ないものと感じていたのでしょう。松を見ても、現実の重みに枝を垂れているように見える。自分の放浪を正当化しようという言い訳のようで、親しみが持てる前書きだなと思えます。
現実がいやだと思って飛び出しても、実はそうそう改善されるものではありません。悪くすると自分の立場や環境を悪化させます。それがこわくて思い切った行動に出るのをためらい、現実をムリにでも肯定的に受け止めて生きていく。それが凡人の人生なんだな。

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