さようならを言えずにいる。
演劇介護士の資格を持つ僕。
その僕が晩年おつき合いした先輩が、
黄泉の国に旅立っていった。
つい、先日のことだ。
今から3年前。
それまで、2度の公演失敗を続けて来た彼が、
「自身最後の書き下ろし芝居になるかも知れない」と、
僕ら演劇関係者を頼ってきたのだ。
「金がかかり過ぎる」
「観客はどうやって集めるんだ」
「だいたい、作品がいまいち面白くない」と、
誰にも相手にされない彼を、僕が、面倒見た。
「面倒見た」と書いて「書き過ぎか」と思い返したが、
いや、
「面倒見た以外の何ものでもない」と確信して言う。
その当時の僕としては30〜40万の赤字というのは、
「授業料」としては多少大きかった。
まして「自分の」でもなければ、
「自分の劇団でもない」のだ。
やっと、返した。
まぁ、
地元演劇関係者を前に
「やらないなら、いいよ」
「あんたたちはわかってないよ」と、
タンカを切った以上、
1年半かかって、全額自腹で支払いした今となっては「良い思い出」だ。
そう、いい思い出だ。
そして同時に「ブログ」という物も、
いい思い出だな。と思う。
ふと、このブログ内を検索したら、
こんな記事が出て来た。
その芝居を取り組む時(ココをクリック)
その芝居の前日(ココをクリック)
その芝居の本番(ココをクリック)
その時の、僕の「気持ち」がそのまま書かれている。
面白いもんだなぁ。ぜひ見て下さい。
その後、
彼の「唯一のよりどころ」になった僕は、
さらに、2本の芝居を手伝います。
シェイクスピアの芝居(ココをクリック)
啄木の芝居(ココをクリック)
そして、このすぐあとに、
体調を崩した彼は、
入退院を繰り返し、
僕に「さよなら」を言わずに、
「ありがとう」も言わずに、
「お疲れさん」も無しに、
いなくなってしまいました。
悲報を聞いた夜、僕は、
ワンカップを持って、
彼のいない実家の玄関にいました。
3ヶ月前に、ここを引き払って、
東京のガンセンターに移っていただけあって、
玄関には、クモの巣が張っていました。
そこでワンカップをすすりながら、
「僕が先生の骨は拾ってやるからね」
そう、冗談で言ってた頃のことを思い出しました。
にわかに、
地元演劇関係者が、
地元文学関係者が、
地元高校演劇関係者が、
「栄誉を讃えて『お別れの会』を」
と動きを見せているようです。
僕も、今日そこの端っこに声がかかりました。
「ふざけるな」と思います。
強く、強く、思います。
生きてる間に、どうしてしてあげなかったの?
いくらでも、出来たじゃない?
少なくとも、したよ。僕は。
死んでから讃えるなんて、
死ぬのを待ってたみたいじゃんか。
生きてる間に、
まだ、やりたいこと。
まだ、やりたりないこと。
そこに、手を貸すのが、あとに生きてる人間が出来ることなんじゃないの??
いまさら、何を言っているの??
演劇介護士が、
こんなに辛いとは思わなかった。
演劇は
「今の風を感じるアート」です。
風が吹いたあとなら、
誰でも、何でも言えるんです。
その「風」を吹かせ続けていた彼の、
生きてる間に、何もしなかった人達に、
「風」を語る資格はありません。
「演劇とは『風に記した言葉』」です。
悲しいかな、残らないのです。
やすらかに。ひでろう先生。
あとは、任せて下さい。
献杯。