昨年亡くなった鳥居先生が上梓された本を手に取った。
当地の文化史・文学史を知るための貴重な記録だ。
先生の死後、奥様が奔走され出版にこぎ着けたとある。
そのご苦労に敬意を表しながら、じっくり読ませて頂いた。
石川啄木を題材にしたお芝居が今週末にある。
啄木の死後、彼の日記が出版されたが、それは節子夫人が世に送り出したという。
鳥居先生と石川啄木とは、性格も残したものも生きざまも全く違うが、「当地で文学を極めた人」という点では共通するところだろう。
僕も今回の芝居に片足を太ももまでつっこんでいる関係もあって、資料を見返すべく「今日は文学に浸ろう」と、久しぶりに歌碑をまわってみた。
僕が生まれ育った橋南地区は啄木ゆかりの地だ。
新聞社社屋の復元「港文館」は実家のすぐ近くだし、
啄木の下宿だったところはおじいちゃんの職場だ。
啄木が通ったしゃも寅の井戸の水は小学生時代、毎日飲んでたし、
社会人になって通勤していた通りは「啄木通り」と名付けられ、小奴が旅館を経営していた跡地を右に曲がり通っていた。
最初に歌碑が建った「米町公園」は子供時代の遊び場。
久しぶりに行くと公園の雰囲気も変わっていた。
ノスタルジーを感じながら歩き、歌碑を眺める。
「しらしらと氷かがやき千鳥なく
釧路の海の 冬の月かな」
「釧路」というワードが入っている歌だけに、地元でも有名な歌だ。
しかし、
ほとんどの人がこの歌の冒頭を
「しら
じらと」と読んでいる。
これに関しては論争があったように聞いてるが、現在では
「しらしらと」が正しい。
歌碑をよおく見ると2つ目の
「し」の濁点が消されているのがわかる。
「しらしら」と
「しらじら」
口の中で何回も転がしてみると、その2つの違いがわかってくる。
凍てつくような、さいはての地の冬の海。
啄木が詠んだ情景を思い浮かべてみると「しらしらと」の方がしっくりくると思うのは僕だけじゃないだろう。