ロシア恐るべし
満州事変から支那事変へと戦火が中国大陸に拡大している間、、陸軍軍人の中に流れていたのは「ロシア恐るべし」「日本の真の敵はロシア」だという考え方が根強くあった。満州事変とシナ事変は共産主義への予防戦争であった。
1945(昭和20)年8月9日まで、日ソ間の全面戦争は起きなかったが、その可能性は15年戦争の間常に存在した。
1939年(昭和14)5月11日、起こったノモンハン事件は西方ハルハ川を満州国の国境とする関東軍と満州国軍、ハルハ川に東ノモンハンの草原を国境と主張するモンゴル軍・ソ連軍が相互に国境侵犯をなしたということで争いが始まった。
関東軍は、戦車80台、自動車400台等の戦力で一気にハルハ川を超えたところに現れたのは300台の戦車隊で対であり、激しく反撃してきた。関東軍の部隊はいたるところでばらばらにされ、包囲され、砲弾の落下を浴びて死傷者が続出し、阿鼻叫喚の世界と化した。日本軍の中には責任を取って自殺するものも出てくる中、かろうじて撤退することができた。。
1939(昭和14)年9月15日モスクワで日ソ休戦協定が結ばれ、1940(昭和15年6月9日に国境についてはソ連・モンゴルに近い線が確定した。

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