人間、沈み疲れると浮かぼうとするようです。
私もさすがに働きたいと思うようになり、
真剣に職安へ通うようになったのでした。
その時に相談した職安の人から
「せっかくデザインの学校に行ったのなら
少しでも活かせる仕事を探してはどうか」
とアドバイスを受けて印刷会社を勧められました。
今になって思うと、
この人の言葉が今の方向を決めた気がします。
とりあえず印刷会社へ面接に行ってみました。
よっぽど忙しかったらしく
即決でした。
その場でいつから働けるか聞かれました。
こうして、印刷会社の営業を始めたんですが
最初の二〜三年は順調だったものの、
しばらくすると
バブルがはじけました。
ルートセールスがメインといわれていた仕事も
新規開拓がメインになっていってしまいました。
10年近くやってましたが成績は下がる一方で、
そうなってくると、面白くないどころか
苦痛でしかたありませんでした。
お客さんや制作の人と
打ち合わせするのは好きでしたけど
数字を上げるということに
執着することができませんでした。
よく、こばティーとさぼりまくってました。
その後、会社にMacが導入され、
制作部門を作ろうという動きがありましたが
新しい人間を雇う余裕もないので
社内の余っている人間が声を掛けられました。
つまり営業失格の私です。
でも、正直うれしかったです。
Macが入ってからずっとやってみたかったのと、
営業はもうつらかったですから。
基本だけ教えてもらいましたが
あとはいじりながら覚えました。
でも、できるようになってくると
自分の中で欲が出て来てしまい、
お客さんにいわれるままに作るだけの仕事ではなく、
作って提案する仕事をしたくなってきたのです。
それと同時に、会社の状態が悪くなり、
ボーナス全面カットとなるわけですが、
よく考えたら7年間昇級してなかったことに気づき、
当時は母の病気や、つき合ってた彼女との結婚など
いろいろ考えていた頃なので
これではやっていけないと思ったのでした。
そこで、その印刷会社を辞め、
もう少し条件がよくて、もっと広告系の会社を
探すことにしたのでした。
またまた長い期間プータローとなりますが
この期間は今までと違って
かなり前向きなプータロー期間でした。
あせってへんなとこに入るより、
じっくり、いい会社を探そうと思ってました。
かなりの数の会社を面接受けました。
あと、時間がもったいないので勉強して
カラーコーディネーター2級取ったり
虫歯治したりして過ごしました。
つづく