2009/1/31

悲しい円高  Diary in general

日本に帰ったら「生活環境」を立てるのにCとPと…とetc
(仕事環境等が整って)忙しくなる前に少しの娯楽、そしてベターな生活スタイルが確保出来るように就職先は特に焦らず慎重に探したい。
留学で自分のバンクアカウントを崩壊させたのは事実だけど、再就職してからはまた将来(帰国?)にむけてお金がないから働く…という状況に陥らないようにそれなりに貯めてた予定なんだけど、経済不況でちょっと問題発生。

久しぶりにスキルのプレッシャーなく過ごした夜勤は最高でした。勉強フリー, バンザーイ!です。で勉強しなくていいのをいい事に日中外出したりしてました(笑)
先日ANZの窓口に相談へ。帰国に向けて日本にあるANZ支店についても聞いたけど、私の用途では使えないことが発覚。で実際の手段として
1)口座維持:円安を見計らって必要なお金のみおろす
  →オンライン手続き可、最大$10000 手数料$24(送金金額<70万で浜銀だと\3000とか…?)
2)口座維持:円安を見計って全額換金する(口座閉鎖)
  →3つの書類(国際送金フォーム・手紙・パスポートのコピー)を送る
   口座閉鎖なのでunlimited 手数料$32(70万以上と想定してそれ以外の手数料は無し)

*帰国前に定期預金にお金を移動して利率で稼げと。
*口座維持費の$5(ATMからの引き出し費フリー)から$2(引き出し有料)へ変更
*INGからANZに変えては・・・(大きなお世話だ( `д´) ケッ!)

とアドバイスをもらったけど、後日Onlineで国際送金手続きの操作をシミュレーションしたらマックス$5000で(゚Д゚≡゚Д゚)エッ? 設定を変えると$10000に出来たけど、変更設定が完了したのかどうかは返事待ち中(っぽい) オンライン上で国際送金が出来るのはとてもありがたい。だからちゃんと調べて、実際の送金操作もトラブルなく出来るように…と思う。

どこのバンクを信用するかって私レベルだと感覚だったりする。日豪で比べた場合利率の差は雲泥だけど、豪内にあるバンクの利率競争だとね…。勿論利率がAバンク5% Bバンク3%くらい差があったら検討するけど、その差が0.5%程度だと大金を動かすことの方に抵抗感を持ってしまう(まぁ情報収集をちゃんとすればいいって話なんですが…)

そんな矢先、換金やリセッションの話をしてたら Aに「日本円に換えないって決めたなら月曜日までに定期預金に入れた方がいい。利率がまた下がる」と言われた。ニュースに疎い私を、動きをみてないと損する(You can't miss if you check news everyday)と…Σ(゚д゚lll)ガーン

月曜日までに決めろ か…です。っつうか、そんな話をしたのは週末に入ってからで、月曜日朝一番で手続きしても前のrateで出来るのかって話です。(朝一番なら可能性はあるというOZらしい返事?をもらった)Aは難しい話も一杯してて、途中聞き取れない部分が幾つかあった…ちゃんと聞いてたら凄くためになる話なんだろうなぁ と英語力に凹む…。

お金のことを考えれば考えるほど思っちゃうのが換金したくねぇ(涙)
「事実を受け入れる」のはなかなか難しいです。
もう何年も $1=\100 で計算してたんだよ。
それが今や $1=\60 です。100万円が60万価値に落ちたわけです。
悪い時には56円とかも見る。
必要なお金を必要な時に最小限で…と考えた場合でも、マックス$10000を送金した場合に、円送金で入るのが以前なら100万で計算できたはずが、60万になるため送金受け入れをする浜銀からも手数料を取られるようになる。

送金さえしなければ、円高の影響は身近には特にない。一時帰国だって日本滞在中は日本の口座で遊んでたから特に影響してなかった。
$1=\100でも\60でも、豪で生活してる限り考える必要のないことなのに・・。

                事実が受け入れられない人

経済不況改善を求めて、よく聞く「2年待て」を実行しても、\75か\80までしか戻らないだろうってみんな言ってるし。・・・やっぱ、$1=\100概念は捨てないと駄目なのか…。

で、まぁ最初に戻ると。お金を換金しないとなると、当初思ってた理想プランは実現困難になっちゃうわけです。お金ないなら、すぐ職場見つけないと・・・遊んでる場合じゃない、とりあえず安定するまでは買おうと思ってたものは我慢・・・。

なかなか痛いところです。
 
1

2009/1/30

経験しながら学ぶこと  Diary @ work

クリスマス時期のホームはWardPtsばかりだったので、約4ヶ月ぶりにホームに戻った気分だった。久しぶりでちょっとドキドキしてた初日夜勤はECMOさん。抵抗度は半々。いきなりECMOはちょっと…だったけど、過去に1人でECMO看たのは3度くらい。経験しなければいつまでもわからないし…と(チョイスはもらえたけど)受け持つことにした。

20代前半のAは緊急LTx待ち。健康な心臓にボロボロの肺。引継ぎでissuesを確認したもののいまいち飲み込めず。アセスメントのために勉強したのはつい1ヵ月半ほど前のことなのに、考えてみても「咳き込むと1)Flowが下がる2)低酸素になる」というIssuesが問題なのは分かっても、それが何故起こるのかわからなかった。咳き込んだりHRが上がると健康な心臓故に酸素化されてない血流を全身に向けて拍出してしまうために低酸素になる。こっちはmake sense。問題はなんでフローが下がるのか?だった。説明を聞いてもピンとこない。初日の夜勤は疑問のまま終わり完全な勘違いだったことに気付いたのは後日だった。ECMOのフロー設定はスピードで決まる。初日は既に設定してあるんだからFLowが下がるなんておかしくない?と?が一杯だった。
人工呼吸器をつけて、長期型人工心肺に乗って、山盛りの麻薬と鎮静剤で完全コントロールされるはずのAは過去に見たことがないくらいの痰の量で1時間に2回とかの吸引が絶対。なのに吸引した瞬間、顔が真っ青になる…真っ黒とさえ言いたくなるくらいに…。SaO2が80%とかに下がる。完全コントロール下で、しかも前もってBolusを沢山あげてもです。これが必ずFlowdownとセットでやってくるのに、そのメカニズムがみえないってこんな不快というか不安なことはなかったというか…涙

ICUはたかが1ヶ月ぶりだったけど、久しぶりの機械と薬漬けの患者さんというのもあってペースがね…。そんな自分の状況を考慮してリーダーのTimが沢山サポートしてくれた。彼は本当にいい人だ。超ベテランでしかも優しい

翌日の引継ぎはボロボロ。引継ぎ直前に夜勤中一度もなかったECMOの問題が生じての。外科が来てボリュームを上げたことで解決したものの、それまでのように何かの処置に付随して起きたんじゃなくて、突然始まったので原因もわからず、説明もちゃんと出来ず後の引継ぎだったのでね…トホホでした。

翌日は12時間シフトの人に引き継いだのでその時点で2日目ECMOはないなという理解。で3日目、リーダーはRだったのでやつはやらせてくれないかも…だったけど、看たいといったら受け持たせてくれた。フローが下がる理由はスピード設定だからということで納得がいくようになった。3日目は勤務入った時には既に、FGF7で SaO2 90%, PCO2 46, PO2 68 Σ(゚д゚lll)ガーン だったけど、朝方からよりようやく改善。改善のキィは夜中から始めた麻薬・鎮静剤増量と大量のブレイクスルー。Issuesは他にもあったけど、どれが影響して何ってのが、受け持つことで少しずつ見えてくるので、まだまだ教えてもらって学ぶことばっかりだったけど、いつかちゃんと看れるようになるためにね。それまではこれが大事なステップかと…。
朝は外科医の指示を抵抗せずそのまま受け入れ、しかも酸素化がよりよくなったから、v( ̄Д ̄)v イエーイ なんて思ってたら、ICUコンサルタントが来て偉い怒られた…私に怒ってるんじゃないって強調してたけど… その怒ってる理由を聞いて、フローの問題が更にクリアになった(怖かったけどね…すんげぇイカってたから)

今朝はまた12時間シフトの人に引き継いだので今晩は看れなさそうだけど、ECMOに限らず、去年勉強したものを「実践」に活かしていけるように経験数を増やしたいな と思います。
0

2009/1/23

無事完了  Diary in general

卒業式は病院の一角にあるカンファ室での簡潔なものでした。
でもACUの卒業式より感激度は高かったかも。講師のスピーチ中ウルウルしてしまった。
形式的にはACU卒業は映画に出てくるような黒のマントにインテリジェントな四角い帽子をかぶれたのでそれが感激だった記憶がある(笑)
ICUコースは勉強してきたことも実践に直接つながるものだったから経験・学び的にも、試練的にも"自分が知りたかったことを学べだ"という気持ちと、実際渦中に居る時はしんどい事が沢山沢山あったからね…それらを切り抜けられた自分への感激の気持ちもあって感動でした。

お偉いさんのスピーチで「プロフェッショナルになる第一歩だから。完了じゃない」なんて言葉があって、そうなんですよね ととても頷けた。勉強は当分はいいです…が素直な気持ちだけど、一方で去年は実践しながらといいつつも「基本は勉強」だったと思ってる。だから学んだ知識を実践化していくためには今度は経験して…場慣れして…"えっと…ちょっと待ってね"じゃなく、頭と身体が一緒についていく訓練が必要になんだろうなって。
それが出来るように慣れたら…という理想はあるけど、マイライフ単位で考えた時に、居残る理由が少し弱いかなぁ なんて。

前もって式後に遊ぶ約束をしてたので、前日突然誘ったらT氏が来てくれました。一緒に来てくれてとても嬉しかった。不思議なもので、勉強したくない…と思ってる一方で、あと1つ終わらせれば完全完了になるオンラインコースがきになったりした。…今学期は間に合わないけど、その意思が維持出来、更に今後ICUで仕事するチャンスがあるならこの先とってもいいかなぁ なんて思ってみました。

  
クリックすると元のサイズで表示します
0

2009/1/22

少しずつ だね  Diary in general

帰国に向けて具体的にしたいリストを眺めてたのね。
いつだったか、書き下ろしたんだぁ。
*具体的にしなくちゃいけないこと。
*こうしたいと思うこと。
*先を考えるなら情報収集してた方がいいと思うこと。
*帰国に向けて整理しなくちゃいけない手続き。
*帰国までにしたいと思うこと。

どこに就職する?どう働くことを希望する? と考えてると、どこに住むか(住みたいのか)?という問題が発生する。決まらないことが多くて何となく情報収集を続けてみる。先行きが不安になってきて…まぁ付随するものももろもろあって、偉く嵌ってしまった。自分で自身をハメるはなかったのだけどね…。

こうなって欲しいとかこんな条件がいいなんて、自分の思う通りにはいかないことって沢山あるもんね。日本社会も、自分を取り巻く周囲の人も、そして私自身も。こうでありたいって思う理想の自分像に近づくための自己矛盾が沢山あるんだと思う。ま、これについてはあれもこれも…って思ってるから発生する部分もあるんだとは思ってる。

自身にある固定観念?の中で、変えたいと思うところもあるけど、これでいいと思ってる部分も沢山ある。これでいいって思ってる部分であるはずなのに、留学してから今まで沢山お世話になった重要他者さんへの感謝の気持ちはないのかい…と思うような考え方をしてる自分に気付いたりして、そんなのも落ち込む原因になったわけですね。

大きな引越し+環境変化になるから不安になるのは当然か…と納得してみた。ただね、思いがけずに陥ったので、せっかくの卒業式の当日に重い気持ちになったりして微妙な出来事だったかなぁ。ま、いづれ考えないといけない事だから、これが次の自分の課題か と思ってます。
0

2009/1/21

救急の仕事  Diary @ work

去年10月に激しくパニクった記憶からすると復活EDは充実したものでした。
"ここで働きたい"とは思わなかったけど、"救急看護も学んでみたい"とちょっと思ったりした。
仕事中、ED新人+よそもの的な不慣れさがあるのは自分に限らず誰にでもある障害とは思ったけど、コミュにまつわる信頼度の低さは自他共に明らかだった。速い展開はね…なので時間がかかるし、一度Amboさんに「誰も居なくていいの?」と言われた事もあった。明らかに私に引き継ぐのは不安だったのでしょう。その時は自分で受けたし、のろいながらも必要事項は取れたと思った。でも一通り引継ぎが終わってamboも退散って頃に別のスタッフがやってきて、救急隊はもいちど引継ぎしなおしてた(というか、別のスタッフは的をついた質問をリズミカルにするから答えてたという感じ)でそーいうのをみると、救急時のリズム・情報収集速度・迅速なケア提供についていけてない自分を感じた。

EDでの勤務中に自分が出来ること・出来ないことを明瞭に出来てよかった。自分の能力や限界を知ることはケア提供をする上で重要だから。最初の頃は受けた患者さんに次に何が起こるのかわからなかった。すると患者さんに説明が出来ない。EDにはABCDに基づくPrimary surveyと、次に行うSecondary surveyがある。最初の評価で緊急を要さなければその場ですぐなんちゃら…という対応はない。トリアージされてきた人を自分が受けてOKなら先生がくるのを待つだけ。自分が受けた時に気なる情報があれば、待つんじゃなくて先生にアプローチする。

蘇生エリアにくる人は薬物系・脳神経系・心臓系・交通事故全般・転落・大量出血などなど。それぞれのケースに対して、ルチーン化してるパスウェイが2週目くらいから見えてくるようになった(それで、居心地の悪さが随分緩和された)。
最後の週に重症が連続することがあって、その時は次が来ませんように…と思ったりもしちゃったね。重症がくることが嫌なんじゃなくて、重症が続く(重なる)ことが不安だったのねぇ。結果から言うと、うちのED広いので忙しくないエリアで働いてる人がフォローに入ってくれて沢山助けて頂いたわけですが。そしてフォローに来てくれた人が主体になって、自分はそのフォローをするなんていう情けない参加の仕方をするのでありました
CVAにてPelvic#、APO、CP+Grand mal、Falls、CPAと続いた日もあった。
翌日には転落で頭部大出血のホラー映画のような血だらけ頭皮がぺろりとむけてますってじぃさんに始まり、APO、Asthmaticus、Asthma+DrugODと続いてヒヤヒヤもしました。1つずつじゃなくて、前が落ち着いてない時に次が と続くと対応困難になっていく。そして主体路線からフォロー路線にそれるわけです。 

10月のEDは重症が続く印象が強かったけど、再EDは暇な日も一杯あった。特に1週目とか。暇すぎて、課題資料を眺めてる時もあったくらい(笑)暇から忙しくなったのは偶然だったけどありがたい偶然でした。

SVHの蘇生エリアは訓練されたEDスタッフのみが働いてる。私はコースって理由があったからResusBayにダイレクトに入りそこのみの勤務だったけど、ちゃんと段階を追ってやってきたEDスタッフはすごいなぁと思った。アセスメント能力も、患者さんとの距離も。始めは患者さんとの距離にEDナースって患者さんに冷たい…なんて印象があったけど、あとになってケアをしなくちゃいけない視点をわきまえてるんだなぁって思えました。

EDに来る人なんてレベルはなんであれ緊急を要したと思ったから来てる人たちで不安なはずなのに、ED的立場で安定と感じたら精神ケアを無視していいのか?なんて疑問はあるけど、必要な時に心身共の対応が出来るというのは確かに一番大事なことだろうと思うし、それが確立してる彼らはすごいと思った。

嫌々なEDだったけど経験できてよかったなぁと最終的に思えて本当に良かったと思う。実際興味度が少し高くなったかな?
(日本のEDシステムはよくわからないながらも、絶対的な条件に問題があり過ぎて微妙な印象だし、だから違った意味で怖そうだけど…)
0

2009/1/16

やりました!  Diary in general

残りのED勤務にすごく構えてたんだぁ。
EDにいるから病棟で働けないし、なのにスキルが残ってて終わるのか本当に不安だったんだよ。そんなスキルが嫌々だったけど終えられたんだ!
EDは最初の数日は多少あったけど、徐々に変な嫌悪感やストレスなく毎日が過ぎるようになった。

透析は一部不合格でやり直したけど、本日PiCCOとCVVHDの一部をやって無事合格!Debにも凄く褒めてもらえて嬉しかった。彼女から「一時は諦めそうだったもんね…」って初めて言われた。

確かにそうだった。一時は完了できなかった時どうやって自分を納得させるかって真剣に考えてたもんね。後期はなかなか複雑だったから。遅れをとり、EDで異常に萎縮したり、そのうち自信なくなって、コースを続けることが看護や自分の英語力への自信喪失につながるなら大問題って思い始めてた。何度もコースを取ろうと思った時の動機・モチベーションを振り返ろうとしてたように思うけど難しかったね。
ACUで勉強してた時は豪でナースになるんだって確実な目標があった。
今回の勉強はわざわざ言葉のハンデを抱えてやった先は日本帰国。英語環境はない。日本のICU経験もない。そもそもICUで働けるのか?働きたいのか?確実な目標がないのに、窮地に追い込まれるのはなかなかねぇ でした。

スキルは凄く嫌だったけど、ここ2ヶ月くらい何度も病棟に足を運びアセッサーを探したり、先輩ナースからチートしたりしてたので、終わった時何人かがわざわざ褒めに来てくれたよ(おぉ!感動)
更に言うなら、すんごく嫌だったのは確かだけど、スキルって形でやらされたお陰でなんちゃって知識が理論に基づくものになってったと思うからそれについては頑張れてよかったと思ってる。スキルはいわゆる試験勉強。一時的な詰め込みだから使っていかないと忘れるってこともわかってるけどねぇ。

ED勤務とEDパッケージが終わってないんだけど、スキルが終わって初めて「卒業できる」って気持ちになった。ってことで新しい手帳を買ってみた(笑)

Cityに買い物にいって好きなものを買った。といっても買わなきゃいけなかったものたちだけどね(笑)この1年ずっと、次のプランを立てる時課題のプラン、スキルのプランだったからさぁ。時間をいつも気にして、気分転換に街に行く時も"もしもやる気になったら…"って資料と辞書を持っていつでも図書館にいける様に とかそんなんだった。切り替えや気分転換の仕方に問題があるのは自覚してるんですがねぇ…。

そんな不器用さんなのでたいしたことをしたわけでもないのに、ただ勉強っていう拘束感がなくフラフラできた事にとても幸せを感じたのでした。
コーススタディ以外のことを考え始めて少しワクワクしちゃった (´∀`*)ウフフ
0

2009/1/9

ま、しゃーないけど。  日常・たわ言

ICUSが終了してホームに戻れたのはクリスマス時期。ICUはガラガラで、年休を取ったり勤務に行っても病棟だEDだ一般だとまわされ、結局ホームで働けたのは3日くらい?
患者さんがいなければしょうがない。別に誰のせいでもないけど、その2週間はスキルにとっては重要な時期だったのに重症ケースも機械もないってことでスキルは出来ず。周りのお祭り気分に影響されていざという時のために「自分の準備をする」って作業はする気になれなかった。でも決して全く怠慢はってたわけでもなくSuper super behindだったところからある程度は抜け出せた。年休はスキルに費やし、休日に予約をとって1つでも進むように頑張ってたわけです、ええ。そのお陰でEDが始まる前に残6まで到達。

トラウマになってしまったPacingをED前に終わらせたかったんだけど、アセッサーとの予約関係&自身の大混乱のお陰で3度目の正直までかかってしまった。2度目は時間切れで完了できなかっただけだけど、実際偉く厳しかった。5日はED初日とPacingがぶつかっちゃったので疲れ呆けて激しい頭痛と疲労に見舞われた。

いいんだ、これは。。。別にしょうがないと思ってる。
Pacingで病棟に上がっ日PiCCOさんがいた。ACNEから「今日帰ったら勉強して明日必ずスキルやりな」と促された。
…出来るはずがねぇ…疲れてるんですって言うたやんヾ(・∀・;)オイオイ
状態でした。その後IABPケース3例とCVVHD1例と普段のICU環境に戻った…スキルに必要な症例がいっぱいですよ。でも私EDです。透析のフィルター交換時、あらかじめ状況を説明してこの環境を考慮してもらって融通が利く環境にはおらんのですよ。なんか不公平よね…なんでこの時期EDやねん

PiCCOは逃しちゃったけど、一昨日連絡もらってIABPの準備しました。EDは最初の3日間ほど相当疲れてたけど少し慣れてきたらしい←このお陰で昨日は勤務後にIABPがそれなりに進んだ。手持ちの資料では足りなくて今朝は病棟6時過ぎに出勤シャキーンッで足りない資料と機械の確認。IABP患者を最後にみたのはいつだろう??去年の8月?とかですかね…。
自信はなかった。特にトラブルシューティングについてはPacingでも嵌ったし、今回もKSとだったからこの状態での初回パスは期待してなかった。
が、パスした! すげーっ ちょっと驚き。今回のアセスはPacingに比べるとシンプルだった気が…。予定外にIAPBが終わったお陰で残3へ。

一般に透析さんがいるんだけど先生に聞いたら週末中に終わるね だって。
月曜日にスキルブックしてあるんだけどなぁ…。日曜日はCNSがいない。するなら明日の午後。無理かなぁ…週末にCVVHDが終わったら、ontime completionはほぼ100%確実になるんだけどなぁ…。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ