2009/1/21

救急の仕事  Diary @ work

去年10月に激しくパニクった記憶からすると復活EDは充実したものでした。
"ここで働きたい"とは思わなかったけど、"救急看護も学んでみたい"とちょっと思ったりした。
仕事中、ED新人+よそもの的な不慣れさがあるのは自分に限らず誰にでもある障害とは思ったけど、コミュにまつわる信頼度の低さは自他共に明らかだった。速い展開はね…なので時間がかかるし、一度Amboさんに「誰も居なくていいの?」と言われた事もあった。明らかに私に引き継ぐのは不安だったのでしょう。その時は自分で受けたし、のろいながらも必要事項は取れたと思った。でも一通り引継ぎが終わってamboも退散って頃に別のスタッフがやってきて、救急隊はもいちど引継ぎしなおしてた(というか、別のスタッフは的をついた質問をリズミカルにするから答えてたという感じ)でそーいうのをみると、救急時のリズム・情報収集速度・迅速なケア提供についていけてない自分を感じた。

EDでの勤務中に自分が出来ること・出来ないことを明瞭に出来てよかった。自分の能力や限界を知ることはケア提供をする上で重要だから。最初の頃は受けた患者さんに次に何が起こるのかわからなかった。すると患者さんに説明が出来ない。EDにはABCDに基づくPrimary surveyと、次に行うSecondary surveyがある。最初の評価で緊急を要さなければその場ですぐなんちゃら…という対応はない。トリアージされてきた人を自分が受けてOKなら先生がくるのを待つだけ。自分が受けた時に気なる情報があれば、待つんじゃなくて先生にアプローチする。

蘇生エリアにくる人は薬物系・脳神経系・心臓系・交通事故全般・転落・大量出血などなど。それぞれのケースに対して、ルチーン化してるパスウェイが2週目くらいから見えてくるようになった(それで、居心地の悪さが随分緩和された)。
最後の週に重症が連続することがあって、その時は次が来ませんように…と思ったりもしちゃったね。重症がくることが嫌なんじゃなくて、重症が続く(重なる)ことが不安だったのねぇ。結果から言うと、うちのED広いので忙しくないエリアで働いてる人がフォローに入ってくれて沢山助けて頂いたわけですが。そしてフォローに来てくれた人が主体になって、自分はそのフォローをするなんていう情けない参加の仕方をするのでありました
CVAにてPelvic#、APO、CP+Grand mal、Falls、CPAと続いた日もあった。
翌日には転落で頭部大出血のホラー映画のような血だらけ頭皮がぺろりとむけてますってじぃさんに始まり、APO、Asthmaticus、Asthma+DrugODと続いてヒヤヒヤもしました。1つずつじゃなくて、前が落ち着いてない時に次が と続くと対応困難になっていく。そして主体路線からフォロー路線にそれるわけです。 

10月のEDは重症が続く印象が強かったけど、再EDは暇な日も一杯あった。特に1週目とか。暇すぎて、課題資料を眺めてる時もあったくらい(笑)暇から忙しくなったのは偶然だったけどありがたい偶然でした。

SVHの蘇生エリアは訓練されたEDスタッフのみが働いてる。私はコースって理由があったからResusBayにダイレクトに入りそこのみの勤務だったけど、ちゃんと段階を追ってやってきたEDスタッフはすごいなぁと思った。アセスメント能力も、患者さんとの距離も。始めは患者さんとの距離にEDナースって患者さんに冷たい…なんて印象があったけど、あとになってケアをしなくちゃいけない視点をわきまえてるんだなぁって思えました。

EDに来る人なんてレベルはなんであれ緊急を要したと思ったから来てる人たちで不安なはずなのに、ED的立場で安定と感じたら精神ケアを無視していいのか?なんて疑問はあるけど、必要な時に心身共の対応が出来るというのは確かに一番大事なことだろうと思うし、それが確立してる彼らはすごいと思った。

嫌々なEDだったけど経験できてよかったなぁと最終的に思えて本当に良かったと思う。実際興味度が少し高くなったかな?
(日本のEDシステムはよくわからないながらも、絶対的な条件に問題があり過ぎて微妙な印象だし、だから違った意味で怖そうだけど…)
0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ