75の「沖縄ノート」を書きながら、去年の夏の終戦記念日前後、それはこの時期毎年多くのそうした番組が作られるのだが、主に太平洋戦争について作られた番組を出来るだけ見ようと収録しておいた中に、「沖縄戦」に関しての番組が幾つかあることを思い出し、中の2本を見ることにした。
その時DVDに録画した番組は約二十本。殆どがドキュメンタリーだったが、今回僕が観たのは映画とドキュメンタリー。
先ずは映画だが、『激動の昭和史 沖縄決戦』というのがそのタイトルだ。
監督・岡本喜八
脚本・新藤兼人
製作は東宝。
岡本喜八と言えば、
『独立愚連隊』(1959)、『江分利満氏の優雅な生活』(1963)、『侍』(1965)、『日本の一番長い日』(1967)、『肉弾』(1968)、『赤毛』(1969)、『吶喊』(1975)、『ジャズ大名』(1986)などが代表作で、時にオカルト的な作品もあるが、僕はこの人の映画は男の生き方を暴力という観点からフイルムに描いていると観る。
一方、新藤兼人は脚本家としてもこの他に、『しとやかな獣』(1962・監督川島雄三)、『けんかえれじい』(1966・同鈴木清順)、『ハチ公物語』(1987・同神山征二郎)などがあるが、より監督としての活躍、攻勢が上回る。
『原爆の子』(1952)、『縮図』(1953)、『第五福竜丸』(1959)、『裸の島』(1960)、『母』(1963)、『鬼婆』(1964)、『本能』(1966)、『裸の十九才』(1970)、『ある映画監督の生涯・溝口健二の記録』(1975)、『竹山ひとり旅』(1977)、『絞殺』(1979)、『午後の遺言状』(1995)などがあり、僕の印象は、時に前衛、時に社会派、常に人間の闇を見ようとする監督というものである。
立場を弁えぬまま言わせて貰うなら、「映画を目的にしている岡本喜八」と「映画を手段にしている新藤兼人」というおふたりではないだろうか。
余談だが、岡本喜八が2005年81歳で亡くなったのに対し、新藤兼人は2008年に至っても95歳・現役で映画を撮り続けている。
そしてこのふたりが監督、脚本を務めた作品はこれ以外にない。(筈)
そんなふたりが、意気投合?営業方針?義理人情?それとも酒席のノリ?何故か判らないが一本の映画を撮る事になったのだ。
『激動の昭和史 沖縄決戦』
1971年の作品である。
この映画は『日本の一番長い日』(1967・監督岡本喜八)のヒットに気を良くした東宝が、その名も「8・15シリーズ」としてシリーズ化した中の第5弾である。
同シリーズの他の作品は、
『連合艦隊司令長官 山本五十六』(1968・監督・丸山誠治)
『日本海大海戦』(1969・監督・丸山誠治)
『激動の昭和史 軍閥』(1970・監督・堀川弘通)
『海軍特別少年兵』(1972・監督・今井正)
このシリーズ全体に言えることだが出演者が凄い。特にこの『沖縄決戦』は東宝オールキャストと言って良い。仮に僕が知っている人達を挙げるだけで、
小林桂樹
仲代達矢
丹波哲郎
池部良
鈴木瑞穂
神山繁
東野英治郎
寺田農
浜村純
加山雄三
川津祐介
井川比佐志
高橋悦史
中谷一郎
橋本功
岸田森
佐々木勝彦
滝田裕介
田中邦衛
天本英世
藤原鎌足
船戸順
藤岡重慶
地井武男
睦五郎
玉川伊佐男
佐原健二
山内明
佐々木孝丸
三井弘次
大空真弓
酒井和歌子
丘ゆり子
大谷直子
南風洋子
昭和30年代から今に至るまで映画、テレビを主役で脇役で支えてきた人達ばかりだ。この他、総勢100名は超える出演者数である。若い方は何人をご存じか。
その顔ぶれは、当時の東宝の俳優陣を考えると、出演していないのは女優さんはさておき、男優では三船敏郎ぐらいである。
さて、映画の中身に入る前に、是非「沖縄戦」の概略を示しておこう。
沖縄戦は昭和20年3月26日、総兵力54万の米軍の一部が慶良間諸島に上陸して始まった。
迎える日本軍は、沖縄守備軍8万6千と海軍陸戦隊1万。それに現地召集の学徒隊約2万、合わせて11万6千。その終焉は3ヶ月後の6月23日、沖縄守備軍司令官の自決だった。
無論、それで沖縄の戦闘全てが終わった訳ではなく、大本営の意向と沖縄軍の意地が壊滅状態の日本軍に悪あがきを続けさせ、終戦後までも犠牲を出し続けたのである。
その間の犠牲者は日本側、18万8千。そのうち沖縄民間人が9万4千。なんと5割だ。アメリカ側は死者1万2千。負傷者7万2千。
一般市民をこれほどまでに犠牲にした戦闘は存在しない。人類史上最悪の戦闘と言われた沖縄戦の悲しくて、腹立たしくて、信じられない戦果である。
さて、映画の舞台は当然沖縄で、主役は沖縄守備軍司令部の3人、
司令官牛島満中将(小林桂樹)
参謀長長勇中将(丹波哲郎)
高級参謀八原博通大佐(仲代達矢)
である。
沖縄守備軍とは大本営の作戦にのっとり沖縄の守備防衛の任に当てられた第32軍のことで、第9師団、第24師団、第62師団に第5砲兵司令部を混成した軍隊であった。
全体を知る為に、ここで太平洋戦争における日本陸軍の組織図のおおまかなお勉強。
分隊 =約16人(最小の戦闘単位)
↓
小隊 =約50人(分隊×4)
↓
中隊 =約200人(小隊×4)
↓
大隊 =約800人(中隊+特別中隊+本部)
↓
連隊 =約2千人(大隊+通信隊+連隊砲大隊+本部)
↓
師団 =約1万人(3連隊+特科連隊+司令部)
↓
軍 =数個師団
↓
方面軍=数個軍(※終戦時には17個存在)
↓
総軍 =数個方面軍
第32軍とは上図の上から三番目に位置する大組織であった。
これらの「軍」は終戦までに約50個が創設された。無論、同時に創られ、同時に無くなったのではなく、戦況の中で発生し、戦況の中に消滅して行ったのである。
因みに第1軍は北支に、第10軍は中支に、第17軍はソロモン諸島に、第27軍は択捉島に、第33軍は北ビルマにと言った具合だ。そして、僕が調べた範囲内だが「全滅」と記されていたのはこの第32軍のみであった。
映画はこの第32軍の動静を軸に描かれている。無論、知事や校長など島民も多く出てくるが、主役と言い得るような役を割り当てられている人はいない。沖縄で現地召集させられた中学生や、ひめゆり部隊の少女も登場するが、彼らも軍の側の人間である。
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さて映画の中身だ。冒頭、「作者の創作を加えた」というクレジットが出てくるが、並べて沖縄戦の事実(事例)を広く描いていて、実戦のフィルムや遺言書、そして死者の数などが入る。一言で言うなら「沖縄戦の教科書みたいな映画」である。
■先ずは昭和19年7月サイパン島陥落。いよいよ追い詰められた大日本帝国の焦りと沖縄の軋轢、齟齬が描かれる。
■何があっても本土手前で米軍を食い止めなければならない大本営は沖縄に急拠大兵力(第32軍)を送り込んだ。新司令官は牛島満中将。
■しかし牛島の部下八原参謀の作戦はサイパンの失敗に学び、洞窟陣地による持久戦を主張。これは大本営の沖縄各地に航空基地を設営し米機動艦隊と航空決戦を行なうという構想と真っ向から対立。
■だが大本営は航空参謀を派遺して強引に飛行場を設営させる。更に、この後、大本営は戦果の誤報に寄り沖縄守備軍から第9師団を台湾へ転出させ、守備軍を更に弱体化させる愚挙を犯す。
■また日本政府は婦女子・老人の本土への疎開を沖縄県に命令するが、その第一陣の対馬丸が米潜水艦に撃沈され、県知事泉(浜村純)は疎開政策に消極的になり、更に一般市民を戦闘の危機に巻き込む結果となる。
■後任となった知事・島田叡は着任早々、北部山岳地帯への老幼婦女子の疎開を実施、島民は更に戦禍に!
■やがて県庁も首里の壕へ引っ越し、軍司令部も首里城の大地下壕へ移動。
■その頃、防衛召集によって十七歳から四十五歳までの男子約二万が陸軍二等兵となり、師範女子部と一高女生徒二百九十人名は特志看護婦として南風原陸軍病院に勤務、師範男子二百八十五名が卒業と同時に勤皇隊として斬込隊に、或いは軍司令部情報部勤務の千早隊などに編成されていった。
■昭和20年3月中旬、米軍による総攻撃開始。この攻撃で渡嘉敷村の村民390名が日本軍から支給された手榴弾により集団自決。
■これより米軍によって南北を分断され、組織的な攻撃が出来なくなった日本軍の絶望的な持久戦が始まる。御真影を抱えて司令部まで逃げてきた学校長の照屋は、御真影の包みを爆弾と誤解した兵士に射殺される。
■大本営は、戦艦大和を旗艦とする水上特攻「菊水作戦」の失敗から沖縄戦を諦め、方針を本土決戦に切り替える。
■第32軍は5月初旬、米軍に総攻撃を仕掛けるが、航空戦力による援護のないまま沖縄本島南端のマブニへと撤退を余儀なくされる。これにより戦場に取り残された市民や傷病兵たちは軍から支給された青酸カリを煽り、或いは手にした剃刀や手榴弾で自決していった。
■そして6月下旬、マブニの軍司令部で牛島中将と参謀長の長勇が自決。唯一残った八原は島民たちを救うため米軍に投降する。
■しかし米軍の攻撃はなお止まず、島民の悲劇は続く。ある者は発狂し、ある者は米兵の火炎放射により洞窟の中に焼き殺される。
■下半身の無い母親の背中で泣く子。「ふるさと」を歌いながら自害する先生と女子生徒。両手両足を失いながら泥田の中を這いずり回る兵士。我が子の首を刎ねて自らも死んでいく父親。惨劇は積み重ねられる。
■沖縄戦は全島民3分の1に相当する15万人が死んで終結。その中を生き延びた一人の孤児は、死体の手にした水筒を取ると水を飲み干す。その向こうには累々たる死骸の山の向が。
まだまだいろんなシーンがあった・・・
『沖縄ノート』との関連でいえば、この映画は「日本軍は島民の集団自決に積極的に関与していた」と判断していることになる。
そして沖縄戦の事実は選ばれている。だから、社会科教科書の「沖縄住民の集団自決」の文章から「軍による強制があった」ことを削除する多くの検定教科書よりは、この映画は教科書として価値はある、と、僕などは判定するのだ。
ですから、そういうモノとしてはお薦めする。
但し、やはり映画だ、役者の台詞は演じきられているが、その間と誇張にリアリティは希薄だ。
実は、今回この映画を見て一番感じたのはそこだ。
はしなくも物を創ると言う仕事をやっている僕が折に触れ考えさせらることがそこにあったのだ。
それは事実と創作の関係。ある事実をそのまま創作するという作業の意味である。この問題には僕は相当懐疑的だ。しかし、その懐疑的状態のまま確たる答えを今のところは持ち得ていない。
つまり、この映画『沖縄決戦』のように、事実を詳細に克明に調べて、出来るだけそれを忠実にドラマとして再現するという創作方法への疑問だ。
只、それらは一様でない。事実の量。創作部分の量。事実への視点。意図、思想の方向性と量、などなど。
しかし、映画は映画、何処まで行っても作りものだ。自ずと事実とは違う。例えば、
▼台詞は台詞だ、必ずしもその事実の時と場所で当該人物が吐いたものとは内容、言い方、共に違うはずだ。
▼そして、その時の表情、動き、感情の起伏、事実とは同じではあり得無い。
▼更に当たり前だが、役者だ。事実の本人とは顔も体も声も別だ。
それでも、これが事実だと言いますか!
殆ど言い掛かりとも言える指摘だとは思うが、それでも、或いはだからこそ事実を映画にしたいとする衝動に疑問を持つのだ。
それで出来上がったものの似非加減は相当ですよ!
勿論、監督=演出により、その事実との差の大小寡多は違って、僕の感じ方も相応に違ったりするのだが、畢竟、その制作態度は「事実は小説より奇なり」という、モノを作る者が言ってはいけない事を認めていることであり、「小説より奇なる事実より奇なる小説(モノ)」を作らなければならない義務と権利の放棄ではないかとさえ思うのだ。
そして、大言壮語させて頂く。
「小説より奇なる事実より奇なるモノ」は「笑い」!
う〜ん、以上は現状であり、問題提起であり、答えではない。しかも言葉足らず。いつか、僕自身がもう少し答えに近い何かを書ける時が来ればと、そう思う58歳の現在を記しておくと言う仕儀だ。
そして、もう一本はテレビドキュメンタリーだ。それぞれが沖縄戦を描いているのだが・・・・・