KAZUKIのほのぼの日記

 

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投稿者:KAZUKI
幸喜さんへ

すいません、難しい問題ですm(_ _)m
投稿者:KAZUKI
みつるさんへ

今は、チベットで暴動が起きてますね。。。
投稿者:KAZUKI
カテジナさんへ

はい、大丈夫です。騙されません!!
投稿者:幸喜
かっこいいかどうか分かりませんが、JWPホームページのカズキさんの画像を叔父に送りました。

2001年9月11日、世界貿易センタービルに二機の旅客機が突っ込んだ後、空には戦闘機が舞い、後続の突入を警戒していた。
新たな旅客機が突入しようとした場合、戦闘機のパイロットは撃墜を命じられていた。
撃墜するということは旅客機を乗っとったテロリストのみならず、何の罪のない乗客を巻き添えする事になる。
撃墜しなければ自分の手は汚さすに済むものの、突入先の地上の人々にまでも被害が拡大するのは自明の事である。さて正義とは?

戦闘機のパイロットは撃墜命令を尊守する事が当然の義務であり、これを果たせば軍人の正義と称えられよう。
だが、何故俺が罪なき民間人(乗客)を殺さねばなないのか?と考えが生じた時、彼の正義は揺らぎを見せる。
しかし次の瞬間に「ここで俺がやらなければ更なる惨劇を引き起こすではないか…」と自分に言い聞かす事になる。
軍人としての正義と一個人としての正義は究極においては同じなのか?それとも違うのだろうか?

戦闘機のパイロットに残された「軍人としての正義」と「人としての正義」の両道を立て得る可能性は、第三の道である「体当たりによって旅客機を撃墜する事」これ以外にないのかも知れない。
己の命を賭した正義によってのみ、軍人としての正義と人としての正義を共に貫徹し、正義を見出す事が可能になるのかも知れない。

生命尊重のこの時代、命より尊い正義なんてあるのか?と考えるのが一般的でしょうが…。
このパイロットの心中は、地上の人々の生命を尊重するが故、敢えて己が殺人者となり、更にその道義的責任を全うするため、体当たり(死)という道を選ぼうとする意志である。

果たして、そうした意志は戦争の愚かな産物なのでしょうか?
僕は起きてしまった過去を現在の価値観でのみ裁けない人間の方が愚かだと思います。

出過ぎた真似して済みませんでした。これでも作家として執筆をしていたもので…。
投稿者:みつる
カズちゃんさんは若いから知らないと思いますが、昔は大学生の学生運動なんて暴動があったり、穏やかじゃない時代もあったんですよ!
一昔前はイギリスでしょっちゅうテロありましたし、カズちゃんさんの昭和50年代以降の子達は本当に平和な時代を過ごせて幸せだと思います!
でも漫画好きなカズちゃんさんなら、平和ばかり続く漫画はつまらないでしょ?
銀牙伝説も熊と闘ったりしてますしね(笑)
投稿者:カテジナ
だからと言って変な団体に騙されちゃダメよ
まだあなたが中学高校の時に薬害エイズが問題になったの、覚えているかしら?
あの時の大学生や若者は怒り、正義に向かって立ち上がったわ
でもね、それを利用する左翼団体やキリスト教団体が上手い事言って取り込もうとしたの
何かが起こると必ず裏がある事を覚えておいてね
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