私には、たった一人だけアメリカ人の友達がいる。
彼女は私より一歳年下で、誕生日もほぼ一緒。
性格も似ている所が多いので、ほぼ数カ月は連絡しないんだけど、
思い出した様に「買い物に行くかね?」と
一緒に出かけたりする。
しかし、仮に名前をHとしよう、Hは普通のアメリカ人ではない。
高校生の時に日本に留学していたのが原因しているのか、
かなり日本人的なアメリカ人だと思う。
私達の普段の会話は、出会った頃は日本語が90%だったのが、
私が学校へ行き始めた頃を境に段々変わって来て、
今は私が英語を話して、彼女は日本語を話す、という
もちつもたれつ会話術になりつつある。
それ位、言葉も未だ、覚えている。
ちなみに、彼女の得意技(と言うのか?)は「ちょい待ちぃ〜」。
子供は二人いるのだが、二人とも日本語のミドルネームを持っている。
めっっっっっちゃ白人で、めっっっっっちゃ赤毛と金髪なのに、
ケンジとケイコというのだ。もちろん、漢字だってちゃんとある。
命名の日には、日本でホストファミリーだった家族が
わざわざ半紙に墨も黒々とそれを書いて寄越し、
ちゃんとそれを居間の上座だかに飾っていた程の日本通だ。
でも、もちろん、アメリカ人だから物ははっきりと言う。
私は日本人の割には物をかなりはっきり言う質だから、
それで気性的にも合うのかもしれない。
そんなHの家に昨日フラリと訪ねた。
昨日のベイエリアは大変に暑かったから、Hは家の中でバテていて、
「もう、暑いよねぇ〜、やだよ、もう」と日本語で言った。
それから、ちょっとした用事もあった訳だから
それをした後に、二人で彼女の寝室に上がって、
今度彼女が始める新しい仕事の話しを聞いた。
それも終わって、部屋を出る時に、その部屋の出入り口の所に
大きな本棚があるのだけど、
そこに『もちもちの木』という、懐かしい懐かしい絵本が
あるのに気づいた。
「あ!これ、もちもちの木じゃん!超懐かしい!」
「あ?本当?」
「うんうん、これさぁ、私、6歳の頃、うんと読んだんだよ」
「ええ?そんな昔からあるのぉ〜?」
「そうだよぉー、ああ、懐かしい、時々思い出すんだよねぇ」
そこでHは別の本を取り出して、
「ねね、これ、見て、私、これが好きなのよ」と言った。
「何?」
「これね、日本人の絵本なんだけど、ちゃんと英語に訳してあるの」
その本は母親のいない鳥の子供がお母さんを探して歩き、
やがて熊のお母さんに出会って、そのお母さんに引き取られる、
という内容の本だった。
そして、念願の母親を得て、鳥の子供が熊の家へ帰ると、
そこには子豚、小ワニ等々、決して熊ではないのだけれど、
でも、れっきとした熊の子供である子供達が待ち受けているのだ。
「関係ないの。関係ないのよ、みんなお母さんになれるのよね」
「うん、そうだよね」
と本の最後のページを読みながら、二人で泣いた。
Hの子供は、実はHが生んだのではなく、養子養女にした子供達
だったのだ。
アメリカで養子縁組はあまりにも普通の事だから、
私はその事実を知っても、何も思わなかったのだけど、
そして、多分、当の本人もいつもいつも何かを、その事について、
思っている訳ではないと思うのだけど、
でも、二人で泣きながら、
それは私がそういう風に思っているだけで、
Hは時々、もしかしたらしばしば、子供達について、
色々と私の考えが及ばない事を考えているし、
その二人の子供との出会いについて、
心の深く、思う所が沢山あるのだ、という事に私は初めて気づいた。
この人が、本当に愛おしい、と思った。
一生、良い友人でいるように、本当に努力しようと思った。
きっと、これからも私達はダランダランだから、
頻繁に連絡を取り合う事もないのだろうけど、
でも、心の底から繋がっていたいな、と思うのだ。
100年後に電話しても、
「あら、今日は何してる?」と昨日まで
会っていたかの様に振る舞える、そういう友人でいたいな、と。
なんだか、そんな風に思ったんだぁ。

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