思えば、去年一年間はぬるいクラスをぬるぬると取っており、
今年は自分で望んだ訳ではなく、必然的に少々難しいクラスを
取る事になった訳だが、振り返ってみると、
そういうクラスから学ぶ事は、学術的な事以外に学ぶ事も
相当に多かった事を今更ながら、身にしみるように思っている。
生物では、生徒としての自分の内面を垣間見た様に思った。
話す事が苦手なので、出来る限り話さない、というスタンスは、
「私は大人しい生徒なんだ」と自分で自分を思わせる行為へと、
知らない内に発展していた。だが、ある日の生物のクラスで、
クラスルームにはネイティブが5、60人はいようか、という
状況の中、誰も答えられない教授の問いに、
衝動的に手を挙げて答えた自分は、いわゆる、自分の再発見であった。
私は決して『大人しい生徒』なのではなく、
『大人しいフリをしている生徒』なのだ、と気づく瞬間で、
日本語、英語の壁が取り払われた暁には、
私はとてもアグレッシブな生徒になるんだなぁ、と
自分で自分に衝撃を感じる程であった。
またこのクラスにて知識に対して貪欲になった。
日本の12年に及ぶ学生生活を含めて初めて、
「知識を得るという事は楽しい!」と自覚させてくれる学科となる。
そうして、転じて今学期。
myprofessorサイトでよくよく確認して、選んだ教授による
英語のクラス。本当に楽しかったけれど、ネイティブではない
私にはなかなか厳しいクラスとなったのは、ここにも何度も書いた。
しかし、クラスに入ってよくよく観察してみると、
ネイティブにとって楽しく、
彼らが活躍できるディスカッション以外は、
このクラスはネイティブにとっても難しいクラスである事が判明。
エッセイが返って来る度、
「どうだった?」と私に聞いて来る生徒が数人いたが、
4度目のエッセイが前回のに引き続きA-だと知ると、
その内の一人が
「あなた、もしかしてこのクラスでA取れるんじゃない?」と
半ば恐ろしげに呟いた。
まぁ、もの凄く書く事にストイックな教授だから、
身を以てして、このクラスでAを取るのは指南の技だな、と感じた。
その他にも、白人の多くはB-からC-に集中している事も判明。
そう言えば、myprofessorでも
「楽しい!でも、良い成績を出すのは難しいかも」と何人もの
生徒が書き込みをしていたっけなぁー。
が、このクラスでは書く事も大変沢山の事を習い、
時制、前置詞、冠詞、又、読解力とそのスピードに関しても、
得る事が多かったと実感できるクラスだったが、
非学術的な事においては、
『自分を信じる事』について哲学し、ある種のセオリーを
自分の中に導けた事が一番の収穫だったかもしれない。
このクラスを8月の半ばに受け始めて痛感したのは、
一番難しいのは、英語の本を読む事でもなく、
英文をひたすらに書く事でもなく、冠詞をどこに置くのか、
動詞の後ろで一々変わる前置詞の選択法でもなく、
自分を信じる、という事だった。
どんな風に目標を立てても、そこに到達しない人が多いのは、
途中で自分には出来ないと無意識に結論を出してしまう事が
一番の原因に違いない、と苦しみながら思った。
自分の『出来ない事柄』との遭遇は悲しみと苦しみが
自分の前に立ちはだかる事が先行する。
そして、それを乗り越えた後には、その数倍の力を持った
喜びが控えている事を微塵もにおわせない。
すると、人はその嫌悪感や絶望感のみに目を奪われ、
取りかかる前に「出来ないんだ、自分」と勝手に結論を
急いで、そこを自分から立ち去ってしまうのだ。
告白するなら、何度も何度も、私も立ち去りたかった。
言い訳はいくらでも存在する。
「日本人なんだし、これくらい英語書ければいいじゃん」
「アメリカ人だって、そんな大した事書けないんだから、
日本人の私にしたら、教授が何と言うと、上出来」
「この年になって、何がしたいんだろう」
「この年でこれやって、無駄じゃない?」
「この年からバチェラー取って、マスターとって・・・、
あまりにも壮大過ぎるから、ここでやめといたら?」
etc,etc,etc!
でも、立ち去らなかったのは、一重に他所様からの
何気ない「頑張ってね」であったり、
一番心の芯となったのは、小学校時代の恩師の、
「何としても、やり遂げてね」という言葉だった。
たったそれだけの事で?・・・と、思う人には思われるだろうが、
自分でも驚いているのだが、言葉の持つ力というのは、
それ程までに絶大なのだ。
そして、それらの言葉を支えに、なんとか踏ん張っていると、
ちょっと楽になる。その問題は少しずつ乗り越えている証拠を
自分の中で確信できたら、後は後ろを振り返らず、とにかく、
自分の足下を見つめて、歯を食いしばって、高みを目指して
登って行くのみ、となるのだ。
そうして、何度も挫折を繰り返す内に、『出来ない事』に
対して打たれ強くなり、自分を信じる事が半ばobsessionと
なって自分の中に蔓延るようになる。
そうしたら、どんなに苦しくても、眠くても、
やらねばならん事をやり遂げる粘り強さが生まれ、
ドキドキするような場面でも、
「そこを通過するだけでも、儲けもん!」と考えられ、
その苦しかった沢山の経験が知らない内に、
「私にできへん訳がない、あれもこれもあんなに大変で
しんどかったのに、全部やってきたやないか」という自信に
到達するのだ。
そういう一連のからくりを知った様に思うのだ。
私はアホだし、能力もないし、理解力も人より優れている事もない。
でも、そんな自分を絶対に裏切らない物があるのだとしたら、
それは『努力』とそれに付随してくる『信念』だけだ。
自分では努力しても、期待した結果が得られない事もあるさ。
でも、それは自分の努力の仕方、もしくは量がおかしいのだ。
そういう事を、大袈裟に(笑)、英語のクラスでは学んだ。
それは、これからまだまだ学生を続けて行く上で、
この早い段階で知っておいて、本当に良かったと思う事柄だ。
どういう『難しい』に出会っても、私はこの事を思い出して、
なんとかサバイブして行くのだと思う。
本当にありがたい事でした。
また、学期中、常に暖かい言葉をかけて下さった友人、
また同志の皆さま、その言葉無しに今の私は絶対に
あり得なかった訳で、本当に心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。
で、物は相談なんですが、、、
来学期も頼んます(って、ちょーーー図々しい!!!)。

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