これまで老いていく父の様子を伝えてきましたが、父守常は2011年8月8日永眠いたしました。
その後2年半以上は、父の思い出を混ぜながら、老いていく母と私の日々の記録を続けてきました。
その母も2014年5月に脳卒中で倒れ、病院での療養生活に入りました。
何かございましたら、T. Uchiyamaまでお願いします。

2015/1/6

訪問を中止した  日記

訪問しないでくれという兄からの願いを受け入れて、訪問を中止した。
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2014/12/19

今日は言葉少なかった  日記

今日は昼前に訪問した。

母はベッドの中で寝ていた。
声をかけると目を開けたが、昨日のようにすぐにしゃべりだすことはなかった。

今日はずっと寝ていたの?と尋ねると、

「そうだね。よくやってくれるからね」と答えた。

ところが、介護の方から、今朝はお風呂に入ったので、たぶん疲れているでしょうとのことだった。

やがて、看護師の方が背中のニトロの張替えに来た。

それが終わって部屋に入ると、いつもはその後目を開けているのだが、今日はまたよく寝ていた。

そこで、床の拭き掃除と、車いすのクッションと肘掛けのごみをきれいにした。

そろそろいつもは昼食に向かう時間となったため、昼食に行こうか?と尋ねると、

「いい」と答える。

介護の齋藤さんが部屋を覗くと、「井出さん」と言った。

他の入居者がホールに向かっているので、車いすに乗せてホールに向かった。
今日は割と乗せやすかった。

介護の方が大きな声で、食前の体操を使用と呼びかけたが、母はちょうど自分の前にあった新聞を読み始めた。

指を1から10まで数えながら、開いたり閉じたりする運動は、促すと右手だけ1回やった。

次は少し早くやろうということになったが、できないので、作り笑いをした。

それから口腔体操もやったが、あまりできずに笑う。

唾液を出すために、耳の後ろを押そうという掛け声だが、右手は耳の後ろを抑えられるが、左手は頬までしか抑えられない。

それからアイウエオを大きな声で言おうということになったっが、小さな声でアイウエオと言った。

それからパタカラと何回かいうことになったが、言えなかった。

体操が終わり、いつもの席に移動した。

「あれ」という。
何?と尋ねると、思いだそうとするがなかなか出てこず、指で短冊みたいな動作をする。

だいぶ考えた挙句「小さなくまで」と言った。

孫の手?と尋ねるとうなずく。
今使うのか?と尋ねると「あとでいい」とのことだったが、バスの時間があるのでここで帰ることにした。

いつも通り、昼食が運ばれてくると「お前食べなよ」と言った。

しばらく来られないといって帰った。
「本格的に行くのね?」と言った。
事情は理解したようだった。
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2014/12/18

昔話を立て続けに話した  日記

今日は、昼食後に訪問した。
母は元気だったころから、昼食後は昼寝をしていた。
今日もベッドの上で寝ていたが、声をかけたらすぐに目を覚ました。
部屋は、睡眠を考えてだろう、暗くなっていた。

母はすぐに話し始めた。

「今日は疲れてハイヤーで帰ってきた」
どこにいっていたのか尋ねると、
「平塚の方」
「足がなくて、よそうと思ったが、行ってきた」
「23日は小学校の時のあれがあるので」

「送ってきてくれた人が、先週案内状を置いていったので」
「もてちゃうのよ」
「まあそうでもないけどね」

「アンパンみたいなものを買ってきて、あげようと思ったけど買えなかった」

「女の方が老けない。男は皆歳をとっている」

何人来たのか尋ねると、
「50人ぐらい来た」
「最初の(集まりの)は15人ぐらいだった」

「どっちが多いというわけではない」
「23日の方は、私が前日お風呂に入ったので、くたびれちゃった」
「お前のものを洗濯して持たせてやった」

「お礼にくっついてきちゃった」
「男も女も皆同じ。考えることは」

「鎌倉に帰るという人がいた」
「大船あたりで、男は」
「結局平塚で降りた」

「皆同じぐらい」

「おとといのはお前が行ってくれて、お母さんは30分ぐらいにして、終わるぐらいにして」

「女よりも男の方がお金を使わないんだね」

「まあ同じだけどね」

「でも今日は、あの酔っぱらいのおじさんが帰ったよ」

「奥ささんだった、13しか」
「他の男は早く帰るけど、あそこの奥さんは長い」
「それで赤いお花を」

「あの本をお正月にかけて皆で」

「サンタクロース。最後まで残った人たちで歌おうっていったけど、私は、明日があるからって」

「お金さえ払っとけば、どうしてもいいでしょ」

「お前が歌を歌っている最中に届けるようなことをいっているから」

「お母さんとミーちゃんはまだいるよ」
「電話はしたんだけど」
「ゆっくり片付けものをしている」

「ミーちゃんなんか、今度歌う時は、ちゃんとしたものを着なさいよ、って言ってた」

「TV見ると、着物なんか着て」

「アメリカにいるから」

「そういうところも、ここで来る人はぼけていない」

「ぼけた人は出てこない」

「その前の金曜日」

「机の上にさくら(本屋さん)に頼んだものが乗っているから」
「さくらがいいでしょ」

「5,000円ぐらい置いてあるから」
「大したことない普通の金額だよ。少し余分にと思ったけど、なかなかね」

「比企さんは看護婦さんが一緒に来た」
「奥さんはずっと年取っちゃったんじゃないの。その人は奥さんだというけどよくわからない」

「お金遣ろうと思うから起きようかね。」

「また来たとき少しあげるよ」

「なんか、明日お母さんのお祝い」

「そのお祝を、お前たちの会でやって、お母さんたちの年寄りの会をやって、足すように」

「夜、周りが割とうるさくなった。まあそれでいいんだけどね」

ずっとしゃべり続けていたが、ここらへんで帰ることにした。

そうしたら、「お前の印刷した本がどうしたこうした」とずっとしゃべり続けていたが、帰ることにした。
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2014/12/15

施設でインフルエンザが発生  日記

母の入居施設で階は子となるが、インフルエンザが発生したという。
そのため、訪問者はマスクの着用が義務付けられた。

しばらく訪問しない方がよいものと思われた。

今日の訪問時、母は排便と排便後の処理を行っていた。
また、便秘で、薬の処方や、その後の処理と迷惑をかけているようだ。

終わったところで、部屋に入ると、「今日は、何の用?」といった。

わざわざ愛に来ていることをいうと、その後黙った。
これまでの饒舌ぶりはなく、ベッドの上で、黙っていた。

TVをつけたが、別に見ることはなかった。

介護の方がお茶を持ってくると、大きな声で「ありがとう」といった。

土曜日に本物の小百合ちゃんが訪問した。

「小百合ちゃんが来たのは昨日か?」といったことをつぶやいた。

そこで、本物の小百合ちゃんは同だった?と尋ねると、

「げんきになったよ」と答えた。

昔のことは思い出した?と尋ねると、

「どんなこと?」と聞いてきた。

そこで、お父さんが死んだことと、それからの3年間のことだよ、というと、

「思いだした」と答えた。

起きるか?と尋ねると、「別にいい」という。

食事になるから車椅子に乗るか?と尋ねると、
「あとでいい」と答えた後、

「今朝は、軽いご飯だった」といった。

何を食べたのか尋ねると、
「お豆腐と卵」と答えた。

それから

「比企さんの話がよく出る。100歳で勲章じゃないけど、そんなものをもらったから」
という。

比企さんという介護の新しい方が来たとき、あの人の名前は比企さんというんだよ、と母に教え、昔比企さんという医者に連れて行ってもらった話をした。その時は、そんなことは覚えていないといっていたのに、今は、お医者さんの比企さんの話をよくするようになった。

今日も租のお医者さんの比企さんが来たという。

そういえば、この施設に移ってすぐに、気象学会で九州の福岡に行くので1週間来られないという話をした。

それまで九州の話など何もなかったのに、それ以来、九州に行った、お父さんが九州の出張から戻った、九州から人が来た、と九州、九州とばかり言うようになった。

今日も、足が痛いといって、非協力的な態度を示したが、車いすに移動させた。
人に任せるところがなく、勝手に体を動かすので、介護しにくい。

ホールに行くと、すでにYさんが机の前に座っていた。
私が、その人の名前を紹介すると、もうミーちゃんの小学校の同級生だといいだす。

その方は、一人息子が所沢だというので、姉の住んでいる場所だということで、少し話が盛り上がる。しかし、どこかピントが外れた話しかしない。

何の商売をしている人と姉が結婚したのか忘れた、といったかと思うと、こちらが姉の夫の名前をいうと、租の蔵知っているよ、と以前勤めていた会社の名前もすらすらいう。

そういう話は、お得意だが、今月は何月?と聞いてもわからない。

そこにクリスマスツリーがあるよね。クリスマスは何月?と尋ねると、
「「12月」とすぐに答える。

今日は12月15日月曜日、ということを教えて、それを復唱させるのだが、12月までは言えても、それから先はついにいえることはなかった。1度だけ16日といった。

インフルエンザの流行は、施設としてはもっとも恐れるところだろう。
これからしばらくは訪問しない方が施設にとってはありがたいのかもしれない。
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2014/12/12

数字の認知機能がほとんどなくなっている  日記

今日の訪問時、母は車いすに乗って、ホールにいた。
ちょうどお風呂から出て、身支度が終わったところだという。

お風呂に入ったのか尋ねると、ちゃんとうなずいた。

ただ、四角い机の左となりに座っている入居者を、今日はお父さんが来ているという。
九州の出張から帰ったばかりだともいう。

隣の人はKさんで、目が降じゅうだとのこと。

名前を聞いてごらんと促したところ、名前を尋ねたが、相手から無視された。

また、昔のことをさっき起こったことのように話し始め、とうの昔に死んだ人を生きている人のように言うので、お母さんは今何歳?と尋ねたところ、だいぶ考え込んでから、「1,000歳ぐらい」と答えた。


これでは、あの人はお母さんが何歳ぐらいの時に死んだよという会話が成り立たない。

「小さいラジオを捨てるとお父さんに悪いから」

「守も時々来るから。これまでより来るようになったから」

「布団を3月に一度ぐらい干して使ったらいい」

「なんでも倹約すること。買わないで。私もそう」

「まあね。毛布とあれだけね。要るのは」

「洋服はあんたも知っているけど・・・・」

「はがきぐらい書く。」というので、誰に書くのか尋ねたところ、
「あんたに1年に1枚ぐらい」と答えた。

周囲の人を、昔から知っている人のように言うのは相変わらず。

今日は介護の宮川さんがいたので、また、「小百合ちゃんはあんまり来ないけど、来たときはよくやってくれる」といい、小百合ちゃんが復活していた。


右隣のおばあさんを、「この人は私を馬鹿にしている」といっていたが、今日から食事の時に座る位置が席替えとなって、そのおばあさんとは離れた場所となった。

また、夫がすでに死んでいることをひとしきり教えると、納得したような顔にはなったが、命日の8月8日はどうしても覚えられない。
数字が全くダメだからだと思う。

その一方で、TVのテロップはよく読め、ニュースの内容をこちらに教えたりする。

また、TVに移っている橋本さんとかの名前を口にするし、盗みをした人のニュースを見て、あれは悪い人、のようなことをいう。

自分が分かることだけを自慢したいことはわかる。
今日は口腔体操は少しはやった。

また、近所のKさんが死んだことを自分から言い出した。
また、別のKさんが死んだことも思い出し、その人が、お父さんのお葬式に来ていたという記憶をしゃべった。

他人のことと関連付けると、夫の死んだことを思い出すようだ。
しかし、昔から仲がよかった近所のFさんの名前は忘れている。

今日は井出さんの名前は出てこなかった。
介護の齋藤さんがいないからだろう。
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2014/12/10

中村修二教授の名前はすぐ出る  日記

今日は夕方訪問した。
母は車いすに乗って、ホールでTVを見ていた。

ノーベル賞を受賞した3人の日本人についての夕方のワイドショーだ。

いつも通り、一人でどんどんしゃべった。
「あんたが(TVに)出ている。」
「エイ子さん、ミホ子さんが今日は遅い」
「朝鮮人」

お父さんが来ないことをまた言うので、仏様になった時の写真をまた見せたところ、お父さんが死んだことは覚えていないが、(仏さんに備えられている)「お茶椀なんかは覚えている」といった。

それから英国の王室が米国を訪問しているニュースを見て
「キャサリン妃は大変だ」といった。
母と同い年のエリザベス女王もまだ元気だというと、
「とっても付き合いきれない、歳だから」といった。

そして、すぐに「それにしてもお父さん、帰ってこない」
とまたいう。
父の命日の2011年8月8日をいくら教えても、い得るようにはならなかった。

また、介護の方を、「井出さん、井出さん」というようになっている。
ここのところ小百合ちゃんは利かなくなった。

そして、
「おいしかった」というので、何が?と尋ねると、
「お前のお菓子」といった。

今日は水曜日だということを教えても、キョトンとしていた。
そこで7曜日をいったが、それを言い直すことはできなかった。
日曜日という言葉もわからなくなっていた。

一方で、色の名前をいってごらん、というと、
「ピンク「、「黄色」「橙」といった。
空の色は?と聞くと「青」と答えた。
ノートの色を尋ねると「白」
かばんの色を尋ねると「黒」
木製椅子の色を尋ねると「茶色」
と正しく答えた。

そして、「私だって少しは分かる」

そこで、虹の色は?と聞くと「わかんない」と答えたが、
数を尋ねると、7色ということは答えた。

虹の色を教えようとしたが、「またゆっくりと」と答えた。

ここで、驚くべきことが起こった。

TVで中村修二教授が写ったら、
「あれ、中村修二」と大きな声で言った。
「おりこうさん」と付け加えた。

「向こうのことで忙しかった。遊びに行ったと思えばよい」
ともいっていた。

人の名前は妙に覚えているようだ。
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2014/12/8

意思疎通が可能なのは今のうちかもしれない  日記

今日の訪問時、母は車いすに乗ってホールのTVの日本歌詞大賞の録画を見ていた。
顔を見るなり、
「遅いじゃない」といった。

「用事が何にも済んでいない。」
「背中がかゆいので、かゆいのを取る薬を買いに行ったり、雪道を掃除したり。」
「お父さんが朝からお使いだ。」

「びっくりしちゃったの」
「名前はわからない租の人と、園子がお見合いしてた。」
「私が出掛ける前に、その辺で」とホールのソファーのあたりを指さす。

介護の音尾の人を指して、「あの人と」

守が来た?と尋ねると、
「夜遅く来た。晩御飯のおかずを持ってきてくれた」

「園子がいいっていう」
「湘南尾卒業生で、毎年来る人に、幹子がついてきて、赤い着物を着ていた」

「なんか評判はよかったけどね。幹子が連れてきたし」
「変じゃなかった。何をやってたのかね?」
「私たち、向うで洋服をなんかしていたので。正月の」

介護の女性3人を指して、「割と大人の歌を歌ってた。」

ここで、話を遮って、お父さんは死んだから、買い物に行くことはないことを告げる。
また、仏壇の写真を見せながら、お父さんが買い物に行ったのはいつ?と尋ねたら、、少し黙った。

しばらくして、
「昨日はこの人たちはいなかった」といった。

今日は12月8日。お父さんの月命日といって、お父さんは何月に死んだのか尋ねると、
「12月?10月?」という。
8月という答えは出ない。

お父さんの命日の8月8日を何度もいっても、それを口伝えで再現できるのはその直後だけ。
ノートの8月8日と書いて読ませても、読めない。
こちらが8月8日といいながら読ませると読める。
今日は12月8日で開戦記念日といっても、戦争のことは忘れたようだ。

今日は何日?などといろいろ尋ねると、そっぽを向いて、あの人はどうだ、こうだといったりした挙句、「まあ、なかなか一生懸命やるんだけど」といってから、
「あの人は頭がいい」
「あの人はテニスが上手な方」と入居者を指していう。

おとといからあるクリスマスツリーを指して、
「周りと一生懸命やった。MさんとTさんと。やらない人もいた」
といった。クリスマスツリーの飾りつけをしたのだろうか?

「お父さんが、お菓子をお前が食べるのは惜しいという。仏さんのお菓子を」

「みんな来るから包丁が400本ある」

「カキの鍋を使用と思う。いいだろ?」
ちょうどこの時TVでカキの鍋が映像で写っていた。

その後、また、盛んに他の入居者の批評を繰り返す。
私だって分かることがあるんだ、といった感じだ。

今日の昼食はカレーライスだった。

「お父さんがカレーを食べたいといっていた」
「鳥仲が良く来る。おじさんもどんどん来る」

昼のTVで橋本大二郎が写っていると、「お兄さんが大蔵大臣をやった人」という。

名前は出ないが顔はわかるようだ。
お兄さんの橋本龍太郎は大蔵大臣だけでなく、首相もやったよというと、うなずいた。

それから「ミホ子おばさんが、ミホ子おばさんが」を繰り返した。

ミホ子おばさんはもう生きていないよ、というと、それはわかっているといった意味のことをいった。

ここで、終戦の日は?と聞いてみたが、これもわからなかった。

食事の前の口腔体操には興味を示さない。
「小学生の先生。みんな忘れた」といった。

カレーが来ると、どんどん食べた。

驚いたことに、小皿に持った野菜の漬物を、小皿をつかむなり、一気に口の中に入れてしまった。
食べるのが速い。

今日もここで帰ることにした。

まだ、こちらのいうことがわかってはいるようだが、短期記憶は全くなくなってしまったので、母の記憶にないことを話しても、それは意味のないことに思われる。

一方的に話す話を聞くしかない立場となってきた。
意思疎通が少しでも可能なのは、今しばらくのうちかもしれない。
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2014/12/7

TVがよく見えるようになったと喜んでいたが、内容はすぐ忘れるとのこと  日記

今日の訪問時、母はちょうどお風呂から出たところで、ベッドの上でパッド装着をしていた。

それが終わるまで待ってから顔を見せると、いきなり、
「お返しは箱のまま置いてあるから、それを頂いて食べて」
「夢で、ものすごくおいしくて、皆でもっとたくさん耐えたかったといったように、夢で見た」
「そんなことはどうでもいい」
といったことをどんどんしゃべった。

どんなものだったの?と尋ねると、
「同じようなもの」
「揚げ物」

「うちのものが食べれば、仏さんが喜ぶ。」
「昨夜はよく寝られた」

「電燈が点かない」ともいうので、
天井等が点くことを確認した。それを見て、
「そうかい。点くかい」といったようなことをいった。

父の命日は覚えているか?と質問すると、
笑い顔を作った。

また、何度か教えて、繰り返させようとしたが、「8月」だけは1回言えたが、それ以外はもはやいうことはできなかった。

「皆でカルタをした」
というので、いつのことか尋ねると、
「おとといあたり」

TVが近くなったので、ベッドでよく見ている。
「TVがみられてうれしいよ。ただ、どういうものを見たのか覚えていない。」
「私もばかになったね」

「皆も一緒だけどね」
「お風呂に入ったり、食事をしたりしても、皆馬鹿だね」

「足の指が、新しい草履の上を、足の上から踏みつけて、押してくる人がいる」
「ばかだね」

しばらく、そのままベッドに寝ていると、介護の宮川さんがお茶を持ってきてくれた。

ベッドを起こして飲ませた。
全部飲んだ。

しばらくすると、「ここでご飯を食べるのかいい?」
というので、いつもの場所で食べるのでは、と答えると、
「あそこまで歩いていくのかい?」
という。
自分一人で起き上がることもできないのに歩けるわけないでしょ、とたしなめると、以前のことを記憶でしゃべっているようだが、歩けるといいだした。

そこで、起こして、車いすに移動させ、ホールに連れて行った。

今日は、風呂から出てきたところで、床がぬれており、それを宮川さんがタオルで拭いたので、いつも行っている床掃除はする必要はなかった。
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2014/12/6

TVの場所を変えた  日記

今日の訪問時、母はちょうどバッド交換を終えたところだった。

介護の方が、誰が来たのかな?と母に尋ねると「弟」と答えた。
介護の方が、名前は何というのかなとさらに尋ねたが、思いだせないのだろう。何も答えなかった。

そして、「今朝はお父さんが来ない。遅れている」
というから、また、お父さんは死んだことを告げた。
命日が8月8日であることをいい、忘れてはいけないよ、と念を押し、葬式の後の写真を見せた。

最初は、父が死んだはずはない、といった顔をしていたが、何度か復唱させると、「8月8日」はいえるようになった。

今日は何日か?と尋ねると、戸惑った顔をして、「教えてよ」といった意味のことをいった。

2014年12月6日であることを言って、復唱させようと何度も試みたが、もはやこれだけのことは復唱できない。

そして、お父さんが死んだ年が2011年で何年前か?という質問には「わからない」としか答えられない。

3年前ということを告げても、それが何を意味しているのかは理解できないようだった。

そして、
「そうか。それで看護婦さんが二人きて、ご飯を食べたんだ。大したものではなかったけど」といった。葬式の後のお清めの食事の記憶がよぎったのだろうか?

それから、
「あそこの部屋で大変なことがあった。2時間ぐらい騒いでいた」
「騒いでみたって始まらないけど」

といったことを、かなりの間はなしていた。

介護の方に、騒ぎのことを尋ねてみたが、説明は得られなかった。

今日は久しぶりに宮川さんがいて、お茶を持ってきてくれた。
しかし、母は、小百合ちゃんとは言わなかった。

ここのところ、気温が下がってきたので、布団が嵩のあるものに変わっている。
昼間は、それを足元で畳んであるので、足元にあるTVが見えないようだ。

母は、「TVがみたいが、見えない。布団を足元に置くのをやめさせてくれ」
といったことを要求した。

それはできないだろうから、TVの位置を変えた。
これは兄が怒ること間違いないが、母の要求だから仕方がない。

施設の方の了解は取れた。

母は、その作業の間、
「お母さんが、今日一緒に出掛けようといっていたのにまだ来ない」
といったことを話した。
お母さんの名前は原田エイだという。
もう40年も前に死んだことを言っても、これについては全然納得してもらえなかった。

エイさんが死んだ後に生まれた私の娘が37歳になっているのに、いつの話をしているのかというと、「祥子はそうだろうけど、母は生きている」といった意味のことを話した。

私の名前は出なくても、娘の名前はでた。

今日は、その他の固有名詞もほとんど言わなかった。
固有名詞がかなり失われた可能性がある。

TVの場所を変えたら、
「お駄賃を上げたいが、がま口が見つからない」といった。

「リンゴをもっていきなよ」ともいった。
リンゴは、ずっと机の上に置いたままだ。

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2014/12/5

また父が来るのを待ち続けている  日記

今日の訪問時、母はホールで歌を歌う輪に加わっていた。
ただ、母は歌を全然歌えない。

皆が歌を歌っている間、周囲をキョロキョロ見回して、あの人は私と同い年だとか、あの人とは九州に一緒に行ったとか、でたらめなことをしゃべりまくっていた。

そして、「今日はお父さんが来ない。来ない」といった。
お父さんは死んだよ、というと、
「そんなことない」という。

お父さんの命日は?と尋ねてみた。
命日を忘れていることは失礼だからだ。

今日は何日?といういつもの質問をしてみると、今日は全然答えはない。
2014年12月5日であることを言っても、今日は上の空だ。

お父さんの命日は1011年8月8日だといっても上の空だ。

お父さんが死んでから何年経ったかは引き算をしてみればわかるといっても上の空。

2014引く2011は?と尋ねても上の空。

また、介護の齋藤さんのことを井出さん、井出さんと呼んでいる。

ここのところ小百合ちゃんと間違えられていた宮川さ聞かなくなった。

歌は、クリスマスソング、童謡、昔の歌と10曲ぐらい歌ったのだが、母は歌詞カードに注意が向かわない。

さらばラバウルのメロディーで口腔の運動をするいつもの曲にも加わることはなかった。

ただ、唾液が出ないとうまく食べられないから、唾液が出るところを刺激しましょう、といわれると、「あ、そうなの」と珍しく反応し、介護の方から注目を浴びていた。

それから食事の準備となったが、「手が痛い」といっていた。
ここのところ、左手も少し動くようになっていて、歌詞カードを両手で持った利しているのだが、今日は手で結んで開いてをやらせてみた、手の動区範囲が小さくなっていた。

私のカバンを見て、「もっといいカバンにしな。カバンを買ってあげる」といった。

私も、入居者の名前を少しずつ覚えているのだが、私が名前で話しかけると、母は、昔からの知り合いと勘違いする。

母は、周囲に昔からの知り合いでない人がいることが不安なようだ。

話しまくるから、言葉はわかるのだが、内容は大昔のこと。
数の計算は、日に日に衰えている。
数は数えられなくなっている。

父の命日を覚えることもできない。
ただ、昔の知り合いが自分の面倒を見てくれていること、周囲には、幼稚園のころからの知り合いがたくさんいること。つい最近付き合っていた人の名前は覚えているが、数年前から10年前ぐらいの記憶は消えているようだ。

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2014/12/3

今日も夢の中の話をしていたが  日記

今日の訪問時、母はベッドで寝ていた。
今日は快晴で陽射しが暖かかったので、車いすに載せ、窓際で日向ぼっこをさせ、その間に床の拭き掃除をした。

それから館内を、車いすを押してあるいた。

今日は大きな鏡に移った自分を見ても、何も言わなかった。

壁に貼ってある、自分の写真も分かっているようで、指ささせると、大体その方向を指した。

それから、パッド交換とのことで、またベッドに寝かせた。

今日は看護師は何も言わなかった。

母が小百合ちゃんといっていた介護の方はここの所見ない。
その代わりに新顔の介護の方がいる。
それを母はちゃんとわかっていて、「あの人は新しい人」と教えてくれる。

比木さんという。
昔、そのような名前のお医者さんに母に連れてもらっていったことがある。
そのことを言ってみたが、母に租の記憶はなかった。

昼食をホールの机で舞っている間、
「また小林さんとこの男の子が来て・・・」
というので、そんなことは絶対にないと否定した。

それでも来た来たというので、どこに来たのか尋ねる。
昨日私が帰ってから、今日来るまでの間、ただの一人も面会人が訪れていないのは面会ノートで確認している。

「ミーちゃんのところの子供は、男の子?それとも女の子?」
という質問もしてきた。

もう25年も前に死んだ人のところに今度子供が生まれたというのだ。

これも全否定した。

それにしても母は、兄弟のうちミーちゃんの話しかしない。
ユカ子とケイ子の話は一切でない。
そこで、そういう人を知っているか尋ねたところ、知らないとのことだった。

一方で弟の紳ちゃんとその嫁の妙子さんのことは「もちろん知っている」とのこと。

妙子さんはこの間来たともいう。それは全否定した。

年末は娘のところに行くから来られないと告げると、うなずいて、
「でも、お父さんが帰ってくるから大丈夫」
という。お父さんは3年前に死んだことをまた伝えた。

娘が今どこに住んでいるのか尋ねてきた。
それを答えるとうなずいた。

死んだ人のことをまだ生きていると思うのは、死ぬ頃あまり顔を見なかったからじゃないか?と少し嫌味をいったところ、「お前みたいに車がないから行けなかった」という。

ここには車ではなくバスで来ていることを告げると、それは大変だねといった意味のことをいった。

「お礼に、あのお菓子を上げよう」ともいった。

昼食がきた。
また、いつもの通り「お前食べなよ」という。

食べるように促すと、おかずからスプーンですくって適度なスピードで食べた。

今日はおかゆだったが、おかゆの方が後回しだった。

ここで帰ることにした。
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2014/12/2

便秘はよくなってきたとのこと  日記

今日の訪問時、母はベッドで寝ていた。
外は快晴だったため、車いすに載せて、窓際で日に当たらせた。

窓を少し開けて、窓の外に向かわせて、庭木の枝が伸びてしまっていることを話したところ、
「他の家のものだから、手入れできない」と母は答えた。

そして、「ここにいても何もできないからしょうがない」といった。
そこで、館内を車いすで移動した。

洗面台の大きな鏡に向かわせて、何が見えるか尋ねたところ、
「私の汚い顔」と答えた。

ホールで座らせていると、また、あの人がどうした、この人がどうした、あそこの人の作業を私ができない。とかわけのわからないことをしゃべり続けた。

走行しているところに、食事の前にパッド交換をしないとお尻が腫れてしまうとのことで、ベッドに戻した。

しばらくすると車いすに乗ってホールに戻ってきた。

その時、「守が来た」といった。
来てないよ、といっても、「あそこにいた」と言い張る。

また、配膳の人を指して、「井出さんが向うに行っちゃった」と言った。

以前は齋藤さんのことを井出さんといっていたけど、あの人も井出さんでないよ、といっても納得しなかった。

看護師の方から、
ここのところ、便秘で、ほじりだしていたのが、今日は出ていたとのこと。
この状態が続くといいのだが、と説明を受けた。

TVで総選挙のニュースをやっているのは理解していて、
「今度の選挙はいつだい」と聞くので、12月14日だと答えてから、今日は何日か尋ねたところ、13日と答えた。

今日は12月2日だからあと何日で選挙か分かる?と尋ねたところ、
「考えれば分かるかも」といったようなことを答えた。

また、1+1はいくつか尋ねたところ、「100」と答えた。
3+3は?と尋ねたところ、「分からない」と答えた。

手を握ったり開いたりできるか尋ねると、1回だけ、右手を握って開いた。
足踏みはできるか尋ねると、1回だけ両足を上下させた。

お茶が配られたが、今日はお茶を飲もうとしなかった。
「お前飲みな」といった。

その後も、あの人がどうした、この人がどうしたといういつの話かわからない話を聞かされた。

相変わらず、背中がかゆいといっているが、今日は掻いてくれとは頼まれなかった。




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