2013/2/9

ロッキー  

彼は私が小学5年生のときに我が家にやって来た。
知り合いの家で生まれた仔犬だった。
コロコロしてタヌキのような風貌だったが、歴とした柴犬で、
性格はとても甘えん坊。すぐに腹を撫でて貰おうと足元にひっくり返って撫でろと要求する。
撫で始めると終わりの見えなか構って坊やだった。

ところで私の家は庭があった。なかなか広々としたそこが、彼の生活空間になるのは自然の事だったうに思う。
我が家はどちらかと言えば古風な考え方の両親で、現代風の『ペットは家族』という考え方ではなくく『犬は犬、人は人』としっかり分けて接していた。勿論虐待したりはしない。むしろ庭に放置された彼はノビノビとしていたように思う。
だから彼が家の中に上がるのは嵐の夜や大雪の夜だけだった。
私が小学生の間、彼は専ら門限破りの口実に使われた。
散歩に行ってくる!と言って一緒に出掛け、その道すがら友達を誘って公園で遊ぶのだ。
私が友達と喋ってる間、文句も言わず待っていてくれたあいつはイイヤツだった。
中学、高校と、あまり一緒に遊んだ記憶がない。
散歩は行っていたし、たまに庭でじゃれたりしたくらいで、特別な想い出は結構少ない。
一度海に連れていったとき、波に向かって吠えていたなぁと覚えている程度である。
私が大学生の頃、実家に泥棒が入った事があった。
以前から人なつっこすぎるから番犬にはならないと言われてはいたが、案の定、彼は番犬にはならなかった。情聴取に来た警察官から、申し訳なさそうな顔しとるがね。なんて慰められる始末だった。

なんというか、私にとって、彼が庭にいるのは当たり前の事だった。
特別構い倒したりしない。寄ってきたらなで回してやる、くらいだ。
彼が可愛くなかった訳ではない。可愛いと思うことと構うことはまた別の問題だ。
実際、私は弟を目に入れても痛くない程可愛いと思っているが、構い倒したり、赤ちゃん言葉で話しかけたりはしない。それと同じだと思う。
彼が庭にいるのは当たり前の事だった。

さて、そんな彼がボケ始めたのはいつの頃だったか。
散歩に行けないほど体力が減り、ヨタヨタと庭を徘徊し始め、誰の目にも先は長くないだろうと見えた。
実際その通りだった。オジイ犬になった彼はみるみる内に弱っていった。
しまいには昼夜問わず吠えるようになった。
近所迷惑を考慮した父は玄関に彼のスペースを作った。
もう目も殆ど見えておらず、自分のウンコに吠えていた。

それが去年の事である。

もう、今年の夏は越せないだろうと思っていた。父も兄も弟も。
そんな中、母が死んだ。癌だった。

母の遺体を病院から運び込むとき、いつもところ構わず吠えまくっていた彼は一度も吠えなかった。
親戚が集まるからと、玄関スペースを駐車場に移しても大人しくしていた。
それどころか、少し持ち直していた。徘徊する事もなく、ただ寝そべってじっとしていた
彼なりに何か感じていたのだろうか。きっとそうに違いない。

そして年を越して、しばらく。京都に住んでいる私は久しぶりの帰郷だった。
彼は最早立つこともできなくなり、腹這いで蠢いていた。
後ろ足は開ききって固まってしまい、蛙の様な体勢で、もう吠えることもできなくなっていた。
その姿にショックを受けなかった訳ではない。もうどうみてもお迎え待ちに見える。

その日の晩、私は夜更かしをしていた。
借りてきた映画を観ていたのだ。京都ではずっと誰かに借りられていて見れなかった一本が、地元のビデオ店にあったのでご機嫌だった。
映画の途中、ふと一時停止をした。
トイレに行きたかったのだが、どういうわけか玄関で足を止めてしまった。

彼が泣いていたのだ。

驚いて裸足のまま玄関に降りて見ると、それは目ヤニの塊だった。
んとなく、ふ震える彼の手を撫でた。
彼の目は見えていない。
耳も殆ど聞こえていない。
鼻は、どうだろうか。エサの場所やウンコに敏感だったから鼻は大丈夫だったかもしれない。
彼はずりずりと蠢いた。
私はそのまま彼を撫でていた。
手を、足を、鼻の頭。
それから腹。
腹を撫でていると、彼が一生懸命前足を動かしてひっくり返えろうとしているのがわかった。
固まってしまった後ろ足が邪魔をしてまくか返れないのだが、前足をバタつかせる仕草は腹を撫でてくれとアピールするあの動きだった。
私はそのまま腹を撫で続けた。
もう一度、足の付け根や前足をさすってやった。

そうしている間に彼はねむってしまったようだった。

私は冷えきった自分の足を温めるために風呂場へと引き揚げた。

次の日、彼は死んでいた。
仕事から帰った兄が気付いた。
私は家にいたにも関わらずまったく気付かなかった。
それが2月8日の出来事。

今、仕事で岩手に向かう夜行バスの中、Catsのサウンドトラックで耳を慰めていると、不意に涙が止まらなくなってしまった。
グリザベラが歌うのだ、
Touch me!
It's so easy to leave me
All alone with the memory
Of my days in the sun
If you touch me
You'll understand what happiness is

あぁ彼はうちに来て幸せだっただろうか
元気に庭を駆け回る彼はもういない
もっと撫でてやれば良かった
彼が眠ってもずっとさすってやればよかった
息を引き取るその瞬間まで
母にできなかった事を彼にしてやれば良かった

ロッキー、私だってわかってただろうか
腹を撫でてくれとねだる姿は、うちに来たばかりの頃と変わらなかったよ
最後まで甘えん坊だったお前は、あの瞬間、昔の、庭を駆け回っていた頃に帰っていたんだね
父がいて母がいて、兄がいて、弟もいて、我が家の庭に君臨していた頃に。

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