大学時代、洋風のたてもののなかに閉じこもって、私はたくさんの授業をうけた。
大正時代の文学もそのひとつ。
十二階凌雲閣だとか、キネマだとか、そういった今は無い、使わない言葉だとか建物だとかを、私はどこか他人事のように聞いていた。
授業はたんたんと進み、私は大学教授が発する「こんもりとした」という言葉と「赤玉ポートワイン」という言葉の語感だけが、やたらと耳に残っていた。
窓からは笹の木が見えた。
緑を詠った。
私はかたほうの耳をぴったりと大学のつくえにくっつけて、小さな教授のまぁるい眼鏡を見ていた。
大正時代。
それは私にとって、江戸時代よりどこか遠い時代に思えた。
授業で見聞きする写真や情報はどこか古臭く、だからこそ余計に遠く感じられた。
吉原ではなく、十二階下の物語は、私の心を鬱蒼とさせた。
そこには私の恋焦がれる物語が存在しなかったから。
なのに今はこんなにいとおしく思う。
卒業式当日、袴を着た私に、後輩が「大正浪漫ですね」と言ってきたことを思い出す。
春にすこし手が届かないこの季節に、私はまたもや思う。
次に読む本は、古臭くて毛嫌いしていた大正時代のものにしよう。
卒業式に、私に後輩が言ってくれた言葉の通り、私は大正時代の中へと馳せよう。
「かきつばたに浮ぶは、桜型に切り取られた鮮やかな白。
花萌黄はさらさらと、私の肢体と共に学び舎を去る。」