私が一番行きたかった場所。
行きたかった空間。
聖蹟桜ヶ丘。
「耳をすませば」が上映されたとき、私はまだ10歳だった。
当然上映されていることも知らなくて、やがて大きくなり、テレビの金曜ロードショーで観てからというもの、何十回も繰り返し繰り返し観た。
閑静な住宅街を舞台にした、心がゆれる物語。
私の中のやわらかい部分が、観るたび、しめつけられるのを感じた。
やわらかなビー玉が、きらきら光りだすような感覚も。
小さい頃から本がすきだった私は、やがて雫ちゃんと同じく図書館に通う文学少女となり、本は私の生活の一部になった。
そして、映画の感動が忘れられなくて、小学生から中学生になる途中に、自分で物語を書くようになった。
物語は幼くて、一人称という言葉すら分からなかったけれど、とにかく書くこと、読むことが大好きになった。
結果、私は大学へ現代日本文学を学びに行くことになった。
私の人生を本当に大きく、広くしてくれた作品。
唯一無二の作品。
それが「耳をすませば」だった。
聖蹟桜ヶ丘という駅は、その「耳をすませば」の舞台となった場所。
私が見失いかけていた声や音が、そこにはあった。
雫ちゃんや聖司くんが、二人で歩いていそうな。
そこに地球屋がありそうな。
本当はないものが、次々と見えた。
レンガ色の道、長い長い階段、ちいさな町のなかの神社、丘の上のロータリー、朝日をたっぷり浴びた秘密の場所。
時刻は朝の9時。ようやく朝日が昇りはじめた時間帯。
冬の空気はさえざえとしていて、肺にしみこんだ。
耳は赤くなり、吐息も冷え切っていたけれど、心のおくそこだけがあつかった。
物語の中に来たかのような、胸のおくをしめつけられる感覚がそこにはあった。
閑静な住宅街で、私は静かにお友達と道を歩いただけだったけれど。
体で、肌で、私の中に物語がつむがれていった。
帰り道、聖蹟桜ヶ丘の切符を二枚買った。
決して使わない切符を、二枚。
「聖蹟桜ヶ丘」と印字された文字。
たからものばこに閉まっておこう。
こころのたからものばこは、もういっぱいだから、置く場所がないや。
カントリーロードが、耳のおくそこから聴こえる。