한굴 中文
 少子高齢化だから福祉を削っていく…こんな考え方でこれまでの自民・公明両党の政治が行われてきましたが、それでいいのでしょうか? 貧富の差・都市と農村の差・工業と農業の差など、格差拡大ではなく格差を是正していく政治へ転換しなければ矛盾が解消されることはないのです。派遣切りや解雇・就職難で苦しむ青年たちをこのままにして日本の未来はあるのでしょうか?民主党政権になったら解決するのか?民主党も消費税の増税と完全小選挙区制に切り替えて日本共産党や他の少数政党をゼロに追い込み、軍拡に進むタカ派政策を掲げています。まっとうな野党の前進が今ほど求められている時はありません。  ピンチはチャンスと申します。雇用の確保と景気の底上げを狙った国の補正予算を活用して、西原村が農林業の振興を行い、バイオマスや食用油の精製など自然エネルギーへの転換をはかり、循環社会に向かって進むことを真剣に考える時です。

  が語ります。

 政党助成金:各政党(共は受取拒否)が公金を4080億円も受け取りました。有権者1人あたり5000円です。入党すれば即、準国家公務員とはおかしいと思いませんか?もし日本共産党までが受け取るなら、しんぶん赤旗はあったことを報告するだけのつまらん新聞になってしまうではありませんか。みな国営政党になってしまえば政党の国家統制の時代が待っています。国家総動員体制です。国会の議決権濫用の税金横領(政党助成金)に怒りを覚える方はクリックを→にほんブログ村

 国民の民意を削る国会議席の削減ではなく、政党助成金の削減こそ今すぐやるべき課題です。だまされてはなりません。  全国日本共産党議員のブログ更新一覧→  
  今期各議員の一般質問 所属委員会等も一覧できます。やっとエクセルで初の 議会報告民報513号の表6月議会一般質問を作成しました。・・・

 
                        
 さて、この西原がいかなる所か、まずご説明しましょう。

 西原村議会の議会出席1日あたり2200円の費用弁償はキロ当たりの交通費として計算して支出せよだとか、インターネットでの議会情報公開を進めるべきだなどと訴えてきました。このほど議会基本条例を制定した北海道栗山町への議員研修予定を前にして、大津・菊陽・西原の議会と栗山町議会の比較一覧表を作成しました。

        世の中を動かす力はハガキ道

 私のハガキ道は、年賀状と暑中見舞だけではなく、(旧正月おめでとう)だろうとクリスマス・バレンタインだろうと、『今日は何の日?』であろうと、あらゆる題材で年がら年中せっせとハガキを書くのが流儀です。
 新日本出版社では、インターネットで不破さんの本が注文できます。
                 

                 ↑私が協力を惜しまない阿蘇ナビ
                   


2008/11/17

鞠智城から出土のケータイ仏像には孫氏の兵法の最上策『戦わずして勝つ』の思いが…  村のあちこち村おこし

 今回は、かつて朝鮮半島三国時代に一時は大きな勢力を持っていた百済が、熊本に大変縁があるということを書いてみます。

 九州とは、九つの州と書き、世界という意味かもしれません。まったくその通りで、五色人がやってきたという伝説があるぐらい、いわば民族の大移動の吹きだまりの位置にあるようです。インタナショナルなスケールの人材はこの熊本から、この西原村から出てくることを期待したいと思います。

…………………

 この現代に生きる私達が『ケータイ』と呼ぶ時は、携帯電話のことです。

 ところが、どうも8世紀頃の肥後人にとって『ケータイ』とは、携帯用仏像のことだったかもしれません。

 熊本県北の山鹿市と菊池市の境界あたりに、かつて鞠智(きくち)城があり、そこから最近発掘されたのが百済式の『ケータイ型仏像』でした。

 鞠智城は、福岡県の大野城、佐賀県基山町の基肄城に並んで、唐と新羅の連合軍からの防衛拠点になるように築城された…とされています。

 白村江(はくすきのえ)の戦いで日本水軍が、唐と新羅の連合軍による待ち伏せ攻撃で、百済再興の願いもむなしく全滅?させられたことは、相当ショックなことだったでしょう。

 以後、朝鮮半島との間の制海権を奪われてしまったのです。

 日本は列島に閉じこもって防衛をしっかりし、国家の制度を整備し強力にしようと考えたことでしょう。

 そこで、福岡県内に水城なども作ったりしたようでしたが、同時に太宰府に都護府に似た名前の都府楼を設けて唐の文化を一生懸命に学ぶという中華思想を満足させる迎合路線という、硬軟両用の二段構えにしたのではないかと、私は想像します。

 百済から九州への亡命者の中に、朝鮮半島において高句麗・新羅・唐との間で戦争と外交で非常にもまれてきた軍師みたいな人が、硬軟両用の構えを進言したのではないでしょうか。

 【孫氏の兵法明日に、最上の策は「戦わずして勝つ」ことだ書いてありますが、その神髄をしっかり理解していた人がいたに違いないと思います。

 太宰府から一定の距離に、隈府・別府・防府という、いずれも「府」の字がつく地名があるのは何か暗示しているようです。

 (別の府)とか(隅の府)だとか、(防衛の府)だとか、太宰府を中心においた名に見えます。

 さては太宰府に招いた唐の学者?あるいは進駐軍?を安心させるための欺まん的な意味がありはしないでしょうか。

 つまり、熊本の隈府・菊池市には、太宰府を守るための、唐からの出張兵が形ばかりいたかもしれない…そんな気がしてきました。

 では日本の九州地域は唐の植民地になっていたのか?いやいやそんな単純なものではなく、満ちれば欠けるのが世の習い。進駐軍に似ていても、それは周囲を囲まれた人質にいつでも逆転できるという訳です。

 将棋には振り飛車戦法というのがあり、居飛車側から攻めさせて、攻め過ぎを誘って伸びきったところを待って反撃を行うというのがあります。剣道で言えば後の先というのでしょうか。

 また囲碁にもサッカーにも、戦線を延ばしきらせておいて反撃をするという戦術戦法があります。

 別府・防府・隈府には、いつでも唐側を(人質)に逆転させることができる何らかの仕掛けが施されていたのではあるまいかとは、うがちすぎでしょうか。

 かなりしたたかな戦略が、鞠智城の池の中の【ケータイ】には潜んでいたのかもしれないと見れば、忍者漫画にみる巻物忍法帳に似ているような…

 755年の安禄山の乱すなわち、玄宗皇帝の時代に唐の勢力は周辺部からいっせいに減退したに違いないと思われます。

 でも唐の人々が九州に土地鑑があったとするならば、楊貴妃は殺されたのではなくて実は天草に逃れ住んだという伝説も、にわかに有り得る話に思えてきませんか。





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