2009/1/6
冬あかりツンガ塚に国士無双・韓信が(?)日本将棋の平和思想は韓信の発明か… 村のあちこち村おこし
大津図書館に行って司馬遼太郎の【劉邦と項羽】の後ろの方を開きました。象戯(中国将棋)を発明したとされる英雄・韓信の戦いぶりを確認してみたのです。
というのが、ひょっとして日本の将棋を発明したのも韓信ではなかったんだろうかと思ったからです。
実は、私は直感考古学者です、というのは冗談ですが、古代の人の気持ちに真剣になりきって瞑想してみたら、わかってくることもあるんではないかという訳です。
それを韓信と、敵を殺さず自分の駒として再利用する日本将棋のルール、そして思いきって最後は惨めに殺されることもなく、実は東シナ海の対岸にあたる九州は西原村で最晩年を全うしたのではないかと、空想の翼をせい一杯に広げることは可能かどうか考えたのです。
1月の31日と2月1日という、一年で一番寒い時期に、西原村の商工会の主催で【冬あかり】のイベントが行われます。
『背水の陣』だとか、『股くぐり』だとか数々の故事成語のもとになった『国士無双』の悲劇の英雄は、【戦わずして勝つ】を最上の策であるとした孫子の兵法も恐らくは十分に意識していたのではないか、あるいは平和な時代が早く到来することを熱望しつつ戦っていたに違いないのではないかと思います。
日本の将棋のルールの、取った相手の駒を今度は自分の駒として使うというルールは、コロンブスの卵でありまして、後から考えたら『なんだそんなことか、自分にも簡単に思いつくことだ』と思われるかもしれませんが、よほど平和を求めつつ戦うという思いが強くなければ、実戦の狂気と憎しみと緊張の中では、普通は決して考えつけないルールだったと私は思うのです。
取った駒は次々に盤面から消えていき、終盤ともなると数個の駒同士をお互い延々と動かしていかないといけない退屈な中国の将棋よりも、終盤となっても千変万化の日本の将棋の方が優秀だと思うのですが、日本の将棋だと思えば中国への普及は難しいのではないでしょうか。
それよりも、最後は殺されてしまう悲劇の英雄が、実は日本の九州は西原村に逃れて余生を全うしていたんだという空想の方が、中国への普及には都合がよいのではないかと思うのです。日本にも判官びいきというのがあり、源義経は衣川で戦死せずに北海道から大陸に逃れてジンギスカンになったんだと信じたがる向きがあります。
でもこれは、嘘から出た真という言葉もあるようですが、近くに大航海をする船乗りには重宝する腐らない水が湧く【お池さん】もありますし、全然あり得ない話ではないのではないかとだんだん思い始めてしまいました。
ツンガ塚の丸いマウンド全面に手作りの灯ろうを並べてともすと、揺らめく焔を見ながらやはりこの塚は誰か偉い人の墓に思えてきます。
果たして韓信は、敵を打ち破った後に、敵兵を説得して自軍に加えたり、窮地に陥っている劉邦のもとに補充兵として送ったりしていることが小説には描かれていました。
さあ中国の英雄・韓信が発明したかもしれないとなると中国の将棋ができるたくさんの留学生の皆さんも、日本の将棋を習ってみたいと思うでしょうし、韓信を偲びたい人や平和の愛好者も西原に来るのではないでしょうか?(^ー^)
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というのが、ひょっとして日本の将棋を発明したのも韓信ではなかったんだろうかと思ったからです。
実は、私は直感考古学者です、というのは冗談ですが、古代の人の気持ちに真剣になりきって瞑想してみたら、わかってくることもあるんではないかという訳です。
それを韓信と、敵を殺さず自分の駒として再利用する日本将棋のルール、そして思いきって最後は惨めに殺されることもなく、実は東シナ海の対岸にあたる九州は西原村で最晩年を全うしたのではないかと、空想の翼をせい一杯に広げることは可能かどうか考えたのです。
1月の31日と2月1日という、一年で一番寒い時期に、西原村の商工会の主催で【冬あかり】のイベントが行われます。
『背水の陣』だとか、『股くぐり』だとか数々の故事成語のもとになった『国士無双』の悲劇の英雄は、【戦わずして勝つ】を最上の策であるとした孫子の兵法も恐らくは十分に意識していたのではないか、あるいは平和な時代が早く到来することを熱望しつつ戦っていたに違いないのではないかと思います。
日本の将棋のルールの、取った相手の駒を今度は自分の駒として使うというルールは、コロンブスの卵でありまして、後から考えたら『なんだそんなことか、自分にも簡単に思いつくことだ』と思われるかもしれませんが、よほど平和を求めつつ戦うという思いが強くなければ、実戦の狂気と憎しみと緊張の中では、普通は決して考えつけないルールだったと私は思うのです。
取った駒は次々に盤面から消えていき、終盤ともなると数個の駒同士をお互い延々と動かしていかないといけない退屈な中国の将棋よりも、終盤となっても千変万化の日本の将棋の方が優秀だと思うのですが、日本の将棋だと思えば中国への普及は難しいのではないでしょうか。
それよりも、最後は殺されてしまう悲劇の英雄が、実は日本の九州は西原村に逃れて余生を全うしていたんだという空想の方が、中国への普及には都合がよいのではないかと思うのです。日本にも判官びいきというのがあり、源義経は衣川で戦死せずに北海道から大陸に逃れてジンギスカンになったんだと信じたがる向きがあります。
でもこれは、嘘から出た真という言葉もあるようですが、近くに大航海をする船乗りには重宝する腐らない水が湧く【お池さん】もありますし、全然あり得ない話ではないのではないかとだんだん思い始めてしまいました。
ツンガ塚の丸いマウンド全面に手作りの灯ろうを並べてともすと、揺らめく焔を見ながらやはりこの塚は誰か偉い人の墓に思えてきます。
果たして韓信は、敵を打ち破った後に、敵兵を説得して自軍に加えたり、窮地に陥っている劉邦のもとに補充兵として送ったりしていることが小説には描かれていました。
さあ中国の英雄・韓信が発明したかもしれないとなると中国の将棋ができるたくさんの留学生の皆さんも、日本の将棋を習ってみたいと思うでしょうし、韓信を偲びたい人や平和の愛好者も西原に来るのではないでしょうか?(^ー^)
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なお、このブログへの書き込みはほとんどが出先からケータイで投稿しています。早稲田速記からヒントを得てのケータイ速打法を提案しています。テキストの末尾に少しずつ紹介しています。いずれケータイ入力スピードのコンクールに出たいと思っております。





