このブログには早稲田速記からヒントを得てのケータイ速打法を提案しています。  ケータイやアイホンなどから親指入力でせっせとブログに登校すると更新がたいへん簡単になるのではないでしょうか。親指速打法の要領は、このブログに掲載しているテキストの末尾に少しずつ紹介していますので、検索してみてください。
  
      
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705
菊陽病院の、精神障がい者家族の会長をさせていただいており、点字講習を四苦八苦しながら受けるなど、障碍者運動全般にも関心を深めてきたところです。地域に当事者の居場所をつくっていけぱ、将来的に医療費も減らしていけるのではないかと考えています。                              한글문자 中文
              ケータイから読み取ってブログにアクセスできるQRコード                  otemo-yan blog

 民主党野田・どじょう政権が、TPPへの参加に進もうと国民や党内外の反対を押し切ろうと、今強引です。そうはさせじと頑張りましょう。    消費税の10パーセントへの増税、衆院選の比例定数80削減など、民主党の政策はいったい国民のくらしに目を向けているのでしょうか?それともアメリカと大企業の利益に目を向けているのでしょうか?  それらが経団連の通知表に基づいた政治献金に発信源があることに留意したい。日本共産党は建設的野党の立場で臨んでいくと表明していますが、相当な草の根からの運動が求められています。
 1988年のリクルート事件以来の日本の政治の宿題は、企業献金の廃止だったのではないでしょうか。二酸化炭素の排出削減の目標25%にしろ、経団連から点数をつけてもらって献金を受け取るようでは抵抗を乗り越えることはできません。企業団体献金禁止の段階に日本の政治が前進できるかどうか、これが今後の政治の分岐点になるのではないでしょうか。

              にほんブログ村

  ブログ更新一覧→  
   議会の改革は徹底した情報の公開を行うことによって、住民参画型に切り替えていくことです。議会基本条例は、議会改革を後戻りさせないという意義があります。議会基本条例制定した御船町議会への視察研修にひきつづいて山形県の庄内町議会も研修しました。

 実行しなければいくら研修しても意味がありません。実行を求めます。  西原村は、韓国から見たら安・近・短のお手軽な外国です。この地の利を生かさない手はありません。そこでまずは言葉の壁を乗り越えようましょう。毎月第二と第四の木曜日午後7時より、のぎく荘で開かれている韓国語教室においでください。(講師は熊本学園大学の田中節子先生)。

2009/2/18

小林多喜二が虐殺されたのは なぜ?  日本共産党

 赤旗日刊紙に【蟹工船】のベストセラー入りで一躍注目されている小林多喜二についての質問と解説が出ていましたので、引用して紹介したいと思います。

 熊本にも徳永直という多喜二に次ぐプロレタリア作家がいました。日本文学史で【太陽のない街】という作品名が答えられなければ減点されるぐらい有名です。

 南阿蘇村の元長陽村立野は、今でこそ国道57号線ですいすい行きますが、江戸時代の参勤交代は二重の峠に迂回していたぐらいに人の行く手を阻んでいたところのようです。峻険な渓谷をあえぎながら登っていく鉄道のスイッチバックがあることで有名ですが、立野駅に降り立ってあたりを見回すと、北側から山の斜面に長大な白い鉄管が沢へ向かって落ちかかる光景が印象的です。

 1914年の第一次世界大戦が始まる年に、熊本県で初めて建設された悲願の水力発電施設です。ここに徳永直が就職していたことがあり、三つの作品に立野時代のことを書いているといいます。

 著作権は1958年没ですからすでに50年が経過して切れていますので、青空文庫で読めるように、作品を手に入れて入力練習かたがたアップしても構わない状態になりました。熟読精読をしながら作品世界に浸るためには、携帯入力ででも入力してみるのが一番です。

 十分に作品に浸った上で、いずれ南阿蘇の立野の水力発電施設に徳永直が書いてくれたことを文学碑にして顕彰する運動をしたいと思います。これから熊本と阿蘇の地域おこしの狙いをもって徳永直に注目していただくために前段階として、今回は多喜二の紹介をしておきたいと思うのです。

………引用………

日本共産党
知りたい聞きたい

<問い>
「蟹工船」の作者・小林多喜二は、当時の警察に虐殺されたと知りました。なぜ殺されたのでしょうか。(東京・一読者)

<答え>1933年2月20日の小林多喜二の虐殺はあまりにも有名です。天皇が絶対的な権力を持ち、警察も軍隊もそのもとで横暴を極めた戦前には、天皇制や軍国主義に反対したために逮捕・投獄、虐殺された人はかなりの数にのぼっています。

 23年9月の関東大震災の折には混乱に乗じて初代共産青年同盟委員長・川合義虎や労組活動家・平沢計七ら10人が軍隊の手で殺され、さらに無政府主義者・大杉栄が妻・伊藤野枝、おいとともに虐殺されました。

 25年、普通選挙法(男子のみ)と抱き合わせに、天皇制廃止、侵略戦争反対を掲げる日本共産党をはじめ、革命的労働・農民運動を弾圧する目的で治安維持法が制定されました(28年に死刑・無期刑に改悪)。その違反名目での逮捕者は数十万人にのぼり、司法省調査でも送検者7万5681人、起訴者5162人、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の調査では、明らかな虐殺だけでも日本共産党幹部など65人、拷問・虐待死114人、病気その他の獄死1503人といわれています。

 多喜二の虐殺もそういう歴史の文脈のなかでのことです。同時に彼の場合は、逮捕数時間後の激しい拷問によるものでした。それは彼の作品が、治安維持法の適用による大弾圧「三・一五事件」での警察の拷問の実態を暴いた「一九二八年三月十五日」や、労働者搾取の国家構造を描き出した「蟹工船」、農民と労働者の共同闘争を描いた「不在地主」など、戦争突入前夜に、政府の戦争と労働者抑圧政策を鋭くえぐる内容で、しかも読者も多く、国際的にも高く評価され、為政者から特別に憎悪され、恐れられたからです。

 多喜二が作家同盟の中央委員・書記長、プロレタリア文化団体の党グループ責任者など重要な位置にあったことも、「生かしてはおけない」理由だったのでしょう。多喜二の作品は敗戦までは持っているだけで逮捕される国禁の書とされました。   (淳)
〔2009・2・18(水)〕
0
タグ: 立野 徳永直 南阿蘇




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




Powered by teacup.ブログ “AutoPage”