それぞれの神はそれぞれの役目を果たしたのじゃが、タケハヤスサノヲだけは、海原を治めようとはせず、あごひげが伸びて胸までたれるほどに成長しても、なきわめいていたんじゃよ。その泣きわめく様がまたすさまじいものじゃった。青々とした山々は枯れ果てるほどになきからし、河や海の水はすべてスサノヲの流す涙となって枯れ果てるほどじゃったんよ。
これをきっかけにうごめき始めた悪しき神々の音は「さばえ」(五月の蠅)のごとく満ちあふれ、よろずのモノ(魑魅魍魎)のわざわいが、ことごとくわき起こったのじゃ!
困り果てたイザナギは、泣きわめくスサノヲにこう言ったそうな。
「なんでそのように泣きわめくんじゃ?国をおさめもせんで。」
するとスサノヲは答えた。
「わたしは亡き母の国であるネノカタスノクニ(根堅州国)に参りたいのです。妣(亡き母の意味を持つ「はは」)に会いたいのです。だからこうやって泣いているんです。」
するとイザナギはえらい怒り出したんじゃ。
「そんならおまえはここに住んではならん」
そういうと、すぐさまスサノヲをかむやらいに追い払ってしまったんじゃ。
イザナギもまたそのまま身を隠し、今は淡海の多賀におられる。
父のもとから追いやられたスサノヲは
「そうだ、まずアマテラスにわけを言うてからにしよう」
と、すぐさま天に昇り始めたんじゃが、なにしろ山や河はあまねく鳴動し、国も土地も、どんがらどんがら揺れうごめいたんじゃ。
(なししろスサノヲは地上のあらゆる災害、現象の神じゃから、歩くときはうるさいのなんの。まるでこわれた楽隊のようじゃった。その道中のにぎやかなこと〜〜〜!)
その音を天で聞いたアマテラスはそれはもうおったまげた。
「わ、わが弟がやってくるのは、ぜったいよからぬ心があるからじゃ。この天上の国を奪い取る腹に相違ない」
そう言うやいなや、結うてありしめの髪をときはなち、みずら編み上げ、左のみずら、右のみずら、頭にかぶりし飾りのみずら、そればかりではない、ゆん手にめ手に、それはありとあらゆるすべての場所に大きなる玉、イホツの玉、その玉の緒をば巻き付けて、背には千本の矢を入れた矢筒を背負い、腹にもまた五百本の矢を入れた矢筒を巻き付け、左の肘には、その響きで敵がおびえあがるイツノタカトモを巻き付け、手には弓を握りしめ、左の足でかたい大地を踏みしめて、勢いのあまり、太ももまで大地にのめり込ませながら、さらにはその土をめりこむ左足で淡雪の如くにけちらかし、大音響で雄叫びを上げ、踏み叫びながら弟を待ち受けて、弟と見るやいなやこうなじり叫んで問いただした!
「おまえはいかなるわけにて昇りきたか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
(おたくの姉さんや兄さんにもこういうのがおるかのう?おっちょこちょいで激しい性格の。かわかつはどうやらそういう性格らしいぞ。気をつけろ!)
なんだかまるで映画の戦場にゆく兵士のような気合いにたじたじとなりそうじゃが、それでもスサノヲは答えてこう言うた。
「わたしによこしまな心などありませぬ。ただ母の国へ参りたいだけなのです。父はしかしわたしをかむやらいされた。それで状況説明と出立のあいさつに参っただけなのです。ほかに他意はありません」
それを聞いたアマテラスは、
「ふうん、そうならばそなたの心の清廉潔白をどうやって証明するんじゃい?」
というわけで二人はおたがいに天の安河原でウケヒをすることになったんじゃ。ウケヒとは互いの邪心のなさを証明するための呪術とでも言おうかのお。だから始めからフィフティフィフティの結果になることが想定された場面で行うのが建前じゃ。つまり和解のための通過儀礼じゃな。儀式じゃ。言うならば勢力結婚などもまあ、そのうちに入るじゃろう。不承不承の仲直り。しかしその実、腹は別じゃ。
天の安河原は福岡県筑後川の支流、夜須川ではないかと言われちょる。どこでもいいのじゃ、そんなものは。ちなみに天のやちまたはその近くにある日田市だという説がある。どこでもいいんじゃ、そんなものは。みなが勝手に頭に思い描けば、そこがそこじゃよ。これはファンタジーなのじゃ。事実ではない。
ほれよくあるじゃろ?
「この物語はフィクションです。」
信じすぎてもダメ、信じすぎぬのはもっとダメじゃ。それが信仰という一過の忘れ草の決まりごとじゃ。深入りはけんのん。知らずに置くのはもっとおろか。
信仰も又、はまり過ぎるは馬鹿、無視するはなお馬鹿。