柳沢厚労相の発言が騒がれている。
野党も罷免を要求した。
あっさりやめちゃえやめちゃえ。
ついでにアベくんも責任取ってやめてくれよ。
世の中には
女も人間であると考える人と
女は女であると考える人、2種類いるという。
柳沢氏は、間違いなく「女は女である」と考えているのだろう。今ごろ氏の頭の中は、「例え方が悪かったのであって自分は女性差別などしていない、なんでここまで批判されるのか分からん・・・」というクエスチョンがいっぱいだろうか。
女は(男も)出生率向上のための道具じゃないんだよ。「女が産んで男が稼ぐ役目」って言いたいのかもしれないけど、今どきそれじゃ子どもを育てられないんだよ。私自身は断然共働き派だけどね、専業主婦志向の女性だって働かざるをえない現実、こんな社会に誰がした?
ま、そういう考えのおじさんが近所にいても私は別にいいけどね(実際にごろごろいる)。大臣にはならない方がいいよ。しかも、厚生労働省なんか適材適所の真逆。最悪。
唐突に思い出すことがある。
私は、2人め、3人めを家で産んだ。
一番リラックスできるところで家族に囲まれて産みたかったし、お産は病気じゃないんだから大丈夫、産むのは医者じゃなく私だ!と自分や周囲に言い聞かせて選択した。自宅分娩は、妊娠中の経過が良好で血圧や体重などのリスクが低い人でないと難しい。いわば、安産間違いなしの太鼓判をもらってその日を待つのが自宅分娩だ。
でも、私はその二人目のお産の前、密かに「遺書」を書いたのですよ。
ひとりめも民家そのものの助産院で産んでいたから、病院でないことへの不安はそれほどないし、お産自体も初めてではない。だけど、ひとりめのお産と子育てを通して「生命への畏怖」みたいな感情が私の中にしみじみとふくれあがっていた。最新の医学と昔からの知恵をつなぎ合わせ、できるだけの準備と最善の対応をしても、何が起こるか分からない僅かな確率がある、それが出産だと思ったのだ。
たぶん女性は、むかしむかしから自分の命と人生をかけて、子どもを産んできたはずだ。そういう自覚のないお産も今は多いかも知れないけど、いのちかけることに代わりはない。柳沢氏にはその重み、分からんやろ。
自分だってそうやって産まれてきたのに、古今東西、支配層は「命を捨てる覚悟」を簡単に美化したがる。けして傷つかない場所で旗だけを振っている。人間は機械から産まれるんじゃない。すべての人間は女性出身、そして女も人間だ。軽々しく言葉を使うな、ばかちん!

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