8月9日、閉会総会。壇上で踊り狂う(^^)

海外代表たち。
実は、このちょっと前まで、私とひかちゃんも舞台の上にいたのですよ。少年少女のつどいの報告?ということで、子どもたちが一番前に出て、折鶴(紙飛行機みたいに、飛ぶ形に折って切ったもの)をとばしたのでした。
閉会総会で、山口仙二さんは「
いま私は、若者たちに期待します。被爆者の思いを受け継いでください。核兵器の廃絶はもはや夢ではありません。生きていてよかったと思います。さらに核兵器がなくなるまで生きたいと思います」とメッセージを託されました。
そうだ、いつか遠い未来にではなく、
本気で、今、核廃絶を実現しよう。
オバマ頼みではなく、みんなの力で!
さて、その後私たちは代表団の皆さんと別れ、かあくんとひかちゃんと母という3人グループになって、鹿児島へ向かいました。写真は鳥栖駅の立ち食いうどんを食するかあくんです。鹿児島旅行中、とにかく口を開けば「はらへった」「はらへった」と言いつづけていらっしゃいました。ちなみに、これは昼食ではなく、「おやつ

」です。
9日は鹿児島市内の格安ビジネスホテル泊。夜7時過ぎにようやくホテルに到着し、急いで天文館に出て、こてこてのラーメンを食べて夕食としました。それにしても、特にひかちゃんの疲労は激しく、ラーメン店を探す間も文句たらたら、泣いたりすねたり固まったり。同じく疲れてるに違いないかあくんがいら立ちをこらえながら、「あーもうーひかちゃん!余計に遅くなるから、さっさと行こうよ!」と、何度もなだめてくれました。この人は、将来いいパパになると思うわ。
翌10日。今回の旅のもうひとつの大きな目的、
知覧の特攻平和会館へ。いっぱい感じて学んでくるつもりで、神妙な気持ちで訪れたんですが、会館に入る前にこのような碑を発見。他にも、石原慎太郎氏や小泉純一郎氏の碑もあったりして、ちと違和感。(私はイシハラ氏もコイズミ氏も大嫌いだ)

さらに、「大東亜戦争」「散華」という言葉づかいや、スポットの当て方が一面的に思えて、私は正直あまり心が動かなかったのです。かあくんが腰が痛い〜と言ってへたりこんでいたことやひかちゃんが「こわいからもう帰ろう」を連発していたので、集中して見学できなかったことも大きいのですが・・・。
もちろん、遺言にあふれる親への思いとか、家族との思い出を切々と語っている手紙とか、切ない展示がいっぱいありました。ただ、「国のために死ねて誇りに思う」という言葉の裏にもっと言いたいことがあったんじゃないだろうか、と思ったんです。
特攻会館ガイドのおじさんは、「家族・友達、愛するふるさとを守りたいという気持ちが祖国を愛する気持ちにつながっていった」と力説しておられました。これも、疑問でした。彼らが家族や友、ふるさとを思って飛び立ったことは事実でしょう。でも、彼らにとっての「お国」は、どのように見えていただろうか?郷土愛と祖国愛は、元来矛盾するものだ、という意見を聞いたことがあるけれど。
会館には感想ノートがありました。「二度とこのような悲劇を起こしてはいけない」、と多くの人が書いていました。同時に「彼らに感謝したい」というような言葉も多くありました。それは、この会館自体の趣旨とも重なるようです。
でも私は「感謝」というよりも、この美しい若者たちを死に追いやった「お国」に対しての「怒り」を強く感じました。為政者は、いつも結局安泰なのです。若者を犠牲にしてお上が超え太る構造は、今だって全然変わってないと私は思う。私たちは本当に賢くなったのか。「あとに続く世の中の平和を願って死んでいった」特攻兵たちに「二度と繰り返しません」と胸を張って言える現状か?。「二度と繰り返さない」ためには「二度とだまされない」ための不断の努力が不可欠なはずなのに、その努力が足りないのではないか。
そして、どうしてあの戦争をせめてあと半年、早く終結することができなかったのかと、いつもの怒りをあらためて感じました。東京大空襲も神戸や和歌山の空襲も、沖縄、広島、長崎、あと半年早く戦争終結していれば、どれだけの国民の命が助かったかと思いました。
・・・いや、それよりも、そもそもどうしてこんな戦争を始めてしまったのか、誰が、どのような判断で?国民はそのとき、ただ従うしかなかったのか?という問いのほうが、より本質的でしょうか。
単純に「そういう時代だったからしかたがなかった」で結論づけてたら、また同じことを繰り返してしまうでしょう。平和への誓いを守るためには、悲劇の原因や分析、反省、それを絶対に繰り返さないしくみを作ることがどうしても必要なはずです。
特攻平和会館に展示されている遺書や写真の資料はどれも、大変貴重なものです。でもこの会館からは、そういった分析や反省が感じられませんでした。私は、ただ、祈って願っているだけでは平和はつくれないとつねづね考えているので、だからなんだか納得のいかない気がしたのだと思います。
と、まあ、予想外の違和感を抱えたまま、
ホタル館へ。
ここは、特攻兵から慕われた富屋食堂を復元してつくられた小さな資料館です。鳥浜トメさんのお孫さんが管理運営しておられるそうです。
館内で資料を眺めているうちに、横で他のお客さんに解説をしておられる男性がそのお孫さんだと気づきました。そして、少しお話を聞くことができました。
「事実を伝えたい」
「国からは命令で圧力をかけられ、国民からは軍神と持ち上げられ、彼らはその狭間で苦しんだ」
「笑顔の写真は、報道によって撮影されたもの」
「事実は、若者を戦地に追いやって上層部は生き残ったのです」
「エンジントラブルなどで何度も出撃して戻ってきた兵や『この戦争は負ける』と綴った兵もいる」
「彼らは11月には米軍が鹿児島に上陸してくることを知っていた。そうなったら、本土で2000万の死者が予想された。(もしそうなっていたら、私もあなたもいなかったかもしれませんね。)それを少しでも阻止する。そのために苦しみぬいて出撃していった」
・・・ホタル館に行ってお話を聞けたことで、先ほどまでの違和感や疑問が氷解しました。特攻平和会館だけで知覧の旅を終わりにしなくて良かったと、つくづく思いました。もちろん、短時間の会話や見学で結論付けるのは、どちらにしても危険です。もっとゆっくりホタル館の資料を読み、お話を聞きたかったです。一度は行っておかないとと思って計画した鹿児島行きでしたが、これはもう一度じっくり行かないといけない気がしてきました。大阪南港から志布志まで、フェリーでいけるからね。今度は、家族5人で行くかな。
ところで、昨年「千の風になってドラマSP『なでしこ隊』」という番組がありました。上記、富屋食堂を舞台にした印象的な誠実な番組でした。(動画でも見られるようになっています。
こちら)
えー、ながながと書いてまいりましたが、こうして8月6日の夜から12日の朝までという長旅は、大量の汗と肩こりと腰痛(荷物重かった・・)と、近年まれに見る出費を記録しておしまいとなりました。母ちゃん、ひかちゃん、かあくん、それぞれがとってもよくがんばりました、まる。

3