楽(らく)♂。小学二年生。 沖縄の離島、宮古島生まれ。2011年1月より東京下町暮らし。ゴーイングマイウェイ的母は、教員目指して勉強も追い込み!!シェー!

2011/5/22

ボヤけた視界で  with raku
ボヤけた視界で今日見たつつじは満開で、広い道路の中央分離帯の、植え込みだったんだ、まるで場違いに広がるショッキングなピンク。
日本にもこういう色が、自然の中にあったのか。

色がまぶしい、私は見えないのではなく、見えすぎているのではないかな?と、勘ぐるくらいに。

大学で友人に手引きしてもらい、平日の通学生の授業にも、実はもぐりこんでいるのだ、勝手に講義を聴いているのだ、大人数の教室の片隅にて、ちゃっかりと(笑)

脳が、考えたがっている。

今日は、スクーリングでね、あ、もぐり込みではなく、正規のね(笑)

三人、というのはベストバランスだとしみじみ感じた。
問題な日本語、について、分析しているのだが、三人グループになってのディベートは発展的で、おもしろかったし、脳が気持ちよかった。
もし、ひとりが違った方向に突っ走ってしまったら、それに気づかせて、修正するのは一対一だとキビシイが、
三人というのは、うまく転がる。トライアングルの枠の中に、ビー玉を転がしている絵を思い浮かべてほしい。
バランスよく、いろんな方向に転がる。
だれが考え出したのか、すばらしいカタチだね。


遠くの友人が、子宮で考えはじめている。
のだそうだ。
その意味が、とてもよくわかる。
谷川俊太郎なら、きっとそれを、うまく言葉にして説明してくれるにちがいない。
ダイナミックな、命の源で、感じて判断を下す、ことができる、ってことは、すばらしい。
それは生きているということ、いま生きているということにおいては、とても核心に近い、大切なキーワードですね。

私の方はいま、脳が動きたがっている、考えたがっている

と、

感じています。


いろんか時期があるのだな、人生には。
そのうち脳が疲れたーとか白旗をあげて、私も子宮で考える時期がくるかもしれない。
遠くの友人よ、応援するよ。
私の分まで、子宮で考えてほしい。
私の方はいま、今までほとんど化石化していた脳みそが、ついに、やっと、ようやく存在を主張し始めた、っていう時期かな。。。


人間のからだの中で、考えることができるのは、脳だけじゃないよね、と、共感。
たとえば私は、目でたくさん考えていたようで、いま、見えないことで、いったん考えが朦朧としたけれど、たとえば何遍も口に出して耳から考えようと、してみたらまた、全然ちがう感触だよ、うん。

ダイナミックな自然の中に身を置いていながら、わたしも脳で考えようとは思わない。
つまり環境と連動しているのだろうな。環境を味方にして生きていこう、からだの声をいかして、お互い正直に生きていこう!

正直に。


幼い子どものように、私たちは大声をあげて、全身で主張することができない。
泣き叫びながら、頑固に頑固にそれを主張することができない。

しかし、おとなになっても、どうしてもゆずれないものは、あるはずだ。
どうしても、と、そう思ったこと自体が、その人の中に強い想いになっていつまでも残るはずだ。

子どもはとてもはっきり表現しているのに、おとなはそれすら、注意深く取り扱わなければならない。

不自由といえば不自由だけど、そのかわりに、考えることができる、じっくりと。
考えを、鍛えることもできる。

そうだよ、胃袋で考えたい人は胃を鍛えて、足の裏で考えたい人は足裏を鍛えてさ。



疲れて眠りたいのに、脳が興奮していてどんどん考えてしまい、眠れない、っていう、こんな夜は、
こういうアホなたわ言を書いてみると、リラックスするのです。
脳のクールダウン。

まとめよう、と、しないでただ思いつくまま書くってことは、かなり脳のクールダウン効果があるなぁ。

もうこのブログはそういう主旨になりました。(笑)
すみません、あたたかい目で見守ってください。今日もたくさん回転ありがとう、脳。ゆっくり眠って休んでね、脳。また明日。おやすみ。。。
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