許せない。そう思った。
絶対に、絶対に。
許すことなど、出来ないと。
人、思う、故に 〜前編〜
「馬鹿か。おまえは」
呆れたように言われて、彼女は言葉を無くす。そう言われても仕方ない、そう覚悟はしていたが、実際に面と向かって言われると想像以上にこたえた。
「いや、その……」
「自分で気付いていなかった、とは言わせないぞ」
グルグルと包帯を直斗の腕に巻きながら、彼は視線だけで彼女の口を塞いだ。どうやら、言い訳も聞いてはくれないらしい。直斗は思わず、小さく溜息を吐く。今日の彼は、ひどくご機嫌斜めだ。
もっともその理由の大半は自分にあるのだけれど。
溜息ついでに天を仰ぐ。
禍々しい紅に染まった見せかけの空。これもまた、彼らが追う男の内面を映し出したものなのだろうか。
「……これで終わりだ。しばらくはじっとしてろ」
最後にキュッ、と包帯を縛り、彼は立ち上がって辺りを見回した。幸いにも、シャドウの存在は近くには感じられない。
だが一方で、仲間達の姿もない。サポート役のりせとも連絡が取れないままだ。
油断無く辺りを警戒する彼の姿に、直斗は下唇を噛む。こんな風に、先輩に迷惑をかけるつもりはなかったのに、と。
やっと、捕まえたと思った犯人。だが男は、ただの傀儡だった。彼を唆し、盲信を与えた本当の犯人は、別にいたのだ。
そいつは彼らのすぐ側にいて、全てを見ていた。二人の女性をテレビに落とし、死に追いやったのもそいつだった。そして躍起になって犯人を追う少年達を、嘲り笑っていたのだ。
真相に気付き、やっと追い詰めたと思ったのに、そいつはするりと逃げてしまった。この、テレビの中の世界へと。
次こそは、必ず。そう誓い、再び剣を取った彼ら。だがそんな彼らを、そいつは愚弄した。自らに陶酔していたのだろうか、掌の上で全てを躍らせていたかのようにのたまい、高らかに笑ったその声が、直斗の耳から離れない。
だから、だろう。
一度、引き返して準備を整えよう。
そう言ったリーダー格の少年に逆らったのは、直斗だった。
「ここまで来て、追いかけないなんて出来ません」
強硬に追跡を主張する彼女の姿に、彼は当惑の色を隠せなかった。それは、仲間達も同じ。二人が相思相愛の仲と知っているからこそ、余計に口を挟めずにいて。
「まぁまぁ、直斗もそんないきり立つなって。今から行くところがどんなところかわからねぇんだから、ちゃんと準備もだな」
「花村先輩は黙ってて下さい」
それでも間に入って落ち着かせようとした陽介を、直斗はしかし一言の元にはねのける。睨むような視線に、未だ困惑の色を隠せないリーダー。苛立ちを抑えきれず、直斗はとうとう言ってしまう。
「先輩が行かないというのなら、僕一人ででも行きます」
そう言って身を翻した彼女の剣幕に、仲間達は息を呑む。壁に生まれた空間に飛び込もうとする直斗の肩に手が置かれ、ぐいと引き戻された。
頭の上で一つ、溜息。そして彼は、
「行くか」
決意を込めて、一言、そう呟いたのだった。
探索のメンバーに選ばれたのは、陽介と雪子、そして直斗の三人。
「俺達が戻らないようなことがあったら――――わかってるな」
出発間際、残りのメンバーに彼はそう言い聞かせていた。りせは泣きそうな顔で、そんなこと言わないで、と告げる。普段は陽気なクマも、黙って深く頷いていた。
大丈夫なのに。直斗はそう思う。後はただ追い詰めるだけ。そして罪を償わせるだけ。だから心配なんていらない。必ず、見つけ出してみせる。
後になってから、それが根拠のない自信だったと気付いた。
気付いた時には、もう、遅かったのだけれど。
犯人を追って飛び込んだ迷宮、そこに生まれたシャドウ達の強さは、これまでとは比べ物にならないものだった。
「痛ぅっ――――くっ」
「花村君!! お願い、アマテラス!!」
攻撃を受けて吹き飛んだ陽介に、すかさず雪子はペルソナを呼び出し、彼の体の傷を癒した。
「すまねぇ」
ついていた膝を無理矢理に立たせ、陽介は敵に対峙し、吠える。
「来い!! スサノオ!!」
そして現われるもう一人の自分。スサノオが起こした風が敵を次々と切り裂き、シャドウは断末魔の悲鳴を残して宙に溶けていった。
「ふぅ。危ねぇところだったぜ」
「さっきからずっと、そればかりだね」
言って笑う雪子だが、顔色はひどいものだった。仲間達の傷を治す癒しの力を使い過ぎたのだろう、足元もおぼつかないのか、ふらふらとしている。
同じことは、直斗にも言えた。これでもかとばかりに次から次へと襲ってくる強力なシャドウに、満身創痍。
「大丈夫か」
仲間達の身を案じて声をかける彼も、疲労の影は隠せない。次々と幾多のペルソナを呼び出し、攻守双方に奮迅してきたせいだろう。そのおぼつかない足元に、初めて直斗は後悔する。
「先輩」
謝ろう。そして一度、体勢を立て直そう。言おうとした、まさにその時。
『敵五体、すぐ近くに来てる!!』
りせの絶叫が耳元で響いた。次の瞬間、直斗の背後に生れる気配。
「直斗っ!!」
彼の警告に、振り向くのとほぼ同時に、仮面を被った鷹型のシャドウが直斗に襲い掛かってきた。
「くっ!!」
辛うじて直斗は、身をひねって攻撃をかわす。が、完全にはよけきれず、制服の腕の部分が切り裂かれて宙を舞った。
「おおおぉぉっ!!」
大地を踏みしめ、雄叫びをあげながら彼は、虚空に浮かび上がったカードを握りつぶす。彼を守るように現われたペルソナは、雷を付き従える古の神の一人、トール。
仮面の奥の瞳が爛々と響くと、生まれた稲妻がシャドウを貫く。
「キェェェェェ!!」
絶叫し、悶えるシャドウ。
だが。
「――――っ!?」
ぼろぼろになりながらも、シャドウはすぐに体勢を整え、再度の攻撃を仕掛けてくる。一撃で仕留められなかったことに臍を噛みながら、彼は大剣を正眼に構えて迎え撃った。
「こりゃ本気でやっべぇな」
とん、とぶつかる背中。肩越しに、そう話しかけられる。声の主、陽介の口調は軽いものだったが、実際にはそこまでの余裕は無いのだろう。
「どうする?」
「諦めるか?」
「冗談!!」
言葉と共に、二人は弾かれたように敵に立ち向かう。彼の大剣が、陽介の双剣が、目の前の相手を屠る。
それでもまだ、幾多と残るシャドウ。肩で息をつきながらも、彼は再び剣を構えた。
「ヤマトタケル!!」
果てしなく続くかと思われた戦いをしめくくったのは、直斗が呼び出したペルソナだった。浮かび上がる光に包まれたシャドウ達が、次々と絶命していく。
「サンキュ、直斗。助かったわ」
「……ホント、ありがとう」
「はぁっ――――はぁっ――――いえ」
陽介と雪子の言葉に、なんとか応える直斗の息はひどく荒い。一瞬、視界がぼやけて立っていられなくなり、彼女はふらついた。
「――――!! 直斗!!」
叫び声と共に、血相を変えて彼が駆け寄ってきた。怪訝に思う間もなく、直斗は足元の床が無くなったことに気付く。
「……え?」
グラリと揺れる体。唐突な浮遊感。天と地が回転する。
落ちている。そう気付いて振り返れば、目の前には深い闇が広がっている。
「直斗!!」
「直斗クン!!」
二人の先輩の声を遠くに聞きながら、直斗は意識を失った。
その刹那、誰かに自分の体を抱きしめられたような気がした。
目が覚めた瞬間、自分がどこにいるのか、わからなかった。空には赤い光。虚ろな街の影が遠くに見える。一瞬、死後の世界に思えたが、それにしては見覚えがあると思う。
やがて徐々に覚醒していく意識。
そっか。自分は、あの穴から落ちたんだ。
起き上がろうとして、体中に走る痛みに、くぅ、と息を漏らす。それでも何とか体を起こすと、自分がいるのが小さな小部屋だということに気が付いた。
警戒していたシャドウの影はなかった。が、代わりに見つけたものに、彼女は心底驚く。
「……先輩?」
見慣れた背中、それは仲間達のリーダーであり、彼女にとっては想い人の少年のものだった。
「気がついたか」
振り返った彼は、直斗の様子に安堵しながら、こちらに近寄ってくる。落ちる前に最後に見た時より、傷が増え、憔悴しているようだ。もしかして、この場所で一人、戦っていたのかもしれない。
「どうして、ここに」
「どうして、だと?」
語気の荒さに、直斗はビクリと体をすくませる。
聞くまでも無かったことだと、後悔する。この人が、どんな人かをわかっていれば。
目を伏せた彼女の姿に、彼は溜息を一つ。そうして、いつもの優しい声で言った。
「直斗を守る為に決まってるだろうが」
「……すいません」
思い出す。落ちていく最中、意識を無くした彼女を、彼が抱き止めてくれたのだ。自ら、大穴に飛び込んで。もし彼がいなければ、もしかしたら自分は絶命していたかもしれない。そう思うと、少しだけゾッとした。
「他の、先輩方は」
「はぐれた」
直斗の問いかけに、彼は軽いことのように言う。だがそれが、何を意味するか、判らない彼女ではない。
「ついでに言えば、りせとも通信が繋がらない」
淡々とした口調で、彼は事実を並べていく。自分達が置かれている状況に、彼女は恐怖を感じる。この得体の知れない世界で、たった二人だけになってしまったことに。
それでも、直斗はその思いを表に出すことはしなかった。無理矢理に押さえ込んで、取り繕って、わかりました、と頷く。
「ともかく、ここでじっとしていても仕方ないですね。出口を探しましょう」
言って、立ち上がろうとした瞬間。
地面について体重をかけた左腕に激痛が走る。漏れそうになった悲鳴を、食いしばって飲み込む。これ以上、彼に心配をかけるわけにはいかないから、と。
だが、その願いは叶えられることが無かった。直斗の一瞬の躊躇に、彼はしっかり気付いていたのだ。
「直斗、腕、見せてみろ」
「これぐらい……」
「いいから見せろ」
怒気をはらむ声に、直斗は渋々、学ランを脱いだ。シャツの左腕が、彼女から流れ出した血で真っ赤に染まっているのを見て、彼は絶句する。
「見かけだけですよ。天城先輩の力で癒されてますから、傷はそんなにひどくはないんです」
言い訳を直斗は口にするが、ジロリと睨まれてしまう。黙ったまま、彼はポケットから包帯や消毒液を取り出した。
「破るぞ」
言った時には彼は、シャツの袖を引き裂いてしまっていた。すでに固まり始めていた血を清潔な布で拭い、傷口に消毒液を振り掛ける。走る痛みを、歯をくいしばって耐え、彼が包帯を巻くのを直斗はじっと待っていた。
「馬鹿か。お前は」
「いや、その……」
「自分で気付いていなかった、とは言わせないぞ」
口答えを許さない雰囲気に、直斗は何も喋れない。普段の彼女ならば、苛立ちを覚えていたかもしれないが、今はただ言われるがまま、されるがままだった。
「……これで終わりだ。しばらくはじっとしてろ」
言って立ち上がった彼の背中を、直斗は見つめる。警戒を怠らない彼の姿に、彼女は唇を噛んだ。
「すいません」
長く続く沈黙に耐え切れず、壁にもたれながら直斗は言葉を漏らす。
小さな小さな声、だが彼の耳にはしっかりと届いたのだろう。振り向いて、彼女を見つめてきた。
「………………」
無言は、続きを促す徴。直斗はしばし逡巡した後、言葉を選ぶ。
「僕が、無理を言ったせいで――――こんなことに」
「別にいいさ。行くと決めた俺にも責任がある」
「そんなこと――――!!」
「それよりも、俺が気になるのは」
あなたの責任じゃない、そう続けようとした直斗の言葉を、彼は目で抑え、続ける。
「どうして直斗があの時、追いかけることに執着したか、ってことだ」
意識して、なのだろう。淡々とした口調で問いかけられて、直斗はしばし、口をつぐむ。
胸の内に生れる、葛藤。悩んだ後、そっと顔を上げる。そこには変わらず、黙って彼女の言葉を待つ彼の姿があった。
「許せなかったんです」
ようやく、直斗は口を開いた。
「……? あいつをか?」
あいつ。真犯人。
こくりと頷く直斗の姿に、彼は眉を顰める。許せないと思っていたのは、皆、同じだ。あいつのせいで、どれだけの人間が人生を狂わされただろうか。
だが直斗の許せない、という言葉には、何かそれだけではないような気がして。
「何でだ?」
続きを促す。すると直斗は、小さい体を一層に縮めてしまった。そして少しだけ顔を上げて、こちらを見つめてきて。責めているつもりはないのに、責めているような気がして、彼は落ち着かない気分になる。
「言いたくないなら……」
「いえ、あなたには知っておいてもらいたいことかもしれません」
直斗は首を横に振って、心を強く持とうとした。そう、これは言わなければならないことだと、そう思ったから。
そして、言った。
「僕があいつを許せなかったのは……ただの私怨、です。誰かの為に憤ったわけじゃない。ただ自分の為に、僕はあいつを許せないと思ったんです」

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