「……はい……はい。それじゃ、また」
夏休みを間近に控えたある日の夕方、放課後の屋上。街を眺めながら携帯を手にしていた直斗は、そう言って通話を切った。
パタン、と閉じる携帯。だが彼の声は、耳の奥に今も残っている。
側にいないのは、寂しい。けれど、心の奥に、絆を確かに感じて。
小さく優しく、直斗は微笑んだ。
想い華 〜Episode : Naoto〜
「なーおと」
彼の住む街はあちらの方か。そんなことを考えながら遠くを眺めていた直斗の背に、突然、誰かが抱きついてきた。
「と、と……」
たたらを踏んでこらえた後、彼女は振り向いて声の主を睨みつける。
「久慈川さん!! 危ないじゃないですか!!」
「だって、直斗ったら、さっきから呼びかけても気付いてくんないんだもーん」
唇を尖らせながらも、りせは直斗のことをギュッ、と強く抱きしめて離さない。最初の頃は驚いて逃げ惑っていた直斗も、すでにそのことには慣れっこになっていた。
「え、だ、だって、電話してたんですから」
「誰に?」
「そ、それは……」
真っ赤になって彼女は目を伏せる。心なしか、抱きしめている体も熱く感じられる。透けるような白の肌が桃色に染まる様は、とても可愛らしく思えて、りせは笑う。
「隠さなくったっていいって。先輩、でしょ?」
「………………」
無言でコクン、と頷く。間近に眺めるその横顔は、同性の目からみてもあまりに魅力的で。
「あーん、もう、直斗ったら」
ギュゥ、とりせは腕に力を込める。
「な、なんですか、久慈川さん!」
「ホント、超可愛いんだからっ」
奪っちゃいたいぐらい、と耳元で囁かれて、直斗は大きく目を見開いた。
「何、言ってるんですか!! 僕は女ですよ!!」
「だからいいんじゃん。男は先輩だけ。でも、女の子相手なら、浮気になんないでしょ?」
「うわき……!? 変なこと言わないで下さいっ!!」
それは最近、八十神高校でよく見かけられる、じゃれ合う二人の姿。
僕は女、か。
一緒に買い食いをした後、りせと別れた帰り道、直斗は心の中で小さく呟く。
そんな言葉を口にする日が来るとは、自身、思っていなかった。
いつも、男でありたいと願っていた。だから、男のフリをしていた。僕という一人称も、少年を装う格好も、全てはその為。
自分を女と認められない。認めたくない。
それでも体は、直斗の意に反して、女へと変貌していった。そしてそれが、たまらなく嫌で仕方なかった。
彼女が出会ったあのシャドウは、確かに自分の心の一部だったのだ。
なのに、今は――――
変わった理由は、考えるまでもない。
あの人――――不思議な力を宿した、彼女の想い人のせいだ。
語らううちに、気が付けば惹かれていた。想われていることを知った時は、歓喜の余り、その場から逃げ去ってしまった。
家に帰って、一人。激しい動悸を冷ますように浴びたシャワー。
恋とか、愛とか。自分とは一生、無縁なものだと思っていた感情。それに出会って、確かに直斗は。
鏡に映る自分が、どうしようもなく女であることを、意識させられたのだった。
「え……あ、はい……ええ……わかりました」
時は移り、夏休み。
「ええ……大丈夫です。それより、あなたの方こそ、気をつけて……ええ、それじゃ、おやすみなさい」
通話を終えて、携帯を握り締めたまま、直斗はパタンとベッドに寝転がる。そして少し、思い悩む。自分の声は、ちゃんとしっかりしていただろうか。この心の内の落胆を、見抜かれてはいないだろうか。
話していた相手は、恋人だった。
彼の声が聞けたことは、嬉しい。けれど、その内容は彼女をひどく落胆させるものだった。
夏休み、色々と忙しくて、八十稲羽にいつ行けるかわからない。
そう聞いた時には一瞬、言葉を失った。それでも何とか、気丈に振舞おうとは努めた。
だが一人になると、心が重くなる。口を開けば出てくるのは、溜息ばかり。
冷静に考えれば、判るはずだった。彼は高校三年生なのだ。来年には受験が控えている。その最後の夏がどれだけ大事なものか。こちらに戻って来るということは、かつての仲間達と過ごすということ。そうすれば彼にとって貴重な時間を奪うことになるのは、ゴールデンウィークの馬鹿騒ぎから容易に想像出来る。それに――――
「……先輩」
一番、離れられないのは自分だと判っていた。こちらにいるわずかな時間、そのほんの一瞬も、側にいたいと願ってしまう。手が届く距離にいるのに触れられない。そのもどかしさに耐える自信はなかった。普段、遠く離れている分、尚更に。
だから、これでいいんだ。直斗はそう自分に言い聞かす。
それでも、胸の内に広がる切なさを消すことは出来なかったけれど。
「浴衣、着てみないか」
鬱々と夏休みを過ごしていた彼女に、唐突にそう告げたのは、陽介だった。
ジュネス屋上のフードコート。集まりはしたものの、勉強やお喋りなど、思い思いに過ごしていた面々が、彼の言葉に視線を向ける。
「……浴衣? ですか?」
「そ。今年も開かれる、恒例の夏の行事、それがこれ」
言って彼が彼女に差し出したのは、一枚のチラシ。そこには花火の絵と、夏祭りという大きな文字が跳ねている。
「ん? 去年、花火なんてあったっけ」
「あー、それ、なんか今年は盛大にやろう、ってことになったらしいッスよ。うちのお袋が言ってました」
おっとっとをつまみながら、完二が言った。
「天野先輩達んとこにも来たっしょ? 寄付がどうとか」
「うん。お母さんが言ってた」
「私もおばあちゃんから聞いたよ」
ふーん、と頷いた千枝は、それで、と陽介に尋ねる。
「それと浴衣が、どう繋がるわけ?」
「いやな、去年の夏祭り、里中達は皆、浴衣着てただろ」
「あーあー、確かにそうだったね」
「思い出すクマー。皆、とってもキレイだったクマよ」
一人、ニコヤカに笑うクマに、陽介と完二は顔をしかめる。
「そういや去年は、クマに全部、いいとこ持ってかれたんだっけな……」
「先輩……正直、思い出したくなかったッス」
一人、事情を知らない直斗だけが、飛び交う会話に目を白黒させていた。
「ああっと、悪ぃ。置いてきぼりにしちゃったな」
「あ、いえ。気にしないで下さい」
その頃、直斗もまたこの街にいるにはいた。が、なにぶん、彼らと行動を共にする前のこと。久保の逮捕で解決したかのように見えた事件に、まだ裏があると考えて情報を探っていた。だから、夏祭りに出かける時間などない……そんな風に思っていたのだ。
「知っての通り、去年、直斗は不参加だったわけだが」
「そりゃね。顔は見たことあったけれど、よく知ってるってわけじゃなかったし」
千枝の言葉に、もっともだ、と陽介は頷いて続ける。
「だから、今年は直斗にも参加してもらおうと思ってな――――浴衣で」
「……ええっ!?」
突然の言葉に、直斗は目を丸くして驚く。
「そ、そんな。無理で……」
「おー、なるほどね。いい考え」
「うんうん、確かに直斗の浴衣姿は見てみたいかも」
「大丈夫。着付けには自信ある。任せて」
断ろうとする彼女をよそに、盛り上がる残りの女子三人。
「ちょ、ちょっと待って下さい。僕は、着るとは……」
「直斗」
言葉を遮って、りせがそっと耳打ちをしてくる。
「先輩に可愛い姿見せて、驚かしちゃお」
途端に、カァッと顔が赤くなって。
何も言えなくなってしまって。
「よっしゃ、じゃあ決まりだな」
パン、と陽介が手を打って解散を告げた時には。
直斗の承諾の言葉もないままに、彼女が浴衣を着ることは決まってしまっていた。
「おらよ、これ」
翌朝に完二がジュネスに持ってきたのは、反物だった。薄い青に、紫の紫陽花が咲き誇っているそれを、無雑作にテーブルの上に置く。
「……これは?」
「浴衣。これで作れ」
戸惑う直斗に、完二はぶっきらぼうにそう告げた。
「え? け、けど、巽君の家の売り物じゃ……」
「あー、実はな、それ、ちょっと傷んでてな。売れねえもんだから、お袋に貰ってきたんだよ」
だから、遠慮すんな。言って完二は、ドカッと椅子に腰を下ろす。
「で、でも……」
「いいから貰っとけ。それより、早速、始めっぞ。そっから作るとなると、夏祭りまでに仕上がるか、際どいんだからよ」
当惑して先輩達の顔を見ると、全員が一斉に頷いて。ようやく直斗も心を固めて、
「う、うん。あの、巽君」
「ん? なんだよ」
「ありがとう……」
「いいってことよ」
それから、忙しくなった。
直斗やりせには慣れないことだらけだったが、完二や雪子の指導もあって、徐々にその針の運びは速く、確かなものになった。
「久慈川さん、自分の分は……」
「ん? 私のはいいの。去年買ったばっかだから」
答えて、りせは直斗の為に手を動かす。その指先には絆創膏がたくさん貼られていて。
「あ、悪いとか思わないでね? 好きでやってるんだから」
ちょうどその言葉を言おうとしていた直斗は、彼女の笑顔に言葉を失う。見ると、雪子も同じように笑っていた。
「そうそう。皆、浴衣姿を見たいだけクマ」
知識はないものの、さすがに眼鏡を作っただけあって手先の器用なクマも頷きながら笑う。完二は何も言わないが、黙々と作業を進めている。彼がいなければ、作業はこれほどまでに早くは進まなかっただろう。
言いだしっぺの陽介と、千枝の二人は、受験勉強の為の補講があって学校に通っていたが、それが終わるとすぐに駆け付けて、彼らの作業を眺めていた。
「悪ぃな、手伝えなくて」
「いいから勉強してて下さい、先輩達は」
そうして。
夏祭り前日。ようやく直斗の浴衣は、出来上がったのだった。
「これが、僕……」
鏡の前で、直斗は呆然とする。その後ろでは、りせが満足そうに頷いていて。
ウィックを付けて長くなった髪。口には少し紅、お化粧も薄くしている。
何よりも、女物の浴衣を着ているということ。
こんなにも自分は女だったろうか。思わず自問する。
「可愛いよ、直斗」
クスクスと笑いながらのりせの言葉に、直斗は赤面し、俯いた。
「これで先輩も、驚かせられるね」
「……本当にやるんですか?」
「もっちろん。これぐらいのサプライズが無いとね」
りせ達が立てたプランは、単純なものだった。
直斗は遅れて来る、と彼に告げ、頃合を見計らってクマが奈々子を連れて去る。それを見つけに全員がばらけた所で、直斗が一人残った彼の前に姿を現す。
丸久の前で出番を待ちながら、直斗はもう一度、自分の姿を鏡で見た。
彼を騙していることは、気が引ける。だが――――
だがどうして、こんなにも、ドキドキするのだろうか。
思う。
彼はこの姿を見て――――どう思ってくれるのだろうかと。
その答えは。
「あ、ちょ……」
きつい、抱擁。
そして、花火が空に咲いて。
長い、長いキスの後。
離れた二人は、互いの顔を見つめる。
間近に見た彼の目は、とてもキレイで、優しくて。
そこに映る自分の顔は、まごうことなく恋する乙女のもので。
「キレイですね」
なんだか照れ臭くなって、直斗は空を見上げた。
「ああ、そうだな」
彼の目は、しかし花火の方を見ていなかった。その視線は浴衣に向けられている。
「キレイだぞ、直斗――――その浴衣も」
「皆さんが、手伝ってくれたおかげです」
彼は、皆に感謝していると言った。
それは、直斗も同じ。こんな――――こんな、ロマンチックな再会。
そのまま二人、手を繋ぎながら、黙って空を見続ける。
幸せのぬくもりに包まれた彼女を彩るのは。
地に咲いた華。浴衣の紫陽花。

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