「直斗」
声をかけられて、彼女は振り向く。その瞬間に、胸が跳ねて。
「先輩」
辛うじて。動揺を押さえ込んで、直斗は答えた。口元の笑みは、しかしぎこちなく見えていることだろう。
元々、笑うことを直斗は苦手としていた。大声で、例えば腹を抱えて笑ようになったのは、この街に来てから。もっと正確には、仲間達と出会ってから。
けれど。彼と二人きりになると、自然に笑えない。どうしても。
夜に惑う
「まだ、起きてたのか」
「先輩こそ。もう寝たのかと思ってました」
夜更けというには遅い時間。時計の針は二時をさらに過ぎている。草木も眠る丑三つ時。夜のヴェールはすっかりと落ちていて。
「寝付けなくてな。そっちは?」
「同じです。枕が変わると、どうも眠りが浅いみたいで」
自然と、並ぶ二人。なんとなく足が向かう先には、旅館自慢の中庭、一つ。
立ち止まり、空を見上げる彼。つられて直斗も、天を仰ぐ。そこには、薄ぼんやりと光る月。聞こえてくるは虫の声、そして片付け忘れたらしい風鈴の鳴る音。
リーン リーン リーン
「少し、休もうか」
言って、だが返事を待たずに彼は縁側に腰を下ろした。何も言わずに、直斗は彼の隣に座る。
リーン リーン リーン
虫の声、響く。二人は黙って耳を傾ける。それは秋の音色。優しく彼らを包みこんで。
「楽しかったか?」
唐突に振られ、直斗は隣の少年の顔を見上げる。彼は相も変わらず、空の月を眺めるばかり。
「文化祭。楽しめたか?」
「ええ。十分に楽しめたと思います」
そっか。良かった。たったそれだけの言葉。なのに胸の奥が満たされる。直斗自身もわからない、それは不思議な心の動き。
また二人。黙って空を見上げる。月は変わらず、妖しい光を放ち続けていた。
そして、惑わされた一人。
伸びる腕。直斗の手に重ねられる彼の手。
一瞬に、真っ赤になる。けれど、振り払うことは出来なくて。
横目で眺めれば、当の本人もまた頬を染めている。
勇気、出してくれたのかな。
想像でしかないけれど、確信な気もして。
されるがままになる。彼の触れた所から、ぬくもりが伝わってきて。その微熱は、じわじわと体を駆け巡る。
ああ。心の中で、小さく溜息。
からめとられちゃったのかな。
恋という、鎖に。
そうして二人。飽きるまで。
空を見上げ。ほんの少しだけ、話をして。
「それじゃそろそろ」
「ああ」
今日は解散。そう告げるのは寂しかったけれど、また会えるから。そう思って、差し出された彼の手を取った瞬間。
引っ張られて、彼の胸に倒れこむ。
ドクン ドクン ドクン
鼓動が、やけに速い。それは自分の心臓か、あるいは彼の心臓か。
抵抗しようとすれば、出来た筈だった。けれど直斗は、しなかった。なすがままに、ただ、ただ強く抱きしめられる。恥ずかしいと思いながらも、離れることが考えられなかった。
ずるいです。先輩。
布団の中で、直斗はこっそりと小さく呟く。
抱きしめられた全身が熱い。
夜は長く。直斗はまた、眠れなくなってしまっていた。
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明け方四時に書きました。

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