2010/8/22

働く人々の「人格権」を守ろう!  蝶々の随想記

8月21日、「働く女性の人格権とは」働く女性たちの問題を考える(講師:三井マリ子さん・元東京都議・元豊中市女性センター「すてっぷ」館長)に参加しました。 

働く人々の人格権は尊重されなくてはならないと私は常に考えています。

三井さんは、豊中市議らの行政への不当な介入により、女性センター「すてっぷ」の館長を辞めさせられました。 裁判の二審で今年、4月ようやく勝訴されましたが、最高裁判決にむけ、まだ、闘いは続いています。

現在、働く人々の人格権はどれだけ守られているでしょうか?

私は二十数年前、私が二十代の頃、自分も労働者としての人格権を否定され、突然、解雇通告をされ、仲間と共に闘い、解雇撤回を勝ち取った経験があります。
結果として、私と共に働いていた男性部長の不当解雇通告も撤回され、解雇を通告したボス(当時・代表取締役)はクビになり、私達二人は会社の他の部門へと異動になりました。 

この時、解雇通告された同僚男性はその会社で定年まで二十年勤め上げ、さらに現在は、その会社の顧問として非常勤で週に何度が勤務し、若いスタッフの指導をされています。 

一方、解雇を言い渡して首になった元ボスは、ライバル会社へと転職し、最後は、その会社の役員となり定年退職されたと聞いています。 

私はなぜ、その会社に勤め続けなかったのか?というと、アメリカやフランスに留学したかったからです。
何度かポジションのお誘いを受けましたが、二十代・三十代の私は、もっと広い世界にチャレンジしたいと日本を飛び出してしまったのです。
(日本で働くのが嫌になっていたというのが正直な気持です。)

私が解雇通告された87年、社会は構造不況で首切りが平気で行われていました。 
重厚長大産業(造船・鉄鋼など)が大打撃を受け、多くの人々が職場を失い、連日、新聞では様々な事例が報道されていました。

具体的に私は、どのようにして解雇撤回を勝ち得たのか? 

労働組合もない会社で、裁判で争うこともなく、解雇を撤回できたのは、正に、労働者としての「人格権」を侵害されていたからでした。

この大変、辛かった経験をこれまで私は自ら語ったことはありません。 

自慢できるような話ではありませんし、私を雇った元ボスは首になっていたので、心が重く、話すことさえ何もないと思っていました。

しかし、私が県議となり、かつての会社に挨拶に行き、関わった人々が幸せな人生を過ごしてきたと知り、そろそろ語ってもいい時期かな?と三井さんの話を聞いて思いました。

三井さんも私も一人の働く人間として「人格権」を否定されたことに対して憤り、泣き寝入りはしてはならないと決然と闘い抜きました。

今、あまりにも多くの労働者が同じような(雇い止め)問題を抱え、半ば諦め、職を失っています。 

働く人々の人格権は守られて当たり前だと私は考えています。
勇気を出して、一歩を踏み出すことが世の中を変えて行きます。

実際、私はどうやって、解雇撤回を勝ち取ったのか?

最大の勝因は、大手新聞の連載記事の1つとなったことでした。 

某新聞で構造不況下における労働問題を連載していました。 

その中で働く女性のケースとして私の不当な解雇通告が取り上げられ、匿名でありますが、内容が掲載されました。 
新聞の労働争議の連載記事を毎日、読んでいた私は読者の一人として、私の不当解雇通告の内容を訴える手紙を出しました。 

すると、是非、取材して記事にしたいと電話がありました。

取材された記事のコピーを私が早朝、ボスの机の上にソッと置いておいたのが闘いの始まりでした。 

二十代の非力な私ができることなど何もないと思っていました。 

ただ、この不当解雇通告は絶対、おかしい!と思ったように、女性の新聞記者(当時、40代ぐらいの方)も私に同情して下さり、記事にすることで力になれるのでは…と連絡を下さったのでした。

そして、新聞記事になったことで、ボスのマネージメント能力が問われ、職場を追われたのは、元ボスでした。

私ともう一人の男性部長の職は守られ、配置転換となりました。

多分、多くの働く人々は「人格権」を侵害されたと憤慨し、闘うことなしに悔しい思いで職場を去っていくケースが多いのではないかと思います。 

なぜ、私がそこまで闘えたのかというと、本当に一生懸命、誠心誠意、全力で仕事をしていていたので、とにかく腹が立ってたまりませんでした。 

このまま、素直に「解雇」されるなど、とんでもない!と思いました。 

業績が悪かったわけでもなく、会社全体としては黒字でした。 ただ、元ボスが何の相談もなく、何の前触れもなく、晴天の霹靂のように、ある日、突然、業務の打ち切りを決め、「解雇通告」をしました。 

共にプロジェクトを立ち上げ、仕事が今や、始まろうとしているときに、突然、「一抜けた〜」と自分だけ抜け出し、私ともう一人の部長が解雇通告されたのでした。

もちろん、同じ職場の人々も一様に驚き、「あり得ない!」と口々に私達への共感を語り、首になるのは、そのボスの方だとみんな言っていました。

私達の日ごろの仕事ぶりが評価されていたこともあり、職場の人々はみんな私達の味方でした。 
労働組合はありませんでしたが、おかしいのはボスの方だとみんな理解していました。 
やがて、この新聞記事の1件は、本社人事部の知るところとなり、このボスはそれから数ヶ月で首になりました。

今、あまりにも日本では労働者の権利が弱くなり過ぎていると私は思います。

それで封印していた私の二十代の辛かった体験を初めて、ブログに書くことにしました。
親にも友人にも今まで、一度も話したことはありません。
それぐらい、悲しく、キツイ体験でした。 

二十数年たち、私も様々な経験を経て、打たれ強い人間になったので、やっと、語れるようになりました。

三井マリ子さんの働く女性として「人格権」を侵害され、怒り心頭な気持ち、痛いほど分かります。 
何よりも一生懸命にやっていた仕事だからこそ、止めさせるには、それなりの根回しや正式な手続きはあって当然だと私も考えます。

不当に首を切られることがあまりにも当たり前になり過ぎている今日、日本の80年代の社会は温情主義で働く人々は共に助け合っていたことを思い起こして頂きたいと思います。

そして、不当な理由で首が切られそうになっている人は、諦めないで声を出して闘ってほしいと思います。

労働組合は一人でも作れますし、必要があれば、連合などの労働関係団体の支援も受けられるのだという知識も私は得ました。 

20代の私は、労働組合を頼るなどという考えすら浮ばないほど、世間知らずでした。 
ただ、働く人達の立場はこんな弱いはずないとの信念で新聞に投書し、それがキッカケで私の職は守られ、同僚男性の方は定年退職まで仕事をすることができました。

不当な首切りに対して、一人一人が闘う力と強い意志をもっと持って頂きたい、その思いで私の体験を書き綴りました。

新聞やテレビなどマス・メディアに働きかけて労働環境を改善する努力をする、ツイッターやブログなどインターネットで情報を発信をするなど、働く人々が泣き寝入りしないで、声に出すことが労働者の権利を守ると私は考えます。

不当解雇に対して、黙っていてはますます、働く人々の権利は弱くなります。

大変な闘いであったとしても正義や真実は曲げられることはあり得ません。

働く人々の「人格権」を守るためできることがあれば、私はできる限り、お手伝いをしたいと思います。
どうぞ、勇気をもって社会を変える「初めの一歩」になる声を上げて下さい!
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