2005/2/23
冬ぬくし泌尿器船は素手で漕ぐ 金井充
私が、この句から読み取ったものを、作者の作意に添うものかどうか分かりませんが、書いてみます。
私は、句会場で作者名のない投稿句のプリントを見て選句する時
冬ぬくし泌尿器
ここまでで、ああ、介護の句だろうと思いました。そして
船は素手で漕ぐ
は、どう読んだらいいのかと考えました。また
泌尿器と船
これはどういう関係だろうか?
そう思って眺めていると、船は、入浴サービスの浴槽のことだろうかと思いました。浴槽を「泌尿器船」と表したのではないでしょうか。入浴は、結局なぜ必要かというと、泌尿器を清潔にする、それに尽きるように思います。
素手で漕ぐ
それは、体を洗う仕草でしょうし、裸を意味しているのではないでしょうか。
句会場では、私は、作者が、介護者で母か父か誰かの入浴の世話をしている、体をきれいにしてあげているのだろうと、読みました。
素手で漕ぐというのは、平泳ぎの手の動き、親の体を洗っているしぐさ目に浮かび、とても印象深く良い句だと思って頂いたわけです。
しかし、句会の最後に作者の発表があり、金井充さんを、帰って調べましたら、85歳なのですね。ですので、金井さんが、親を介護していると読むのは間違っているのではないか。作者自身が、入浴を受けているのだろうと思います。
日中に、日当たりの良いところで、入浴サービスを受けている。素手で漕ぐというのは、作者自身の手の動きであり、自分自身でも手を動かして泌尿器など洗うのでしょう。
ただ、入浴サービスを、気持ちよかったと喜ぶだけではないものがあり、その心の陰りが「泌尿器船」であり、「素手で漕ぐ」ではないでしょうか。
そこに、軽い諧謔が込められている、味のある俳句だと思いました。。

0
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
Rさんからメールでいただいたコメント
『 男子の溲瓶での尿排泄の句ではないかと思いました。冬ぬくい日と、ぬくし、素手で漕ぐ、から、切迫や緊張のない状態の、床かベットなどでの、ある意味では、そんな中でも自己の意志で排泄できる、それはある年齢に達すれば、とてもうれしいことです。
下を人の世話になるのはとても辛いことです、これは、どこか、ゆったりとしています。
また、しみじみとしつつ、ユーモアのあるような、温かさも感じられて、男の人らしく溲瓶の形を泌尿器船と見立てるところが面白いです。女子のそれでは少し違うように思います。
素手で漕ぐ、は、動作が、ふとそんな感じかと思います。
歳をとっても、病気しても、パルーンゃらで、導尿されるのとは、まったくことなり、また、おむつも同様。自己排泄で小用ができる元気と喜びを、しみじみと温かく、さらりと詠んだものかとおもいました。
金井秋彦氏の推していた歌に思いがひっかかり、本を探したら、有りました。
・尿器の蓋咥へて開けし侘びしさも癒えて淡あはと日の過ぎてゆく
これを思うと素手で漕ぐのも、なにか、元気のある平安の喜びとも思えるのです。
ゆまりの句が、このように詠まれ、生まれることは喜びと思いました。』