2005/3/20
「遠藤周作著「わたしが・棄てた・女」」
療養所の文学
読後感想。
男(わたし)の、気まぐれな性欲のエゴで犯した、森田ミツという女性の短い生涯の話である。
森田ミツは、田舎者まる出しで、スタイルも悪く、歌う歌も低俗で、気のいいだけの女である。
男に棄てられた後、風俗に身を落とし、腕の斑紋からハンセン病と誤診される。
御殿場の復活病院(復生病院がモデルのようだ)に入院し、2週間後に誤診と分かる。
しかし、東京には戻らず、病院で患者さんの世話を献身的にし、ある日交通事故で死す。以上が、ミツの大ざっぱな生涯だ。
ハンセン病の施設に入院した2週間、ミツが世俗を断ち切って、施設で生きてゆく運命を受け入れる苦悩、絶望から這い上がる気持ちの軌跡がていねいに書かれている。北條民雄の「いのちの初夜」より、人間の絶望から立ちあがる生命の治癒力ようなものが書かれているように思った。
それにしても、ミツは、どうして、男のいる東京に戻らなかったのであろうか?戻っても、男とは将来、誠実な関係にならないことが、読者には分かっているから、施設に残ることを当然、良い選択のように思うが、それは読者の感情である。遠藤周作にとって、この本の主題が、ここにあり、重いテーマがあるのだと思う。
武田友寿が解説に書いているが、苦しみへの共感、「運命の連帯感」、ミツはいつでもどこでもそうなんだ、それがミツの聖なるところだろう。人間性の高さは、教養でも、知性でもないのだと思う。
ミツは、「なぜ、悪いこともしない人にこんな苦しみがあるのか?」と、神を否定している。
東條もこの点でおおいに苦しんだ。神がほんとうにいるのなら、これほどの祈りに何も応えられないのが理不尽のように、私も思えてならない。
ミツの、聖なる心、そして行動こそ尊いと思う。
「運命の連帯感」、そして、共に回復しようとする心と行動、忘れてはならない。

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