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2005/5/10
「平維盛伝説」
文学散歩
インターネットの宿泊予約で、パソコン上にひょっこり上がってきた、「秘境の一軒宿」という、「飛図温泉」に、それほどの期待もしなかったが、一夜の宿にすることにした。
静岡県芝川町上稲子、カーナビがあるから、どんな秘境でも、苦無く行くことが出来る。
富士山麓と身延山地の狭間にあり、富士川へ合流する稲子川の両側は、奥深い山がそそり立っている。稲子川に沿って県道、469号が走っているが、飛図温泉の少し先で、行き止まりである。どこにも抜けることの出来ない山峡の部落なのです。
宿で、ここは「平家の落人の里」だと聞いた。村のほとんどは、佐野さんで、平維盛の墓もあるという。自給自足、田もあり、茶畑あり、野菜を作り、山の恵みを戴く。
山峡の部落だから、田には段差があり、私の田舎の田園風景と異なる。
最近は、休耕田が多いという、思いがけず、蓮華田に出会った。肥沃な土地なのだろうか、蓮華がよく育って、背が高い。これでは、蓮華の花輪が、うまく作れそうだ。
田んぼの中にあるという、平維盛の墓を、郵便局とも農協とも思えるところに入ってゆき、すいませ〜んと、教えてもらう。
斜面を、道なりに登ってゆくと、あるという。かなり急な斜面だ。
しばらく上ると、棚田の中に、ぽつんと、五輪の塔がある。
平維盛は、平清盛の直系の孫。大変に美男で、笛を奏でる貴公子であった。あまりに天下太平の中で育ったので、武士でありながら武術にはひどく弱かった。源平の合戦では、まず富士川で合戦するけれども、鳥の飛び立つのに敵の急襲と間違えて、恐れを抱いて、敗退をしたと言われている。壇ノ浦で、入水したということになっているが、実は生きのびて、ここ稲子にひっそりと棲んだと言い伝えられているらしい。平維盛の、落人の先は、ほかにも幾つかあるようなので、真実の程は分からない。
墓は、確かに、稲子の部落を一望できるところに建っている。田植えを終わったばかりの棚田、水鏡の眩しさの中で、平維盛は、いま静かに眠っている。
水田の中には、生まれて間もない、おたまじゃくしが、夢想するように、四方へ自由に泳いでいた。
畦には、いまは珍しい、ニホンタンポポが、くっきりと、黄色の花を大きく広げて、溶けだすように咲いていた。
4
投稿者: しゅう
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投稿者:浦川
2009/4/19 0:37
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