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明石海人の碑 »
2005/5/13
「深海に生きる魚族・明石海人」
療養所の文学
白描の序文
癩は天刑である
加はる笞(しもと)の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呷吟(しんぎん)しながら、私は苦患(くげん)の闇をかき捜って一縷(いちる)の光を渇き求めた。
― 深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない ―
そう感じ得たのは病がすでに膏盲(こうこう)に入ってからであった。
齢(よわい)三十を超えて短歌を学び、あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞(べんぶ)しながら、肉身に生きる己れを祝福した。
人の世を脱(のが)れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった
明石海人の「白描」の序文は、大変に有名です。一度読んだら、忘れない、「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない 」、ここに表現されているものが、とても斬新で、そして、深海魚のイメージが、闘病の耐えるしかない精神性の象徴として分かる、共感を呼ぶからでしょう。
海人が収容されていた長島愛生園を、3月の末に訪ねた。
(
長島愛生園のホームページ
も参照下さい。)
一昨年前に出来たという、歴史館を見学させていただいた。資料や、ビデオで、ハンセン病のことや、長島愛生園の歴史が分かるようになっている。その後、園内を、軽自動車のバンで案内してくださった。園内は道が狭い、バンでないと回ることが出来ない、歩いては、山坂ばかりで歩ききれない。ご案内、有り難かった。
海人に話が戻るが、海人の住んでいた宿舎跡に立ってみた。
地図を見て頂くとお分かりのように、海人が住んでいた目白舎は、ぐるりと三方が斜面のにかこまれている。瀬戸内海はここからは見ることが出来ない。日当たりもよくないと思われる。長島愛生園の島独特の潮風もここはそれほど吹かなかったのではないだろうか。海人は、本人が希望したのかどうか知らないが、一般の宿舎棟から離れて、斜面の中程の独立している建物に住んでいた。建物は、二階建てだったと聞いた。
ひらけているのは、西の虫明湾の方向になる。いまは、その湾に牡蠣の養殖がされているようだから、静かな内海なのだろう。私が訪ねた日も、池のように静かだった。
私は、ここに立ったとき、「深海に生きる魚族」という海人の序文がすうっと頭に浮かんできました。この言葉は、海人のここでの実感なのだ、斬新な表現を求めた、表現主義的なものではないんだということが、はっきりと私に分かりました。
海人の、ここ目白舎からの視野は、小さく見えている桟橋、収容される人はみな、そこの桟橋から長島に上がり、愛生園に入っていった。瀬戸内海に面した他の桟橋は、訪問客用の桟橋である。海人は、宿舎から、ここに収容される人々を、日々、どんな思いで眺めていたのだろうか。
長島愛生園には、創設時に、患者が入園する前に、「監房」が造られていた。愛生園のホームページの「施設紹介」を見て頂きたいのですが、その監房も、海人は、目の前に見ていたことだろう。収容された患者達が、つねに、恐怖心を抱き、療養生活を縛っていた、「監房」を、ほかの宿舎からは見ることは出来ないが、海人の宿舎からはよく見えたと思います。監房を目の前に見据えて日々暮らす、「何処にも光はない」これもまた、この地から、湧いてくる海人の実感だったのではないでしょうか。
とにかく、海人の暮らしていた場所に立ったとき、「深海魚」というイメージが自然に沸くところの場であると言うことを、知ることが出来て、愛生園を訪ねてしみじみよかったと思います。海人の歌が、これから、より深く私の胸に落ちていってくれることと思います。
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投稿者: しゅう
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投稿者:
CradleCat
2010/2/6 12:53
遠い昔に修士論文に明石海人を書いたものです。村井さんの書かれた「長島愛生園訪問記」、心に沁みました。たまたま昨日(2月5日)Twitter
http://twilog.org/CradleCat
で海人について呟きましたので、お暇なときにお読みいただけたらと思います。
http://twilog.org/CradleCat
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