2005/6/23
「亜大陸」渡部伸一郎 一九九九年 深夜叢書社
新宿ゴールデン街「なべさん」の文学散歩にご一緒したご縁で、句集をいただいた。立派な装丁の句集である。お礼の意味もあり、感想を書いてみたい。
渡部伸一郎氏の経歴は、本の末尾に記されている。
一九四三年東京生。
新宿高校、東京大学法学部卒。
一九六六年日本合成ゴム鞄社。
現在、日本ブチル滑ト査役。
第一句集『蝶』一九九三年上梓。
秋桜同人、寒雷、百鳥。
句集を一読して、じぶんひとり面白がっているなーという印象を受けた。読者を意識していないのだ。私は、そうした態度というか姿勢が好きである。
あとがきに、『俳句は、老人と病人の消閑の具だろうが、好きであるから俳句をつくる。』と書いている。『なぜ句集を出すか?』と自問して、「この短い詩型で生きる空間を最大限にしたいものである」と書いている。この句集は、すべて自選したとも書いている。
要するに、自分の俳句を自分のために一生懸命につくって、そして楽しんでいるのだ。こういう基本的な俳句の関わり方が、私と同じだからだろうか、私は、読んで気持ちが良かった。ただ、自分だけ楽しんで、他人はちっとも面白くない、句に乗れないよというものも多く見受けられる、それを、まず、上げてみたい。
新病棟視界に冬のスタジアム
菊百円薔薇三百円新病棟
暖房の音のみナースステーション
時計屋の競馬放送あたたかや
老犬も春の散歩のコース待つ
蠅を噛みそこね老犬踊りたる
老犬のときめき放ち青嵐
炎帝に老犬眼向けしのみ
村浄瑠璃大きな藪蚊とんできて
アンティミスト、ボナール
(この意味の分かる人はどのくらいいるのだろうか?)
ボナールと生きる喜び春陽花
子猫にもスープを与え午睡する
干し草の匂ひ持ち来る子犬たち
夕凪やマルトの摘みし青葡萄
アンティミストボナールの翳ワイン色
途中ですが、68ページ、これまでにしたいが、マルトは画家ボナールの妻である、そのことを読者が分かろうが分かるまいが、渡部氏は知ったことではないのである。
ボナールと生きる喜び春陽花
「ボナールと生きる」という「生きる」のはふつう作者だろうと思うが、「春陽花」からして、イメージして浮き上がるのは、妻、マルトなのではないかしら? ところで、春陽花って何かそういう花があるのだろうか? それとも、春陽の日を浴びている花一般を言うのだろうか? 私は、後者の意味に理解してます。渡部氏は、ボナールの絵画展にでも行ったのだろうか、絵を見ながら、マルトになって詠んでみたということなのだろう。子猫も子犬の句もそうしたことではないか? 絵を見ている時間を、素直に、湧いてくるものを俳句にしてみたいのだろう。作者が言う時空間を最大限にするために。でもそれは、読者には、その絵を見ているわけではないし、その場にいないのだから、作者ほどには面白くないのである。あ、あ、そう、とただ分かるだけに留まってしまう。それは、読者に媚びていないことも確かで、作者の気質を微笑ましく思う。
ここまでけなしてきましたが、この句集のなかで、注目をしたのは、作者とある程度理解を共有できるテーマは、共感する句が多くあると思いました。
夏武甲
村中は花魁草の昼の闇
日照草老婆仏花を切りに出る
玉虫のじいんじいんと交尾みたる
大石神社
黄鶺鴒来る里に棲む人形師
青芒村浄瑠璃は湖の奥
道行きの三味線嫋々と火蛾の舞
豊穣の稲のかをりや三番叟
大祭(ナーダム)
弓を執る勇者大きく鷺の舞
草原の力士羊のごとくなる
盛装の男の唄は風の唄
馬頭琴この草原の明るさよ
遊牧民風の跳躍見せ踊る
風鐸の鳴りし宮殿荒れんとす
生き佛といはれて亀を飼ひにける
途中だが、私の感銘句を上げるのは、これぐらいにしたい。概して、テーマによって、作者の描く世界に気持ちよく入れるようである。ナーダムと言うのだから、この大祭はモンゴルの革命記念日を言うのでしょう。作者はモンゴルに旅行でもしたのだろうか? それはどうでもよいが、ナーダムを、ただ「大祭」としている、 多分、このモンゴルの革命記念日の祭りに、何か日本に近しい親しみを抱いたからでしょう。
弓を執る勇者大きく鷺の舞
「鷺の舞」、鷺は日本に限らないかもしれないが、水田に立つ鷺は日本の美しい原風景のような気がする、私には、とても日本的な印象がする。この作者の持ち味なのだろうけれど、「鷺の舞」という鮮やかな言葉を据えても、句をいかにも決め付けた、表現を誇張して歌いきるような、得意になったところの嫌味がないのである。「弓を執る」という入りに、こちらが乗せられるから、第三者的視覚が薄らぐのかもしれない。
ここに上げたなかでもっとも面白いと思うのは、「大石神社」の
豊穣の稲のかをりや三番叟
です。大石神社は、赤穂浪士のゆかりのその神社ではなく、神奈川県藤野町にある大石神社らしい、そこで、浄瑠璃が八月に催されるようですね。秋の収穫の稲にあるかおり、乾いた埃ぽいかおり、それを浄瑠璃の「三番叟」に配合されている。そうすると、三番叟がおおきく膨らんで産土の神が立ち上がるようだ。良い句だと思う。
これからも、俳句をつくられるであろう、また、次の句集も拝読したいと思うが、ひとつ、読者の立場から願うところは、外来語というか、カタカナ言葉の一般性を考慮して使用していただきたいと思う。そして、これからも、大いに俳句を楽しんでいただきたいと思う。

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