2005/2/6
「典礼聖歌集の菅野淳さんと、渡辺立子さん」
療養所の文学
391番 ご覧よ空の鳥 (作詞 菅野淳 作曲 新垣壬敏)
http://www4.kcn.ne.jp/~peter/ten391.mid
1.ご覧よ 空の鳥 野の白百合を
蒔きもせず 紡ぎもせずに 安らかに 生きる
こんなに小さな いのちにでさえ 心を かける父がいる
友よ 友よ 今日も たたえて歌おう
すべての物に 染み通る 天の父の いつくしみを
2. ご覧よ 空の雲 輝く虹を
地に 恵みの雨を 降らせ 鮮やかに映える
どんなに苦しい 悩みの日々にも 希望を 注ぐ父がいる
友よ 友よ 今日も たたえて歌おう
すべての物に 染み通る 天の父の いつくしみを
386番 風がどこから (作詞 菅野淳 作曲 高田三郎)
http://www.sophia-choir.com/mid/kazedoko.mid
1.風がどこから吹いてくるのか
人は誰も知らない
愛を呼び覚まし心を潤し
いつの間にかわたしの中を吹き抜けてゆく
それは気高いキリストの想い
どこへ風は吹いてゆくのか誰も知らない
2.炎がどうして燃え上がるのか
人は誰も尋ねない
闇をなめ尽くし腐敗を貫き
深く高く全てのものを清め続ける
それはみなぎるキリストの力
なぜか炎は燃えているのに誰も尋ねない
3.時が今しも過ぎてゆくのに
人は誰も気づかない
道を先駆けて恵みを携え
遠く遥か一人一人を守り導く
それは密かなキリストの祈り
なおも時は過ぎてゆくのに誰も気づかない
すこし菅野淳さんについて記しておきましょう。
渡辺立子さんの随筆に出てくる神学生は、すべて、この菅野さんのことではないかと思います。
北條の日記が、兄の東條耿一の遺品となって立子さんのもとに遺っていたものを、立子さんは、当時神学生の頃から全生園に来ていた神父さんの菅野さんに、とても心安く思い、信頼していたのでしょう、預けたのでした。
立子さんが、少女舎の寮母をしていて、最後の少女が友達が無く、大人ばかりの中で、大人びて歌謡曲など歌うのを悲しみ、聖書の話や聖歌を教えてやって欲しいと神学生に頼んだところ、「子供の世界をなくして一足飛びに大人の世界に入ってゆくような感じを受けて…気の毒です」とやめてしまわれたという話が出ています。
また、渡辺立子さんが神学生さんに尋ねた「神父になるために一番難しいことはなんですか?」に、即座に「従順と言うことですね」と応えられたのも、菅野さんではないのだろうか?
司祭になられた後、「疲れました。禅寺に入ります」と突然姿を消してしまわれ、北條民雄の日記が行方知れずになってしまった。その後、神父さんのご実家と連絡を取って戻ってきたらしい。
「ご覧よ空の鳥」はとても心にしみる美しい詩ですね〜
この歌を作られたその後に、菅野さんは道に迷われてしまう・・・
一方、東條は、一時カトリックから離れ、宗教はアヘンのよなものだ北條と共に反逆の青年期を過ごし、そして晩年、一すじにカトリックに帰依して逝っている。
人生とは、おそろしいカオスであると思います。
そして、私は、どちらの生涯も尊いのだと思います。

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