斉藤瀏は、歌人齋藤史さんの父、陸軍軍人で、2.26事件で反乱幇助罪に問われて失職をした人です。
読売新聞の、長谷川櫂さんの「四季」、07.7.5に、齋藤史さんの父親を詠んだ歌が載っています。
あなたまあおかしな一生でしたねと会はば言ひたし父といふ男 史
斉藤瀏が、昭和17年に全生園に来て講演をしています。皇国主義を顕著に、あっけらかんと講演しているところが、たいへん面白いと思います。「おかしな一生」の片鱗を見る思いがします。
齋藤瀏先生御講演概要
昭和十七年六月廿二日於多磨全生園禮拝堂
皇太后陛下御誕辰奉祝記念週間に際して
紹介に興りました齋藤であります。豫て皆機には御見舞旁々お目にかかりに参らねばならなかったのでありますが、今日迄その機を得す來なんだ事をお詑び致します。そして今日このよい機會を輿へられたのは、私には大愛嬉しい事であります。
今、日本は赫々たる戦勝により世界を牛耳って居ります。車の心捧になつて世界列強をぐるぐる、引き廻し、ついて來ないものを跳ね飛ばし、つき從つて来るものを育ててゐるのであります。今、日本人はやれば出來るのだ、やればこんなに出來る力をもってゐたのだといふことを、一人残らずが泌みじみ感じて居る事でせう。今日の此の赫々たる戦勝、相次ぐ壮烈な、將兵の武勳、それには教育もよかつたでありませうし、神仏の加護もあつたでありませうが、それよりも国民が、やれば出來るんだ。男の一念、日本婦人の一念、やれば出來るーそれをはつきり自覚したところにあります。それがあのハワイの九軍神となり、幾多の散華の荒鷲となつて花咲いたのであります。ハワイの九軍神は決して特別な人ではありません。皆様と同じ血、同じ肉であります。その母も決して特別な人でなく、皆様と同じ人であります。それと同じ血を、同じ魂を皆様ももつてゐるのです。唯皆様の場合はそれを根とし、幹として深くひそめ、九軍神の場合はそれが折を得て、見事に咲き出でたに外なりません。皆様はあの軍神やその母に感嘆すると同時に、俺もそれと同じものをもってゐるのだと、大いにうぬぼれてよいのであります。
今日、日本がやつてゐること、それは遠く神武天皇が大和の橿原に都を創られた時、すでに仰せになつてゐる処であります。否、それよりも更に遡り、イザナギ、イザナミの命が天の神より「この漂へる國をつくり固め成せ」と命ぜられてゐるのであります。この心をもつて、今の南洋、支那、アリユーシヤン、亜米利加は、海月のやうにぶよぶよしてゐるから、之を日本が固めてやるのであります。「六合を兼ねて都を開き、 八紘ひて宇なす」との神武天皇のみことのり、それは日本に最高の文化を建設せよといふことであり、世界を合せて、互いに仲よく、世界中が一軒の家となり、その大黒柱に日本がなるといふことであります。かく仰せられたのが三千年前です。我々の祖先もさういふことを知つてゐた筈であるが、その間に怠けもし無駄飯を食つて來たのです。
処が人ロの噌加につれて、衣食住が充分でなくなって來た。明治大帝が日露戦争をあそばしたのは決して三國干渉の遼東半島の怨といふやうなちつぽけなものではなくして、日本が自給自足の出來ぬ故、大陸と手をとり、物と物を交換し相互に仲よく幸に暮す爲であります。それには、それを阻害する露國を満州から追放せねばならぬ。かくて日露の役は実に、此の露國を満州から追放する戦であつたのであります。あれ以後、真面目に努力してゐたならば、どんなに今日本は立派になつてゐたでせう。それが米英思想に毒され怠けたために、満州事変で叉日露戦争のやり直しをせねばならなかつたのであります。これによつてやうやう取り戻したのであります。そして日本を満州から追ひ出さうとした張學良があべこべに日本に追ひ出されて蒋介石と握手し、英米佛露がその尻押しをして、日本を叩きつぶさうとしはじめた。日本撃滅をはかるに至った。その火元が満州事変なのであります。満州事変は実に日本が、強大な英米佛露の一固りに向ってはじめて喧嘩しかけた事であります。世界新秩序建設は、獨でも伊でもなく、日本が一番はじめの本家本元なのであります。之を眞似て、伊太利がエチオピアに乗り出し、独逸が波蘭に浸入したのであります。かくして遂に本式に、本腰を据ゑて拳固をふりあげるに至つたのが、大東亞戦争であります。いよいよ本家本元が、本氣に立ち上らねはならぬ時が来た。そして立ち上つて見るとこの通です。
処で獨ソ戦とは何か? 獨は英をつぶす目的であつたが、結局ソ聯を相手にするやうになつた。本當は獨ソは嫌なのです。實は昨冬、冬の食物をまごまごしてゐると取ることは出来ぬ。自分はまあどうにか食へるが、手下のバルカン諸國に食はせることが出来ぬ。もともとヨーロッパは全部食物を他に頼つてゐる。ヨーロツパ全部が居候なのであります。欧州の産物は獨が取りあげたから、手下に食はせられる。そこで、日本よ、どうか南洋にあばれ出て、英米を叩きつけて印度洋を手に入れてくれ、そうすれば獨伊がガン張って、スエズ、ペルシャ湾へ出よう。そして三国が海で手を握り、日本の尽力により、豪州の小麦、牛肉を一手販売に日本より獨伊によこしてくれ。早く南洋に出てくれー、とムッソリーニ、ヒットラーから日本に言つて來た。ところが日本は種々の事情で中々さうはやれぬので、ぐづぐづしたそれで獨では日本に頼つてゐては、今年中に暮せなくなる。その思案の眼の先にちらつくのは、世界の穀倉といはれるソ領ウクライナーよし、あれをふんだくるより外暮しやうがない。そこで獨はいやいやながらソ聯と戦をはじめたのです。もつと早く勝てるつもりだつたのが、ヒツトラーの違算で、ソ聯の軍備の状態を見積りそこなつたのであります。かうして今後戦が長びけば長びく程、獨は苦しい。
次に伊はといふと、.イタリヤは人口五干万、鐵も石炭も石油もない貧乏國でよくこれだけムツソリーニのやつてゐるのが感心な位だ。あれが精一ばいです。伊、獨が精一ぱい、英國は敗戦でヒョロヒョロ、そこで、神武天皇の勅のごとく、國内を最高のつよい交化の國にして、八紐一宇の大理想の実現は、尚將來にしても、現在世界最強の國は日本であります。日本は日に日にのしてゐる。他の國は日に日にジリ貧である。之は議論の余地のない事實であります。何故か? 日本はこの先、今の占領地を確保し、邪魔物を除きさへすればよく、現在、石油、ゴム、錫、砂糖、何から何まで有り余つてゐる。皆ストツクになってゐて、船がないばかりに來ないのだ。もし船が十分あつて持つてくれば、日本中は石油の洪水、ゴムの山、梅干の砂精漬が出来る。(笑声起る)煙草をもつてくれば、國民吸ひすぎて、残らず焼け死ぬ(爆笑)
ーまあそれ程ではないにしても、それらを消費する人口なく、加工する工場が少く、ストツクゴムの一割を日本では使ひ切れぬ。今ではもう「持て,る國英米」と威張つて居れぬ。「無いものは無い」(みんなある)といふチヤーチルの自慢は、今では「無いものは無い」(無い袖は振れぬ)になつてしまつた。ここまで行けば・あとは車の心棒になつて、しつかりやつてゆきさへすれば、日本は万代不易の國家、永久に榮ゆる國である。だが、さううまい具台に行ってゐるかといふと、いや今からゆくんだよ、行きつつあるんだよ、といふ所である。米英、アングロサクソンといふ民族はいやな民族、百足虫、けじげじのやうな厄介な民族、とかげのやうに尻尾だけ切つてもピンピンしてゐる圖太い民族です。ナポレオンが欧洲を暴れ廻ってゐた時、英國は負けつづけた。その時、政府は三年我慢してくれと國民に云った。そしてその間に泥縄をやつた。かうしてウエリントンがワーテルローでナポレオンを背負投げを食はして、セントヘレナ追へひやつてしまつた。その次の第一次欧州大戦の時も同じで、獨乙は最初どんどん、勝ってゐた。その時英陸相が「今度は最初のうちは英國が負ける、軍備兵員が足りぬからだ。國民よ、今三年待つて欲しい。その間に兵隊をつくり、大砲戦車をどしどし造って、三年後にはきつと獨乙を負かす」と言ひ、議會はそれに拍手を送った。おかしな國です。日本ならば「陸相、何をしてゐるか!」と轟々たる非難を浴びる処です。それを賞められた。アングロサクソンとは実にこん国民なのです。そうして三年の後には果して獨を負かした。このやうなしつこい國、金着切り、サギ、ペテン、かたりの平氣な國であります。しかし此の英を飼つてゐるのは、カナダ、印度、濠洲であります。今日本が本氣になれば、印度、豪州を抑へる乙ことが出來るのであります。米はといふと、奴は食ふものがあるから、きやつ負けたと思ってゐない。まだ手ほどきだと思つてゐる。これからだと一生縣命軍備をつくつてゐる。向ふがジリ貧で、長くなればよいが、反対だと實に厄介である。いつれにしてもこの戦は早くらちのあかぬ戦である。だが悲観することはない。明らかに爽かに愉快に益々努力してゆきさへすれば、向ふはジリ貧であります。何敬か? 金持の倉庫、ヒリッピン、蘭印、マレー英領ボルネオ、みんな貰つてしまったのだ。その産物を加工して、欲しい所に売れば日本は太つてゆくのみだ。占領地を失はずに仕上げてゆきさへすれば、國民は絶対不敗の保証を興へられてゐるのであります。

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