「いのちの歌」をお読み下さった方から感想が寄せられています。
それを一部ご紹介します。
「病気になりたいとはまったく思いませんが、北條民雄らといのちをともにして
文学を語り、表現した当時の青年たちの緊迫した熱気には K さん同様、
憧れるところがあります。
憧れるだけでなく自らもそうした日々を実践したいと改めて思いました。」 S さん
「このたびは『東條耿一作品集 いのちの歌』をご恵贈いただきたいへんありがとう
ございます。一読してこれはやはりたいへんな作品群であることを感じました。
いま出版はかなり厳しいことになって、紙に活字を印刷する書籍は相対的に価値を
減じているいるかのように言われることもありますが―私はそう思いませんが―、
この本ぐらい書籍にしなければならなかった本もそう滅多にないと思います。
本は全体としての結構が大事だと思いますが、装幀やページの行間の余白にまで
神経が行き届き、ほんとうによい本に仕上がったことをお喜び申し上げます。
掌にのせたとき、ほのかに熱が伝わってきたようにさえ思いました。
たぶん、今も東條耿一の作品が生きて、呼吸しているからでしょう。
やはり最初に思ったのは、立子さんのことでした。立子さんがお元気でおられたら、
涙を流してお喜びになられたことでしょうが、ちょっと間に合いませんでしたね。」 K さん
「落手したばかりでパラパラとめくってしかおりませんが、「訪問者」という
詩にはたいへん胸を打たれました。こうした東條耿一の回心を北條民雄は
どう見るのでしょうか。気になるところです。」 T さん
「あれから早速本屋で詩集を注文しました。
二日後には届きましたよ。
いま、あちこちへとびながら、
おおかた3分の2くらいは読んだと思いますが、
どこを読んでも一貫して、質が同じ、という印象です。
まず一頁めの、カナリヤに結んではなす、という詩、
うわあ〜っつ、と思いました。卓越していますね、言葉が。
いえ、たぶん、精神が。
以前、金子みすずが再発見されたときに、
偶然、金子みすずを再発掘した矢崎節夫(だったけ)の、
金子みすず、を読んで、何回も読んで、感動し涙しました。
金子みすず本人の詩よりも、むしろ、発掘者のことに感動
したのです。その本だけは手放せずに持っています。
このたび、東條耿一の詩発掘のいきさつを知って、
そのときと同じような感動を覚えます。
しかも、みすずさんは自ら死を選んだけど、
東條さんは、誰もが到達する人生の全ての境地までを
30歳で全うされた、というところが違うし、それだけ詩自体も強いし深い、
と思いました。
この詩人の詩をみつけたときの、秋さんの感動がいかばかりか、
想像できます。
秋さん、すごい仕事をされましたね。いい人と出会いましたね。
東京で初めてお会いしたとき、自分のライフワークです、と
おっしゃっていた、それが、このことだったのかな、と思い、
感慨ひとしおです。」 I さん
「村井さんの、東條の本を出したいという執念のようなものが伝わってきました。
それに、よく調べられていますね。ああいった作業は、ちょっと探偵になったような
気分で、楽しかったのでは? と、そんなふうに推察いたしますが、やはり大変な作業
ではあったことでしょう。
東條が北條をみとる場面の文章には思わず涙ぐんでしまいました。
そして、いまさらながらに、ハンセン病者、とくに戦前の「らい病」者の苦悩や
そこに放り込まれた人間の弱さ、強さ、美しさを思いました。
こうして立派なご本ができ、もし渡辺立子さんが生きていらしたら、
どれほど喜んだか(あるいは矜持を保たれたか)・・・でも、それはそれで、
また別の大変さもあったろうから、「今」でよかったのかもしれないなど、
勝手に思いを巡らせています。」 S さん

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