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療養所文芸の暗さに就いて
                    於泉信雄

 私は今迄に幾度となく療養所内の文芸があまりにも暗過ぎるといふ言葉を耳にしてゐた。偶々日戸修一氏の「療養所文芸への希望」というふ一文を読みその理論の根底が又もその「暗さ」にある...
 我々は暗黒時代ともいうべき世紀末的苦悶のうちに蠢いてゐたのでもある。がこの一二年に於ける療養所文芸の動きは我々に仄かなる光明を暗示してゐるかのようにも思はれるのである。徐々にではあるが順当な発展を遂げつつあるやうである。一ツの転換期乃至過渡期と見ても...
「山桜」 昭和8年 2月号
「少年少女のペーヂ」

  御歌を戴いて
            (勇の組)  三郎
 昨年12月28日院長殿のお話があって村人全部が礼拝堂に集合しました。院長殿がおみえになってお話をされました。皆んなは声一ツ出さないで静まりか...
東條耿一が文学について次のように書いています。

義務の文学
室生犀星は復讐の文学と云つた。また或る詩人は、ああ現實は復讐されねばならない。と詠嘆して復讐の詩作を宣言した。
然し私は負担の文學義務の文學と云ひたい。現實はもつと負担されねばならないのだ。わ...
東條の年代をお話しすると

   1912年(明治45年)4月7日、栃木県生まれ
   1933年(昭和8年)4月21日、多磨全生園に入院
   1942年(昭和17年)9月4日、死去(30歳)

ということですので、21歳で全生園に収容され、それから、詩を...

東條は、山桜に( 山桜S12、2月号 )次のような、( 東條のおかれている状況がいかに厳しいものであったか、それを知ることの出来る、) 彼の文学観について、彼自身、書いているものがある。

  義務の文学
                      東條...
北條民雄の最晩年(昭和12年)の日記、3月22日に下記のように記されている。

 先ず盲目になる。それから指も足も感覚がなくなる。続いて顔、手、足に疵が出来る。目玉をえぐり抜く。指の爪が全部落ちる。頭のてっぺんに穴があき、そこから膿がだらだらと出る。向こ...
読後感想。
男(わたし)の、気まぐれな性欲のエゴで犯した、森田ミツという女性の短い生涯の話である。
森田ミツは、田舎者まる出しで、スタイルも悪く、歌う歌も低俗で、気のいいだけの女である。
男に棄てられた後、風俗に身を落とし、腕の斑紋からハンセン病と誤診さ...

尹東柱の

    序詩

  死ぬ日まで空を仰ぎ
  一点の恥辱なきことを、
  葉あいにそよぐ風にも
  わたしは心痛んだ。
  星をうたう心で
  生きとし生けるものをいとおしまねば
  そしてわたしに与えられた道を
  歩みゆかねば。

  今宵も星が風に...
   天路讃仰
             東條耿一
  ゆっくり遠くまで
     ―原田嘉悦兄へー

ゆつくり
遠くまで行かうよ
息を切らさないやうに
行路病者にならないやうに
足下の覚束ない夜があれば
一望千里、輝く朝もあるであらう
焦らず、迫らず
恒に、等分...
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