村井メモ
最近の記事
7/6
「いのちの歌」朗読会のお知らせ
11/18
川崎正明氏の感想
11/18
「いのちの歌」に寄せられた感想
9/9
(無題)
9/9
「いのちの歌」新教出版社
7/17
奄美の市立図書館に「ハンセン病文庫」のコーナーが設置されました
1/2
明けましておめでとうございます
8/5
戦前の療養所の詩壇における、東條耿一の位置について
7/18
東條耿一の生涯と作品@
7/18
東條耿一の生涯と作品A
記事カテゴリ
療養所の文学 (47)
俳句 (10)
文学散歩 (6)
過去ログ
2010年
7月(1)
2009年
9月(2)
11月(2)
2008年
1月(1)
7月(1)
2007年
6月(6)
7月(6)
8月(1)
2006年
1月(2)
2005年
2月(14)
3月(4)
4月(8)
5月(6)
6月(6)
8月(2)
12月(1)
検索
このブログを検索
カウンター
本日のアクセス
昨日のアクセス
総アクセス数
ブログサービス
Powered by
2005/12/20
「渋谷その1 ミヅノナガルル:案内は芳賀啓さん」
文学散歩
ナベサン文学散歩 第5弾 2005.12.18
今回の集合は、小田急線参宮橋、午後2時。
参宮橋は、明治神宮西参道の橋という意味で付けられたという、その橋を渡って、代々木スポーツセンターの近代的な建物を左手に眺めながら、代々木の方へ下って行く。途中小田急線の方へ折れる、小道に入る。
この小道が、むかしの、河骨川で、「春の小川」の発祥の地だという。いまは、暗渠となり、地中に潜っている。どこでも、都会から川が消えてしまった。それは小鳥や虫や魚が容易に住めない環境である、都心が無機質化して寂しいこと限りなし、コンクリートジャングル。
私は数年前まで、朝のジョッキングをしていたが、春になると、小川はきらきらとほんとうに輝きを増す。思わず、「春の小川はさらさらゆくよ・・・」と歌い出したものだ。この歌は、誰にも親しまれている唱歌だと思うけれど、
歌碑の前で、みんな声を出して合唱した。
春の小川は さらさら流る。
岸のすみれや れんげの花に、
匂(にお)いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く。
河骨
は尾瀬でよく見たが、私の好きな花です。ころっとした玉のような黄色の花を、水面にもたげて咲く、イメージの膨らむ花だと思う。私の句に、
河骨や二階の人へ往復す しゅう
という句を作ったことがある。「春の小川」が、河骨の名の付く川で詠まれたのがうれしい。スミレやれんげが咲いていたのであろう。作詞家の高野辰之は、この近所に住んで居り、この歌が作られたものらしい。
そこから坂を上がって、代々木八幡神社へ。
この境内の中に、平岩弓枝が住んでいるという。平岩は、ここの宮司の一人娘で、ダンナがいま宮司を務めているという話だった。
師走らしく、茅の輪が本殿の前に設置されている。若いカップルがお参りして帰って行った。
境内に縄文遺跡がある。
6000年ぐらい前から、この辺りに人間が住んでいたと言うことになるらしい。有名な神社は、縄文時代の土地の要所にあり、多くは岬に位置する。文学散歩の度にそうしたところに出くわした。ここもそれにならい、むかしまわりは海で、岬であったところ、海の幸を採って定住をしたのであろう。岬を偲ばせてくれる斜面
代々木八幡神社から、次は、寺山修司旧居跡へ向かう。
河骨川(上)を歩いてきたが、ここで宇田川(下)へ合流し、ここから宇田川の上を歩く。
渋谷区神山町10。寺山修司が最晩年、この地に(上)母親と住んでいた。建物は、修司の死後程なく取り壊されて、当時の建物ではない。1階に母親、2階に修司が住んだ、仕事場でもあったから、人の出入りが相当に烈しかったらしい、隣はその当時からある家(下)で、迷惑をしたと語っているとのこと。さもありなん。
次に、国木田独歩が信子さんと離婚して傷心のうちに住んだところ。
芳賀さんが用意してくれた資料から
「欺かざるの記、9月
吾が身今は渋谷村なる閑居にあり。
省略
実に昨年のこと夢のごとし。いまや信子は北に在りと云ふ。
哀れなるは吾が身の上かな。
われ詩人たるべしといふ。されどわれに此の資格ありや否や。神の愛と義を感ずる事は極めて薄し。ただ偏へに人生の不思議に驚くのみ。まぼろしの世なるかな。」
文学散歩の参加者に信子さんがいる、その信子さんが読んでくれた。
しばし、国木田独歩の感傷に浸る。
近くに、2.26事件の碑があるというので、予定のコースにないけれど、回る。
碑は、陸軍刑務所の跡に建っている。処刑された将校や、自決した者、20名の霊に報いるものらしい。事件そのものが、わたしは、よく分からないけれど、観音様が手を大きく空へ差し揚げている、どこか異形な、不思議な像である。
次は、竹下夢二の旧居跡、ここで、すっかり渋谷の繁華街に入る。
大正10年に、佐々木お葉と同棲したところ。またその近くに、山野愛山旧居跡もある。人混みの中、17人の群からはぐれないように、ついて行く。
渋谷センター街(上)、この地下に宇田川が流れており、東京が江戸であったむかし、水車も回っていた田舎であった。山手線を挟んで線路の反対側に渋谷川(下)が流れている。宇田川は、渋谷川に合流する。
見えなくても、渋谷の街は、地下に川が流れているので、地下街が造れないのだという。そう言えば、渋谷には大きな地下街がない。
渋谷の首都高の下あたりに突如、暗渠が地上に出ている。
ほとんど水が流れていないように見えるが、雨が降れば、ぐっと水嵩が上がるとのこと、生きた川であり、東京湾へ流れ込んでいる。
すっかり日が暮れてしまったが、渋谷の繁華街の近くに大きな神社がある。私は、いままで一度も気が付いたことがなかったが、金王八幡宮がある。初めて知った。新宿に花園神社があり、渋谷は金王八幡宮か。
この金王八幡宮付近に、渋谷天井桟敷跡や、吉井勇旧居跡があるが、ネオンの中で、もう辺りの様子が分からない。
冬の日の暮れは早い。また、日暮れ近くからぐっと空気が冷たくなった。今回の文学散歩は、川に沿って歩いた。地図の専門家、芳賀さんのご案内がなければ、歩けないコース。渋谷の知られざる地形を、文学と共に歩くことが出来ました。次回をまた楽しみにしてます、ありがとう。
2
投稿者: しゅう
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
1
| 《前のページ | 次のページ》
/1
記事
画像
新着順
投稿順
最近のコメント
2/6
遠い昔に修士論文に…
on
深海に生きる魚族・明石海人
5/29
今日は、初めまして…
on
東條耿一の生涯と作品B
4/19
ここではない
on
平維盛伝説
12/18
ぺんぎんさん、投稿…
on
山崎ハコさんの「望郷歌」と北條民雄の「望郷歌」
12/18
貴重な情報をありが…
on
山崎ハコさんの「望郷歌」と北條民雄の「望郷歌」
teacup.ブログ “AutoPage”