中原呉郎さんは、中原中也の弟、呉郎の名前からも分かるように五男、中也は長男ですね。
下の文は、昭和30年から多磨全生園に医官として勤務していますが、その自己紹介を兼ねた新任の挨拶文らしい、たいへんユニークで愉快です。「多磨」誌の昭和30年10月号に載ったもの。文章の端々に、兄の中也と共通する瑞々しい感性を読むことが出来ます。
ハンセン氏病二百年史終章(かいだんあきのよばなし)
中原呉郎
著者 僕は幽霊。一九五五年全生園赴任、二〇〇二年死亡。
園の裏手の饅頭墓に葬られた。夕べになると、お墓を出たり
入つたり、癩研のあたりをさまよつたり、神宮通りを散歩し
たりする。
昨日までむくむくと空に向つて、多くの思いを語つた機關
場の煙突からは、今日はもう煙りが上らない。機關場の兄さ
ん達は、長い勤務を終えてお昼寝である。昨夜盛大に行われ
た、社会復帰終末号を送る宴會の宿酔もあつて、この園が切
り替えられて、來年からはじまる多磨養老園の夢を見て、平
和な深い眠りである。今朝終末号は時速五〇〇粁の原子デイ
ーゼル・ヘリコプターで沖縄に発つた。
ああ静かだ。患者も看護婦も医者もいない。残務整理の事
務の人がちよろちよろしているばかりである。
僕が死ぬ頃は、プロミンはどんどん改良され、病状のひど
い患者は勿論いなかつたが、昔ここの園長だつた人のひい孫
娘Yoshinoko Hayashiによつて、二〇一〇年癩菌の培養が成
功し(これはノーベル賞)、引き続き二〇二〇年には僕の孫娘
Hiiragi Nakaharaによつて、癩の早期発見のできるプロ・レ
プロミン・テストが考案され(これでは健康者陰性、神経癩、
斑紋癩、結節癩のいずれも陽性、感染一月後陽転)、さらに
二〇四〇年、これも眞にありがたいことで大いに喜んでいま
すが、僕のひい孫Tamako Nakaharaによつて、最後的治
癩藥レビシヤリンが発明され(これもノーベル賞)、初期患者
は投藥の翌日はぴしやり治るということになり、ここに癩の
終焉が予約されたのであります。
年々歳々患者数は減少し二〇六〇年には三〇〇名となり、
これら患者は癩疾患そのものでなく、後遺症の治療のために
残つていた。當時既に癩は全然恐るべき疾患でもなく、社会
的偏見もなくなり、園を早く解散すべきだという意見が多く
なつたが、社会保障制度のモデルケースとして最後まで保存
された。
特記すべきことは、國境廃止人類開放の運動がこのひいら
ぎの垣の中から起つたことである。當時の人は地球以外の遊
星に人間以上に賢明な生物が住み、昨夜のように人工衛星で
火星のチンダラカヌシヤマ師が挨拶に來られたなんてことは
夢想だにできぬ時代で、國境廃止といつたらとんでもないこ
とだつた。一九五五年四巨頭會談以來静かに人類は幸福への
道を歩きはじめていたが、眞の意味での國境意識がなくなり
「人類は何れの土地にも生活し定住する自由と権利を有す
る」との世界憲法が認められたのは、二一〇〇年のことであ
る。ひいらぎの垣と共に國境が消えたといつて、その日亡霊
も生霊も手に手をとつて嬉し泣きをしました。
医者も看護婦も不要となり、園長林芳左工門先生一人残し
て、インドや南アフリカや大アマゾン流域の最後のコロニー
に転任して行つた。かくて癩は伝説の疾患となろうとしてい
ます。かつて恐怖の対象であつた好酸性菌のみ、寂しく植継
ぎの培地に残るでしよう。
とまれ僕が、いたいたしく悔多く罪多かつた半生に別れを
告げ、ひいらぎの垣を廻つてからもう百二十年になる。そし
て幽霊は、この二百年史を書き終えていささか疲れた。当分
亡霊達とともに眠ります。こうろぎの鳴く書も聞えて秋は静
かに前進する仕掛です。
著者略歴
大正五年山口市に出生、昭和十六年長崎医科大学卒業、昭
和十七年軍医として満洲、沖縄、台湾に転戦、昭和二十一
年復員、開業、昭和二十三年長崎大學風土病研究所入所、
昭和三十年全生園に探用される、昭和八十二年死亡、九十
才、病名脳膜炎。法謐 抒情園青空散歩居士。
○賞罰 賞は全然なく、常に罪と罰との連続であつた。一生
懸命走れば、転ぶことも多いと幽的自らを慰める
○思想傾向 合理主義的理想主義ー唯物論的抒情主義ー科學
的観念論ー弁証法的物質理念論、つまり物質的裏ずけがな
ければ人間の幸幅はない。その意味において人は雲の上を
歩いてはならない。しかし理想主義を否定して唯物論は存
在しないし、同一條件下にあつて人間を上昇せしめるもの
は、理念の世界である。その意味で雲の上を歩かねばなら
ない。それは交互に働きかける。辮証法的である。彫刻家
と彫刻の關係である。と思つているが、百五十才を越えて
まださつぱりわからない。体系がないからだ。二百才まで
勉強いたしやす。御教示下さい。
○趣味 根のある生花(野生の草花を鉢に植えて勝手な學
名をつける。眞生流と號す。心は偽生流に非ず。それでも
大抵三、四日で枯れる仕組です。)洋画的日本画(漫画で
はない大眞目。よく漫画と笑う亡霊がいる。ゴッホと武者
の合作から油を抜いたような画。素材 日本墨と不透明え
のぐ) (全生園医官)
「多磨」昭和三〇年一〇月号

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