中原呉郎さんの追悼文で、「山椒」の発刊の辞を書いた小泉孝之さんが書いていますが、呉郎さんの文学に対する見方はとても穿った見方で共感しませんでした。共感しなかったというと言うとすこし違ってしまうかも知れません。小泉さんのように読んでしまうと、呉郎さんの文学も人柄も誤解をされてしまうのではないかと思いました。
呉郎さんは、森鴎外を目標にして医業を疎かにせず、ゆすらうめの歌にあるように、生涯純粋な抒情を持ち続けた方、人間的な感性は中也と同質な人なのだと思います。中也と違うのは、呉郎さんは、社会に適応して生きたということ、それは、呉郎さんのある一部(純粋な叙情性とでも言うのだろうか)を捨てて生きることだったんだと思います。その傷みが文章となって著されているところがあるかも知れません。
血の流れとか、中也の重荷とかとして呉郎さんに被せてしまうと、呉郎さんの持っている魅力から離れてしまうのではないかと思います。「とことん突きつめて行く情熱が中也より薄いと言うことだ」と言ってしまっては、呉郎さんがお気の毒のように思います。
まえに紹介しましたが、野上さんが多磨に呉郎さんの追悼文を書いていますが、そこに呉郎さんの人柄について、
「先生は、医者としてライ患者を上から見おろすというようなこと
はなかった。また、ライ患者を変にあわれんだり同情したりもしな
かった。それを可能にしたのは、ライだからといって「とくに」不
幸でもなく、医者だからと言って「とくに」幸福でもない、生きて
いること自体が何かむなしいことなのだ、というような先生の人生
観ではなかったかと思う。」
これと同じようなことを小泉さんも書いています。
「医師という職業は、初めから、父親や祖父のような目.上の年齢の人からも「先生」と敬称で呼ぴ、一目も二目も置くの
だ。特にハ氏病療養所や過疎地帯では医師は最も貴重な存在で、一段と高い所におき大切にする。
ハ氏病療養所の場合はそれが強い。官僚医師の位置は絶対的存在ともいえる。その位置からあるあまえを知らず知らず身につけてしまうのは、長い慣性によるものであろう。そこに偏見差別が潜んでいることに気付いているだろうか!!
随分年長の患者が、○○先生と敬称で呼ぶのに、はるかに若い医師がその患者を○○君と呼ぶ。
それが通常の心理状態である所に問題がある。何時の間にか身につけてしまう。不遜と優位性。
医師でそのことをじっくり反省する人は少ない。だが呉郎はその汚ないものを身につけなかった。
「類は友を呼ぶ」というが、呉郎の友人医師を幾人か私も知っている。その人達は実に善人のお人好しばかりだ。優位性も不遜も身につけない。地位も欲しない。だから人間的に素晴らしく魅力がある。
呉郎医師をここに招きたかったのは、一つのユートピアを夢みていたからだ。彼の文学や医術より人間的な面に引かれた面が多い。」
呉郎さんの医師としての態度から学ぶことが私たちにあるように思います。

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