「山崎ハコさんの「望郷歌」と北條民雄の「望郷歌」」
療養所の文学
山崎ハコさんの「望郷歌」は、'79年9月23/24/25/27/28日 銀座・博品館劇場でのライブ公演で歌われたものでした。
ライブの構成は、五木寛之、寺山修司、原田芳雄、沼田曜一、山本剛 らで、五木寛之氏の日に歌う企画、しかし寺山修司もあれがいいと言って、急遽、寺山修司のときにも歌ったもの。天井桟敷の人達も出て、たいへんな盛り上がりだったそうです。
望郷歌 作詞者不詳/山崎ハコ作曲
つくつくぼうし なぜ泣くか 親もないか 子もないか
たった一人の女の子
館にとられて今日七日 七日と思えば十五日
十五のお山へ花を折りに
一本折っては腰にさし 二本折っては手に持って
三本目には日が暮れて……
館と思えば何のこと さだめも知らず歌ってた
十五の今日を祝おうか
一日前には野の花で 一日あとには館花
三日もすれば花じゃない……
つくつくぼうし なぜ泣くか 親もないか 子もないか
つくつくぼうし なぜ泣くか……
つくつくぼうし
前半の部分、
つくつくぼうし なぜ泣くか 親もないか 子もないか
たった一人の女の子
館にとられて今日七日 七日と思えば十五日
十五のお山へ花を折りに
一本折っては腰にさし 二本折っては手に持って
三本目には日が暮れて……
この部分が、北條民雄の小説「望郷歌」のなかに、太市が、他の子どもたちと離れて、たったひとり穴を掘りながら歌う歌として本の中に挿入されています。
この歌を、キャニオンレコードの人が、本にあるもので作者不詳として、山崎ハコさんに持ち込まれたそうです。北條民雄の「望郷歌」に挿入されている歌は、北條民雄自身が作ったものか、古くから、どこかで歌われているものかその辺りが、キャニオンレコードの人も分からず、「作者不詳」として山崎ハコさんに持ち込まれたのでしょう。詩は、あまりに短いので、山崎ハコさんは、あとに続けて、ハコさん自身が作詞して繋げたそうです。それが、山崎ハコさんの「望郷歌」です。山崎ハコさんが歌われて、28年経って、この歌の真相が明らかになりました。
ところで、北條の作った歌は、全くの創作だったのでしょうか?北條は何か発想に参考にした歌があったのでしょうか?
高知県の子守歌に「つくつく法師」という歌があります。
つくつく法師
高知県高岡郡佐川町
つくつく法師は なぜ泣くの
親がないか 子がないか
親もごんす 子もごんす
もひとり欲しや 娘の子
たかじょにとられて きょう七日
七日と思えば 十五日
十五の玉を 手にすえて
おじさんところへ 来てみれば
よう来たよう来た お茶まいれ
お茶でものまして 養うて
長者の嫁御に やるときにゃ
金襴緞子の 帯しめて
お馬ゆられて 行きました
お馬ゆられて 行きました
また。北條の郷里である、徳島に「坊やのぼりさん」という子どもを寝かせる子守歌があります。
坊やのぼりさん
徳島県美馬郡一宇村
坊やのぼりさん どこいた
あんな向こい 花とりに
一枝折っては 腰にさし
二枝折っては 手に持って
三枝ぶりには 日が暮れた
ネーン ネーン ネーンよ
この子はよう泣く めっそなく
泣くなよ泣くなよ きじの鳥
泣っきょったら 殺生人に撃たれるぞ
ネーン ネーン ネーンよ
ヨーイ ヨーイ ヨーイよ
ポンポコ ポンポコ ポンポコよ
これらの二つの歌を参考にして、北條民雄は、太市に、望郷の歌として、歌わせたのでしょう。
それにしても、実名も伏せて、郷里とも縁を切って、ひとり療養所にはいっている北條民雄が、「坊やのぼりさん」は徳島の子守歌ですし、「つくつく法師」は隣県の高知県の子守歌です、こうしたところに、故郷がこっそり顔を出している。それがいっそう哀れに思います。

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