
□「創刊20周年」の「おとゲー創刊前夜」
おかげさまで「ほぼ週刊 おとうさん的ゲーム通信」も
今月で、なんと創刊20周年を迎えます。まあ一番ビックリ
しているは私かもしれませんが。。。
すでに19回も「周年記事」を書いているので、ネタ切れ
気味ですが、今回は「おとゲー創刊前夜」のお話を。
独身時代はゲーセンに連日通っていた私ですが、結婚して
からは、仕事が忙しくなったのもあって長い休眠期に。
そんな休眠期が終わり、ゲーム熱が再点火したのは二つの
出会いのおかげです。
一つ目は、娘たちといっしょにポケモンにはまったこと。
山のように攻略本を買い込んで、娘たちといっしょにせっ
せとポケモンをゲットした日々が今も懐かしいです。
□「わたゲー」の時代
二つ目は、本誌編集部の大谷龍との出会いです。当時の彼
は「真正」のゲーマーで、特に「音ゲー」はプロ級。各地
のゲーム大会で入賞するほどの腕前でした。
「ゲーマー」という「人種」にあった驚きは新鮮でした。
その頃は「趣味はゲーム」と口にするのは恥ずかしいような
空気があったのですが、堂々と「ゲーム好き」を公言する
大谷龍は、私のゲームの「師匠」でした。
その後も私のゲーム熱はヒートアップして、ついには社内の
掲示版に「おとゲー」のプロトタイプ、名付けて「わたゲー」
(「わたし的ゲーム通信」の略)を掲載する状態に。今思う
と異常そのものでしたが。
□「創刊」、そして
その後のことは何度か本誌に書いているとおり。1999年は
「個人がメルマガを発行する」ことが、社会現象化した年で
私もNHKの特集番組を見て、熱に浮かされたのでした。
それでもノートに企画メモを書きつけ一月ほど悩みました。
「おとうさん的ゲーム通信 (略称: おとゲー)」という
ネーミングは「わたゲー」からの安直な発想でしたが、
「ゲームのある家庭生活」うコンセプトは、先見性があると
と自負したりして。
ゲーム仲間の大谷龍とアディオス・関川にも執筆を頼んで
満を持して、1999年10月14日に創刊。
当初は、読者も身内程度だろうし、なんとか10号は発行を続
ければ充分と思っていました。しかし勢いとは恐ろしいもので、
その年最終の第11号(1999/12/24発行)では、400人以上
の読者が。。。
私はすっかり調子に乗ってしまったのでした。
(しつこく次号へ続く)
※「おとゲー」2019/10/6号掲載

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