□「東京タワー」の「直球ど真ん中」
「この話は・・・ボクの父親と・・・ボクと、・・・戻ることも、帰ること
もできず、東京タワーの麓で眠りについた、ボクの母親の小さな話です」
小説「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」は作者リリー・フ
ランキーの投影であるボクとボクを愛しぬいたオカン、そしてちょっととぼ
けたオトンの1960年代から始まる40年近い「家族の物語」。
「東京タワーの麓の病院」で癌で逝ったオカンと自分の関係を恥ずかしがる
ことも、ひねることもなく、淡々とそして深い愛情と切ない慟哭で描ききっ
た「直球ど真ん中」のこの作品。作者と私、オカンと私の母の年代が近いこ
ともあり、とくに1970年の描写が「ああ、こんなこともあった」と、懐かし
く感じられました。心の深いところに届く物語でした。
□松尾スズキの「脚色力」
「ひらかなで書かれた聖書」(故・久世光彦氏)とまで激賞されたこの長大
なドラマをどう映画の限られた時間、画面に乗せるのか?オダギリジョー
主演の映画化の予告をみたときまずそこに興味をかきたてられました。
それは見事でした。松尾スズキの脚本は現在と過去を巧みに行き来させるこ
とで短い時間の中にボクの濃密な体験を凝縮することに成功していました。
キャスティング、美術、衣装、音楽...それぞれが高いレベルでこの物語
を成立させていました。
小説が専らボクの目線で語られるのに対して、映画は時にオカンやオトンの
姿をダイレクトに伝え、それがまた絶妙な奥行きを与えていたと思います。
□「也哉子オカン」と「希林オカン」
この映画の大きな鍵を握っているのが樹木希林と内田也哉子(若き日のオカ
ン)の実の母娘による「オカン」であることは言うまでもないでしょう。
本を送ってきた息子に電話の前で「ありがとうございました」と頭を下げ、
花札に興じ、抗がん剤にノタウチ回る...「寺内貫太郎一家」の昔から
樹木希林の姿をみてきましたが、「東京タワー」のオカンは「名演技」など
という褒め言葉が陳腐に思える絶技でした。
女優としてデビューした内田也哉子。実の娘なので樹木希林に似ているのは
当たり前なのでしょうが、ちょっと山口百恵を思わせるその面差しはなんと
も初々しく、若くてかわいいオカンそのものでした。「也哉子オカン」のち
ょっとレトロな70年代の洋服の着こなしがまたいい感じで、きっと将来は素
晴らしい女優になるでしょう。
□オダジョーの「オカン、なにを言う」
そしてオダギリジョー。オカンに仕送りを受けながら勉強をサボり放題サボ
り、マージャン、パチンコ、女の子にうつつをぬかすダメぶりがぴったり。
あげく留年をオカンに告げるときのなんとも情けない表情が最高で、同じよ
うに自堕落な生活を送っていた私の学生時代を思い出しました。
癌に侵され、意識が混濁したオカン。病室を自宅と錯覚してボクに語る。
「鍋の中にのなすびの味噌汁があるけん、暖めてから食べんしゃい。」
「オカン、なにを言う」、
オダジョーはこの短い一言で、癌で死にそうになりながらも息子を案じるオ
カンへの思いを爆発させ、その爆発は私の涙腺を決壊させ、涙がドボドボと
流れました。「ボク」の深い哀しみに完全に共鳴させられていました。
□「平成のオカン」たちへ
「東京タワー」は何も特別は物語ではありません。息子や娘を思い、自分の
人生を削って私たちを慈しんでくれた「昭和のオカン」たちに共通するお話
なのだと思います。別居こそしていなかったものの、年がら年中仕事に出か
けて不在だった私の「オトン」の場合もやはり「時々」でしたが。
子供を虐待する、自分のことばかり優先する、そんな哀しい母親たちの話が
多くきかれる昨今ですが、私のカミサン、「イトー家のオカン」や周囲の
「平成のオカン」たちを見ていると何も変わっていないと思います。
子供の弁当を作り、勉強を教え、自分のものでなく子供のものばかり買っ
てしまう、自分の人生を「昭和のオカン」たちと同じように削って息子や
娘を愛しています。「平成のオトン」も「時々」しか力にならないけれど、
こう言わずにはおれません。
「がんばれ、平成のオカン」、そして「いつもありがとう」、と。
※「おとゲー」2007/4/27号掲載

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