■不祝儀の年
今年は悪い意味の当たり年で父の5人の兄弟のうち3人の伯父(叔父)があい
ついで亡くなり、父の実家がある愛知県に毎月のように葬儀や法事で高齢の
父の代わりに私が顔を出すことなりました。
11月1日、父の末の弟である叔父の四十九日の法事から戻り、報告がてら私
の家の近所に住む両親を訪ねました。帰り際、母は私にブドウを渡し、
「アカネちゃんとマリンちゃんにあげてね」といいました。
それが私にとっての母の最期の言葉になりました。
■突然の「別れ」
真夜中すぎ、そろそろ寝ようと思っていたとき父から電話が。母が風呂場で
倒れて、救急車を呼んだというのです。
急いで実家にかけつけた私は母といっしょに救急車にのり、病院へ向かいま
した。担架の上の母は真っ白で、ピクリとも動きません。
そのときはまだなんとかなる、と安易に考えていました。しかし、1時間後、
母はこの世を去りました。あまりにあっけない突然の「別れ」でした。
■「怒涛」の1週間
それから「怒涛」のような1週間でした。愛知の親戚に連絡、通夜、葬儀の
手配...たとえが悪いですが、半年かけて結婚式の準備でするようなこと
を1週間のうちに終えたような感じでした。
葬儀では喪主の父に代わって私があいさつしました。
お母さん、私と弟を育て、父につくしてくれてありがとう。
娘たちをかわいがってくれてありがとう。
どうか天国でお姉さんたちと仲良く楽しく過ごしてください。
久しぶりに人前で涙をながしてしまいました。
■母の「名刺」
母の両親は戦前に今の韓国に渡り、母もそこで生まれ育ちました。戦後、
日本にひきあげ、苦学して就職したあと、すぐに父と結婚。それからはずっ
と子育てと家事に追われる毎日でした。
近年は足腰を痛めて遠出もままならず、もう一度韓国へ行きたい、という夢
はかなうことなく終わってしまいました。
母の遺品を整理していて1枚の名刺をみつけました、母の名前と住所、メール
アドレスのあるシンプルな名刺。なんの目的でこの名刺をつくり、誰に配っ
たのか今はもうわかりません。元気だったころに通っていたダンス教室の
仲間にでもくばったのでしょうか?
私の知らなかったそんな母...ほっとして、ちょっと嬉しくなりました。
※「おとゲー」2010/11/26号掲載

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