□ 村上春樹の「蛍」
知り合いの画家、石居麻耶さんが、村上春樹の短編「蛍」を
モチーフにした作品をグループ展に出展するときき、新潮
文庫の短編集を買って「蛍」を読んでみました。
18歳だった「僕」は、東京・文京区の学生寮に病的なまで
に清潔好きな同居人と住んでいた。5月、「僕」は中央線
の車中で、「彼女」(自殺した高校の友人の恋人)と偶然
出会い、デートを重ねる。次の年の6月、「彼女」は姿を
消し、「大学を休学し京都の施設に入る」という手紙が
届く。
7月の終り、帰省前の同居人がインスタント・コーヒーの
瓶に入れた螢をくれる。寮の屋上で、「僕」は蛍を放つ。
蛍が去った後も「小さな光」が「僕」の指先に残った。
謎の多い、不思議な魅力をもつ短編で私も好きになりまし
た。学生寮の部屋や、「彼女」の背中、そして「蛍」を見
たことがあるように感じました。
□ 「蛍」を見る
先週の土曜日、銀座の画廊に石居さんの「蛍」を見に行きま
した。作品は、学生寮の窓辺におかれたインスタント・コー
ヒーの瓶の中の蛍を描いたものでした。窓、コーヒーの瓶、
そして「蛍」が石居さんらしい、精緻で物語感のある筆致で
描かれていてしばしみほれました。
ふと十数年前にアメリカ・インディアナ州の片田舎(牛の
数のほうが人間より多い村)でみた「蛍」のことを思い出し
ました。漆黒の闇に浮かぶ無数の蛍の光は幻想的でこの世
のものとは思えなかったのを覚えています。
「蛍」の主人公の「死は生の対極としてではなく、その一部
として存在している」という独白は、父母を、親しい友人を
亡くした私にも「ひとつの空気として身のうち」に感じるこ
とができるようです。それでもまだ「ほんの少し先にある」
光に手を伸ばし続けたいと思うのです。
※「おとゲー」2019/9/8号掲載

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