実家に帰って、農作業の手伝いをした。
大きくなるまでに5年もかかる朝鮮人参の小屋での作業。
あちこちに畑を借り、毎年収穫出来るように1年ずつ差をつけて植えるわけだ。つまり、ここの畑は1年目でここは2年目・・・という具合で、5年目の畑のものを収穫し出荷するのだ。
これは、特別立派だったものを専用のビンで焼酎付けにしたもの。

暗くて判りづらいか。
今日は2年目の畑で植え替えの作業。
帰り道、ショッキングな話を聞いた。もう朝鮮人参を作るのをやめるそうだ。
2年目の畑でしかやらない今日やった作業は、来年からはやらなくなるのだ。
父親によると、朝鮮人参を日本で栽培を始めたのは江戸時代。我が家では明治時代から、なんと100年も続けてきたそう。
長男が音楽家になっちゃったものでね。この歴史に終止符を打つこととなってしまった。
小さい頃から、妹たちと手伝いをしてきた、思い入れのある朝鮮人参栽培。もう年に2回くらいしか手伝っていないのだが、いざ終わるとなると、さすがにショックである。
我々が小学生の頃までは、周りでもたくさんの人が作っていた。ハッキリ言って、儲かっていたそうです。しかし、円高の影響を受け、割の合わない仕事になってしまったそうで、とうとう旧北御牧村では残り1軒になってしまうそうです。
私の親は、私に農業を継ぐことを強いてきませんでした。これからは農業では食っていくのが難しい、ホワイトカラーを目指せ、と言ってましたね。
しかし、結局食っていくのが難しい音楽家になってしまった。だったら農業させとくんだった・・・きっとそう思っていることでしょう。
音楽家になってくれて良かった・・・そう思ってもらえるよう、これからのことをもっと真剣に考えなくては、と思った。
まずは練習か!