さて。某ジュリアン・コープ氏著、ジャップロックサンプラーを、ようやく読んだ。発売当時は、ニューロックから心が離れていた時期で、気になるところだけ立読みで済ませていたのであった。この本を語る上でのキーワードは「事実誤認」である、と冗談を言いたくなるくらい事実誤認が多い事で知られた本だ。オレでもわかるくらいのものがゴロゴロあった。そして知らない事に関しては「えっ!そうなんだ!…(註釈を読む)なんだ、そんなワケ無いよな…」の連続にいささか食傷気味になる。このジャンルに決して暗くはないオレが、事実誤認及び妄想創作と註釈の間を右往左往しなければならない、って事は、ニューロックは日本においても研究がなされていないという事である。いや、研究はされているだろうし、ニューロック本を書く資格を持った人々は事実、周りにいるけれど、未だ書かれていない、と言った方が良いのかもしれない。考えてみると、GSと違って定義は曖昧、これぞニューロック!みたいなレコードは、あまり多くない。あったとしても、つのだ、陳、柳田、柳、冨士夫、フラワー近辺とか、同じようなメンバーが席替えをしながら発表した作品がほとんど。ミクロな世界であり、物凄く書きづらいのだろう。いろいろな問題はあるけれど、書き上げた某ジュリアン氏はよくやった、と言える。アシッドとかサイケトリップの側からの視点であり、作品に対しての評価が偏っているのもご愛嬌。そういうのは、ガレージおよびファズ使用の視点から書かれたGS本で鍛えられている。何か切り口が無いと本としてまとまりが無くなってしまう、というのはその時に学んでいるし。しかし某ジュリアン氏、村八分の嫌いっぷりが凄い。でも巻末対談での近田氏のフォローが良かった。折田氏の陳信輝氏へのフォローも。満場一致での内田裕也氏への讃美も嬉しい。誤解されやすい人だから。沢田研二氏へのフォローも必要だろう。誰も読んでない当日記で、やってみようかな。日本の島国閉鎖性から来る、ロックへのアプローチの特殊性みたいな論理は、なかなか良かった。最近はニューロックばかり聴いている。欧米のコピーなだけではない何か、が素晴らしいのである。おわり。


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