うちの勤め先に、いわゆる勤労に関する権利を守らんとする運動をする団体が出来、その方々が親団体の助けなどを借りてストライキをやってちょっとした騒動になった、しかも動画サイトに上がっている、というのを同僚から聞いたので、一応、観てみた。件の団体と思しき数人が外部の加勢の人達と一緒に気勢をあげていて、本社の、いつも同じ職場で働く少しエラい人達がやや困惑して対応していた。オレのように、自分の人生の周りの事を風景のように捉える選択をしてしまった宙ぶらりな人間にとっては、こういう法的な権利主張や政治的主張というのは、原則として重要なのは頭ではわかっているのだけれど、やはり傍観者になってしまうのである。一つの事象に対して意見が対立している場合は大概、どちらの言っている事にも一理あるものだ、と思ってしまう。震災以降、SNSなどで社会問題を論ずる傾向が世間的には強くなったと思う。エネルギー問題についても、然り。考えに考え抜かれた意見に関しては、相反するものであっても、なるほどなぁ、と思ったり。そんなものは思考停止だ、と怒られるかもしれない。しかし、勉強不足で感情的な意見は良く無い、という事くらいは思っている。オレが口を開いたり、ペンを握ったら、そうなるのは目に見えている、と自分では思う。こうやってぼんやりした事を書くのが関の山である。ただ、風景のように物事を捉える事だって、大事なんじゃないかな、と弱火ながら考えるのである。ところで、湯豆腐を食べたい、と思い、やってみた。ポン酢は好きなんだけど、自前のを買った事が無かった。湯豆腐にポン酢が美味過ぎて身震いした。毎晩これでもヘルシーで良いんじゃないか、と最近緩みがちな身体をさすりながら、考えた。飽きるかもしれないけど。今日は、ずっと雨だった。おわり。


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